金剛禅総本山少林寺

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父子をつなぐ最高のツール

父子をつなぐ最高のツール

金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。

 

 「オレ、少林寺拳法をしていて良かった。以前はクラスでも周りにビクビクして、学校が面白くなかった。けど今は、自信ができて、友達もできて、学校が楽しくなった。ありがとう。」ある日、高校一年生の息子がこんなことを口にしました。「良かった」と感慨深いものがありました。
 私たち父子は、2013年に揃って入門し、現在は共に准拳士初段の允可を受けております(私は少導師の辞令もいただきました)。そもそも入門のきっかけは、息子が控えめな性格で、いつもオドオドとしているような子だったので「何か武道でも」と思い検討しておりました。色々見学に行きましたが、格闘技という色が強く、息子ではついていけないのではと危惧していたところ、和気藹々と修練している少林寺拳法に出会い、父子で入門を決意しました。
 4年間一緒に修行した道のりを振り返ると、息子がしっかり成長してきていると感じます。芯ができ、善悪の判断がきちんとでき、自制心がつき、やるべき時にはやりきる強い心も養われています。父親として息子の心の成長は嬉しい限りです。
 周りの親からは「高校生にもなると、会話なんてほとんどないよ」とよく耳にします(私自身もそうでした)。しかし私たち父子は、一緒に少林寺拳法をすることで、自ずとコミュニケーションがとれます。この先数年で自立し、コミュニケーションの時間は減るかもしれません。しかし、“道院という同じ空間で修行し、時間を共有する”という積み重ねが、態度は不器用でも、たとえ離れていても、心でお互いを尊重しあえる関係を続けさせてくれると確信しています。
“拳で語る 心で語る 言葉で語る”
 少林寺拳法は我が家の父子をつなぐ最高のツールです。
 (愛媛宇和道院 和田 進也)

架け橋が織りなす仕合せ

架け橋が織りなす仕合せ

金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。

 

 本山仁王門、43年前に初めてくぐり、今回数十年ぶりに合掌礼をすることができました。少林寺拳法創始70周年記念事業のブルースカイキャンパスin多度津に参加するため、齋野道院長はじめとする道院幹部6人で帰山したからです。
 「お帰りなさい」と迎えてくれた本山職員は、学生時代の一年後輩でした。門と人が温かく迎え入れてくれる“これぞ本山”。福島県から7時間の疲れも消え、すでに元気をもらいました。昔、開祖が法話で「砂の様な人間にはなるな」と語られていたことを思い出しました。居眠りなどせずよく聞いておくべきだったと悔やまれます。
 思い起こすと、私が少林寺拳法を始めたのは、大学時代の先輩から甘い言葉で誘われたのがきっかけで、ここからは想像に難くない、とんでもない體育會(体育会)系部活が始まったのです。しかし今まで続けられたのは、関東学生大会での組演武優秀賞の成功体験と、4年間の苦労をここで終わらせたくなかった事、少林寺拳法を通じて出会った人々の繋がりが自分を変えてくれることがあったからです。齋野道院長はじめ諸先輩や同門拳士の方々は自分の未熟さを気付かせてくれます。福島県の方々は武専や行事で仲間であることの楽しさを教えてくれます。何より家族の支えは大きなものです。改めて自分を取り巻く全てに感謝です。
 娘は福島で三段の允可を受け、愛媛県宇和島市に嫁ぎました。遠くへ嫁に出した不安もありましたが、宇和島道院に転籍し濱田道院長のもとで四段の允可を受けたようで安心しております。不安を解消してくれたのは少林寺拳法を通じた横のつながりでした。孫娘も上が三級・下は見習いで頑張っているようで、福島の爺さんとしてはうれしい限りです。いつか三世代で演武をするのが楽しみです。
 親子三代、先輩後輩の縦の架け橋、道院同士や仲間同士の横の架け橋、そうして70年かけて織りなされたものが少林寺拳法だと思います。そうした仕合せが繋がっていくことを願います。
(福島桑折道院 田本 良文)

師と縁

師と縁

金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。

 

 少林寺拳法に出会って11年。思い起こせば、息子が小学3年生の時に「友達と一緒に少林寺拳法をやりたい!」と言い出したのが全ての始まりでした。当時私は、少林寺拳法は武道の一種という程度の知識しかなく、「男子たる者、武道を経験するのもいいことだ。」くらいの考えでおりました。息子の送迎から始まり、保護者として道院の行事にも関わるようになりました。ある時、毎年恒例の福島桑折道院キャンプの席で、齋野道院長から入門を勧められ、酔った勢いで快諾したら、翌日には既に拳法着が用意されていたという不思議な出来事を今でも忘れられません。娘も道場の片隅で遊んでいるうちに、「私も拳法やるっ!」と言い出し、いつしか親子3人で修行するようになりました。現在は、息子も娘も休眠しておりますが、おかげさまで息子は今年の春、医療大学を卒業し、病院のリハビリテーションの作業療法士として就職することが出来ました。作業療法士とは、食事、入浴、着替えなど、患者さんの日常生活に関わる全ての活動を介助し、患者さんが日常生活の訓練を通して社会とのつながりを作っていくことを支援する仕事です。
 超高齢化社会により社会とのつながりを維持できなくなる人は、今後ますます増えていくでしょう。そんな人々に寄り添い、励まし、社会復帰の手助けをする仕事に必要なものは、作業療法士の技術を「力」とするなら、患者さんへの支援は「愛」であり、まさに「力愛不二」の実践なのかもしれません。また、その実践の中には、金剛禅の目指す「自己確立」と「自他共楽」の教えが重なっていると思います。彼が17歳でその道を志し、途中で投げ出さずにここまでこれたのは、少林寺拳法を経験して、彼の考え方の根底に金剛禅の教えがあったからではないでしょうか。以前、進路について私は彼に「自分の仕事によって人からありがとうと感謝されるような仕事に就きなさい。」とだけ伝えたことがあります。結果的に間違ってはいなかったのかなと思います。
 そして、道院に一人残された私は、今でも齋野道院長先生をはじめ、良き先生方のもと楽しく修行しています。当時幼かった子供たちの入門により少林寺拳法とのつながりを持たせてくれた「架け橋」を大切にし、これからも福島桑折道院で金剛禅の修行を楽しんでいきたいと思います。
(福島桑折道院 仲野 剛)

心に根ざす金剛禅

心に根ざす金剛禅

金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。

 

 少林寺拳法に出会って11年。思い起こせば、息子が小学3年生の時に「友達と一緒に少林寺拳法をやりたい!」と言い出したのが全ての始まりでした。当時私は、少林寺拳法は武道の一種という程度の知識しかなく、「男子たる者、武道を経験するのもいいことだ。」くらいの考えでおりました。息子の送迎から始まり、保護者として道院の行事にも関わるようになりました。ある時、毎年恒例の福島桑折道院キャンプの席で、齋野道院長から入門を勧められ、酔った勢いで快諾したら、翌日には既に拳法着が用意されていたという不思議な出来事を今でも忘れられません。娘も道場の片隅で遊んでいるうちに、「私も拳法やるっ!」と言い出し、いつしか親子3人で修行するようになりました。現在は、息子も娘も休眠しておりますが、おかげさまで息子は今年の春、医療大学を卒業し、病院のリハビリテーションの作業療法士として就職することが出来ました。作業療法士とは、食事、入浴、着替えなど、患者さんの日常生活に関わる全ての活動を介助し、患者さんが日常生活の訓練を通して社会とのつながりを作っていくことを支援する仕事です。
 超高齢化社会により社会とのつながりを維持できなくなる人は、今後ますます増えていくでしょう。そんな人々に寄り添い、励まし、社会復帰の手助けをする仕事に必要なものは、作業療法士の技術を「力」とするなら、患者さんへの支援は「愛」であり、まさに「力愛不二」の実践なのかもしれません。また、その実践の中には、金剛禅の目指す「自己確立」と「自他共楽」の教えが重なっていると思います。彼が17歳でその道を志し、途中で投げ出さずにここまでこれたのは、少林寺拳法を経験して、彼の考え方の根底に金剛禅の教えがあったからではないでしょうか。以前、進路について私は彼に「自分の仕事によって人からありがとうと感謝されるような仕事に就きなさい。」とだけ伝えたことがあります。結果的に間違ってはいなかったのかなと思います。
 そして、道院に一人残された私は、今でも齋野道院長先生をはじめ、良き先生方のもと楽しく修行しています。当時幼かった子供たちの入門により少林寺拳法とのつながりを持たせてくれた「架け橋」を大切にし、これからも福島桑折道院で金剛禅の修行を楽しんでいきたいと思います。
(福島桑折道院 仲野 剛)

ストレスは成長のチャンス?

ストレスは成長のチャンス?

【開祖、宗道臣語録より】
 能力が最初からあるやつなんてのはね、少ないんだ。ほとんどは努力でいくんです。やらん先にあきらめるな。

 ストレスという言葉があります。もともとは工学の世界で、物体に力を加えた時に、物体がその力に対抗しようとする力が生まれ、この応力がストレスなのだそうです。
 考えてみると人間は必ず何かのストレスにさらされていることに気づきます。暑さ、寒さ、空腹、病気、ウィルス、望まない人間関係、動けば疲れる・・・。釈尊(お釈迦さま)が「人生は本質的に苦である」といったのも解かるような気がします。しかし人間は、それらのストレスと向き合い、対処してきたのも事実です。寒いときには暖かい衣類や暖房、病気やウィルスに対しては、長い進化の歴史の中である程度の抵抗力を持っています。人間関係もなんとか対処していますよね。そう努力することで克服してきましたし、自然に対処する力が備わっています。
 みなさんも思い出してみてください。一度乗り越えたストレス(困難、問題)はもうストレスと感じません。乗り越えた時に「成長」していますよね。そう考えるとストレスは成長させてもらえるチャンスかもしれません。「やらん先にあきらめず、努力でいくんです。」

【注意】体調を崩すほどのストレスを感じているのでしたら、すぐに専門家や信頼のおける人に相談してください。ここでは軽いストレス状態のことを取り上げており、対処しきれない状態の方にエールを送っている訳ではございません。

【ヒント】ストレス状態がなかなか打開できずにいる場合は、体を動かしてみてはいかがでしょう。体を動かせばストレスになりますが、その後休めば必ずリラックス出来ます。解決のヒラメキはリラックスの時に訪れやすいです。種々のストレス改善に、運動後のリラックスを活用しましょう。(ぜひお近くの道院にお越しください。)

共通の目標

共通の目標

【開祖、宗道臣語録より】
 大勢の人が寄り集まって一緒に仕事をしていると、何もかもが一致するなんてありえない。でもどこかで共通点、しかも極力いい方の一致点を見出し、そこへ向けて皆が力を合わせていくようにしたら、もっと楽しく気持ちのいい職場がつくれるはずです。(1975年1月)

 職場とか地域、クラス、サークル等何らかのグループは複数の人々が集まって成り立っています。おのおのは、育った環境もそれぞれ違いますし、年齢、性別、癖、性格等も全て違っています。そのため同じグループであっても、ともすれば全員がそれぞれの考えで、異なった行動をしてしまい、バラバラになる恐れも当然あるでしょう。その中で協力して取り組むことが楽しい場合もあれば、全く逆に、皆のために努力することや、同じグループにいること自体が苦痛な時もあります。一体この違いはどこからくるのでしょうか。
 いろいろな理由があると思いますが、例えばその一つに開祖の言う「極力いい方の一致点」があるのかもしれません。
 職場の上司や、先生、コーチに「力を合わせて協力しろ」「仲良くしろ」と言われることは多いと思います。しかしそれを解ってはいても、なかなか実行に移せないことがままあります。こんな時、共通の目的や目標(一致点)があれば、自然と全員が同じ方向に向けることがあるのではないでしょうか。ゴールが同じになれば、グループ内で互いが相手を打ち負かそうと思ったり、傷つけたり、苦しめたりすることはほとんど無くなるはずです。意見が対立しても、戦うのではなく、より優れた答えを導き出そうと努力する方向に力が向かうはずです。
 こうなるとわざわざ相手と理解し合う努力をせずとも、自然と全員が納得し、共通の目標に向けて最高の協力体制ができると思います。そんな協力体制でみんなが力を出し合っていると、その過程でお互いが理解し合え、その理解は相手の欠点を見るのではなく、長所を認める理解につながることでしょう。
 全員で同じ目的・目標を持てるよう工夫してみてください。大きな目的も大事ですが、最初は具体的な目標のほうが取り組みやすいかもしれません。
 毎日そんな環境で過ごせたなら、楽しく気持ちいいに違いありません。
 Let’s“同じ目標”!

挑戦「小さなチャレンジ」

挑戦「小さなチャレンジ」

【開祖、宗道臣語録より】
 自分から何事かに挑戦する意欲のかけらもないのもいる。(中略)実際の年齢が40だろうが50だろうがかまいません。物事を本気で取り組める若々しい心、行動力を持つ人達が出てくること、私は本当に期待したい。(1973年8月)

 よく「失敗が人を成長させる」とか「成功こそ成長させる」という事を聞きます。どちらが正しいのでしょうか?条件付きになりますがどちらも正しいと思います。失敗してもくじけず、努力をつづけるなら必ず成長するでしょう。また成功体験は非常に大きな自信となり、あなたを成長させてくれることは間違いありません。しかしそのことに慢心してしまえば、新たな成長が止まってしまい、大きな失敗につながるかもしれません。
 どちらも成長につながるのであれば、大切なことは「失敗」か「成功」かではなく、「挑戦」したことこそが、大切なのではないでしょうか?
 どんな些細な事でも構わないと思います。今までできていなかったことや、できていてることでもあらためて意識し目標を定めたり、出来る範囲で小さなチャレンジをしてみませんか。
 達成できるまでチャレンジ、達成できれば新たなチャレンジ!
 チャレンジの連続があなたの成長につながり、本当の豊かな生活を与えてくれると信じます。

 何もチャレンジしないあなたには、大きな変化は起こらないかもしれません。しかしチャレンジを続けるあなたには、達成させるような何かが起こる可能性が高くなることでしょう。ダーマは個々の関係性に働きかけ、影響を与えます。あなたのチャレンジが正しいものなら、必ずや良い変化が訪れることでしょう。

自分を「幸せ」にする方法

自分を「幸せ」にする方法

【開祖、宗道臣語録より】
自他共楽・・・他人と一緒に楽しもう、「幸せ」になろうではではないか、という考え方です。(中略)少なくとも社会に何かを奉仕することを考えようではないか。(1969年10月)

 新しい年度がはじまりました。希望を胸に新しい生活をはじめた方も多いでしょう。また、今までと同じ環境で頑張る人、異動等で環境が変わる人、中には就職活動中の方もいらっしゃるかもしれません。今回は就職活動している方へのエールを通してどのように考えて頑張れば、より幸せを感じることができるかを考えてみましょう。すでに社会人の方は「そうそう、あの時このことがわかっていなかったなぁ」と思えるかもしれません。全ての方にこの内容が少しでもお役に立てれば幸いです。
 就活中のみなさん今「自分は◯◯に就職したい」「自分はどこに就職できるか」と考えていませんか?少し視点を変えて「企業はどのような人材を採用したいか?」と考えてみましょう。「優秀な人材」であることは間違いないです。では「どのような人材が優秀なのか?」。企業には必ず理念があります。多くの場合その企業が提供する財やサービスで「社会に貢献する」となっています(またはそれに近いニュアンス)。企業や団体は「社会に貢献する場所」であることを理解してください。つまり他の誰かを笑顔にして、その笑顔を見て自分も笑顔になる。企業は誰かを笑顔にする手段にそれぞれ特徴があるだけなのです。
 おわかりいただけたと思います。「優秀な人材」とは企業の理念を理解し、その実現に全力をそそぎ、成果(笑顔)を出してくれる人材です。企業の理念や特徴とあなたにとっての「喜び」「幸せ」が通じていれば採用される可能性は高くなると思います。(企業が専門知識を必要としているなら、その知識があることが前提となりますが。)
 私たちは「幸せになりたい」と常に思っていますが、殆どの人が「自分がどのようになれば幸せになるか」を理解しているわけではありません。明確に自分の幸せをイメージできる人は少ないかもしれません。しかし開祖の言うように「他人と一緒に楽しむ」「社会に奉仕する」を心がけていれば、いつかあなたにとっての幸せを感じる日が来ると信じてください。

金剛禅では「人は宇宙のはたらきの一つ」、つまり人や物質(個々)は一体である全体(宇宙)の一部と捉えています。私たちは自分以外との関係性の中でしか存在しません。だから自分だけが幸せになることはなく、周囲が幸せになったとき自分も幸せになっています。(ダーマは全体であり、個々もダーマであり、個々の関係性もダーマです。)

無理なく取り組むプラスα

無理なく取り組むプラスα

【開祖、宗道臣語録より】
自らの人格の変革、生き方の変革を通して、生きがいのある人生に挑戦してみたらどうだろう。(1972年9月)
※宗由貴師家のことば:変われる自分を信じなくちゃ新しい自分に出会えない。

 よく生命の進化の過程の話で「最も優れたものが生き残るのではなく、最も環境の変化に適応したものが生き残る。」と言われます。
 スキージャンプワールドカップの、最年長表彰台記録を更新し続けている葛西紀明選手も、「変化することを恐れないので続けてこれた」と大胆なフォームの改造にもチャレンジし続けているそうです。
 ここで「変化すること」について少し考えてみましょう。
 変化については釈尊(お釈迦様)も2,500年前に「諸行無常(この世のに存在する全てのものは常に変化し続けており、決して同じ状態で留まるものはない)」と説かれています。心や社会、物質も必ず変化しています。社会を見渡すと、今まで経験したことがないような気象が続いたり、電話の形態も携帯電話になりスマートフォンに変わっていることに気付きます。同様に、私たちの心や体も少しづつ変化していることでしょう。
 私たちが「自分を変える」と言ったとき、それは「より良く変わる」事を指します。しかし一念奮起して変化を目指しても、それに伴うストレスに耐え続け、困難を乗り越え、ついに自身を変革できる人はそう多くないかもしれません。(そのようにできれば素晴らしいですが。)
 やはり多くの人は、簡単に自分を変えることは出来ないのでしょうか。否、決してそんなことはないと我々は考えます。一日一日の変化はわずかでも、1年後、数年後に振り返るときっとその変化はあるはずです。
 大切なことは「習慣」を変えることではないでしょうか。無理なく取り組めるプラスαを作るのです。例えば、挨拶する声をいつもより大きくする。朝5分早く起きる。子どもの話は全部終わるまで聞く。少し意識をすればすぐにでもできることですし、習慣の継続に努力はわずかです。努力の薄紙を一枚一枚重ねていくがごとく、しかし今までしていなかったことを実行していくので、あなたの生活に確実に変化がおきて、将来においてあなたの生活を大きく変えて、幸福をより多く感じていることでしょう。

 「小さな変化」が「大きな結果」につながるのは、多くの人の感情や行動が複雑に関係しながら未来につながっていく。未来を作っているのも「ダーマ」のはたらきです。

なるようにする

なるようにする

【開祖、宗道臣語録より】
思うようにならない人生を、思うようにしたいと思うからいかんのであって、なるようにしたら、なるようになる。

 皆さんご存知のように大相撲初場所、琴奨菊関が優勝しました。多くのテレビや新聞のインタビューの中で、私達も見習わないといけない言葉がありました。「どうして優勝出来たと思いますか?」の質問に対し、「今までは勝とう勝とうとして思い通りにならなかったが、自分のやるべきことをしっかりやり土俵に望めば結果がついてきて自信ができた。それが良い結果につながったと思います。」(勝つためにあれこれと沢山のことを考え対応しようとしていたが上手くいかなかった。しかし自分の得意で自信のある「がぶりより」に磨きをかける練習し、本番では平常心を心がけると上手くいくようになった)とおっしゃっています。フィギュアスケートの羽生結弦選手も歴代最高得点をとったとき「とにかく一生懸命、きつい練習をこなしてきた。」と語っています。結果を求めるならそのプロセスに自信が持てるほどの努力が必要なのでしょう。
 仏教には「求不得苦」という教えがあり、求めても手にはいらない物があるのは、人間としてどうしようもない苦しみの一つとされています。もう一方で「因果の法則」というものがあります。これは結果にはそれ相応の原因が必ずあるという教えです。開祖はこのようなことをふまえて、「思うようにしようと思って、思っているだけやガムシャラに行動してもだめだ。でも目的に向かって正しい考え方と努力を積めば、それが十分に蓄えられたとき、なるようになる。」と言っています。
 目的や目標を掲げたならそれを達成するプロセスを考え実行することが大事なのではないでしょうか。

 「因果の法則」にあるあらゆる結果(現象・状態)は、多く原因が複雑に関係しながら導いている。この関係性そのものも「ダーマ」のはたらきです。