コラム

企画の小窓〜コラム〜

2017.09.05

四発目 可愛がられて、研究して、生まれたもの

四発目 可愛がられて、研究して、生まれたもの

〇「拳理体感」の始まり

 本部にいると様々な先生に学べる機会が沢山ある。多くの先生から技を学び、沢山教えてもらえると技がスッキリしてくるかというと、そうでもない。

私が本部に入った頃、開祖直伝の技を持つ偉大なる大先輩方が御健在で、元気が良かった私や井上所長は結構可愛がっていただいた。




ただし武道の世界で可愛がるというのは、犬や猫を可愛がるのとわけが違い、厳しく接するという意味である。

M先生や、K先生にはお会いするたびに優しく教えていただいた。但し現場では「違う、そうじゃない!」「また井上と白濱は勝手なことやっとる!」と、手厳しい。

M先生、K先生を始め多くの先生方に教えていただく中で、同じ技なのに人により全然違う技のようにも見え、大変とまどった。

その頃総本部指導部部長を務めていたのが、新井庸弘一般財団法人少林寺拳法連盟前会長だった。

新井先生も「M先生が見ているときはM先生の捕り方で指導して、K先生が見ているときはK先生のやり方で指導している」と言っていました。それを見事に使い分けている新井先生も凄い先生だと思います。

後に私と一緒に「あらはん」編集部編集長としての東京に行くことになるMさん。彼は、少林寺拳法を他人と違う角度から眺めながら研究していたとても頭が良い人でした。技の考え方にも学ぶことが多い人でした。

新井先生、井上所長、Mさん、そして私の四人は、しょっちゅう事務所の片隅で技について意見交換をしていました。

そこでは上下関係もなく、率直に思うことを言い合い、検証し、お互いの技の理解を深めることがでた大変有意義な時間でした。

ここでいろいろ研究した内容が、のちのち「あらはん」誌上に掲載される「拳理体感」という技術ページへとつながっていきました。




〇「拳理体感」で技の整理


明らかに同じ技なのにそれぞれの先生には個性があり、微妙に違う捕り方をしている。

一つの技に何通りもの形があるということでは、技は限りなく複雑になっていく。これではいくら修行しても時間が足りない。教える人によって形も違う。これは大問題だ!

「拳理体感」で出した結論は、「自分の形や、動きを見る」のではなく、「相手をどのような体制に導きたいのか」「そのために自分は何をし、どのように動けばよいのか」を理解して練習に取り組むことがとても重要。ということです。

技のゴールのイメージを明確に描き、そのために必要なことを稽古することにより、技の習得時間は大幅に短縮されることになります。

 手首は生かすか殺すか、肘は伸ばすか曲げるか、腕は外旋するか内旋するかと、単純な動作の組み合わせでしかありません。守者側の形の違いを見るのではなく、攻者が技をかけられる際の体勢を理解することにより、技が整理されていきます。「拳理体感」により少林寺拳法は技が整理されていきました。


(つづく)




あらはん1984年5月号のグラビアにて、若き井上と白濱