金剛禅総本山少林寺

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少林寺拳法と歩む第二の人生

少林寺拳法と歩む第二の人生

 愛知吉良道院と岡崎中部道院の入門式が執り行われました。岡崎中部道院は私が入門した道院で、愛知吉良道院は現在所属している道院です。私も法衣と輪袈裟を着用して式に参列しました。普段の練習とは道場の雰囲気も違い、少年部の子供たちの緊張感が伝わってきます式次第に則り厳粛に進み、「小練すれば小成し、大練すれば大成する」と何事も一生懸命するようにと法話がありました。導師の言葉一つ一つにうなずいて聞き入る高学年の子供がとても印象的で、入門時の真っすぐな気持ちが見えてきました。
 振り返ってみると、私の入門式は今から45年前、道院長と赤い飲み物で師弟盟杯を交わした記憶が蘇ります。あれから一時は休眠となりましたが、息子の入門をキッカケに復帰し、50過ぎて仕事も落ち着いてきた頃『1年くらい学生になるのもいいか』と思い、軽い気持ちで武専に入学しました。入学のとき卒業までに11年かかると聞いてビックリしましたが、逆に定年後も学校で勉強できる環境にうれしく思いました。
 武専の入学がきっかけで、61歳の夏、妻を四国旅行に誘い、本山の見学に行き、「できたらここで1年、勉強したい」と言ってみたら、こころよくOKが出ました。この歳になると『亭主元気で留守がいい』と言うことだと思います。
 本山での1年間はとても素晴らしい体験と多くの方との縁を頂きました。始めた頃はこの歳になるまで修行している今の姿は全く想像できませんでしたが、家族や周りの人たちのお陰でここまで少林寺拳法を続けることができました。
 これからの人生も、護身練鍛、精神修養、健康増進に励んでいきたいと思っています。職場も現役時代とは全く違った職場ですが少林寺拳法同様に良い縁に恵まれとても楽しく仕事をしています。
 少林寺拳法は私の第二の人生を充実したものにしてくれました、あとはいつか孫が一緒に練習に参加してくれるのを願うばかりです。
 (愛知吉良道院 神道 良一)

やっぱり、少林寺拳法がいい

やっぱり、少林寺拳法がいい

 僕は現在高校3年生です。小学校のときは、タドツスポーツ少年団に入会し、多度津中学校でも少林寺拳法部に入部しました。進学した高校には少林寺拳法部がなかったのでサッカー部に入部し、少林寺拳法は休籍しました。しかし高校2年生から復帰し本部道院で修練しています。
 スポーツ少年団に入ったときは親のすすめでしたが、中学校では自分の意志で、スポ少の仲間と少林寺拳法部に入部しました。厳しい監督でしたが仲間との一緒の修練は楽しく、そんなに勉強したわけでもありませんでしたが、地元の進学校に合格することもできました。一生懸命修練できているときは不思議と成績も良くなりました。いま思うと、何かに集中できているときは、他でも集中できていたのかもしれません。高校3年生になり、大学受験を控えていますが、高校受験のときと同じく少林寺拳法により集中することで、勉強にも良い効果がでるよう取り組んでいます。もちろん勉強もこなしており、志望校に合格するレベルは維持できていると思っています。
 本部道院で修練するようになって、今までと断然違うのが「自分で考えて取り組む修練が楽しい」ということです。中学では監督の指導のもと修練をしますが、今は自ら考えて修練し、向上するしかありません。難しいことですが、アドバイスしてくれる先輩方も多く、多様な意見をいただけるので、(人によって多様な取り組み方があり、さらに上のレベルがある)奥の深さを感じますし、より成長できる可能性を感じ、とにかく楽しいです。
 時々、金剛禅読本を読み返すのですが、拳士として人間として“めざすべき人間像”を示してくれています。自分はまだまだ未熟で、修行も経験も不足していることを痛感させられます。こういうところは他の競技には無い、少林寺拳法の良さだと思っています。
 大学は本部道院に通いながら通学できるところに行って、将来は教員をしながら少林寺拳法の指導者になるのが夢です。
(本部道院 山地 広大)

温かく柔らかく育ってほしい

温かく柔らかく育ってほしい

 金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。

 

 幼稚園年長の子どもを道院に通わせていますが、最初道院で“絵本の読み聞かせ“と聞いた時、道院は修練を行う場だと思っていたので珍しい試みだなぁと思いました。
 しかし修練後などの短い時間ですが、仲間とお互いの体温を感じるほど肩を寄せ合って一緒に笑い、読み手の方に自然に体と目を向け、相手の話を熱心に聞いていることに気が付きました。なるほど少林寺拳法に通じるところがあるかも・・・と感じました。
 絵本の読み聞かせのあった日は帰りの車中で、読んでもらった本の話を自分からしてきます。「どうだった?」と聞くと子どもなりの感想や気持ちを私に一生懸命伝えようと言葉にします。一度だけしか読んでもらったことのない話でも、しっかり覚えて帰って来るものなんですね。自然に語彙が増え、表現が上手くなったと思います。また、きれいで正しい言葉と、友達同士などで使えるラフな表現の言葉があることも分かってきている様子です。親も言葉遣いに注意しなければとも思いました。つい親が先回りしてしまいがちだったけれども「○○したらどう思う?」「どうなるかな?」と子どもに考え、想像させることを心がけるようになりました。(なかなか難しい部分ですが)
 今、自分や他人を大事にできないことで、悲しい事件にまで発展することが多い世の中です。自分を大切にする心、他人を大切にする心を育てることが肝心だと思いますし、それが一番難しいことだと思います。子どもを見ていると読み聞かせの後、何かしら心に響くところがあるようです。これからも少林寺拳法と絵本の読み聞かせを通じて、少しでも温かく、柔らかい人に育ってくれたらいいと思います。
(福岡大野城道院 瀬戸山隼門の母)

父子をつなぐ最高のツール

父子をつなぐ最高のツール

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 「オレ、少林寺拳法をしていて良かった。以前はクラスでも周りにビクビクして、学校が面白くなかった。けど今は、自信ができて、友達もできて、学校が楽しくなった。ありがとう。」ある日、高校一年生の息子がこんなことを口にしました。「良かった」と感慨深いものがありました。
 私たち父子は、2013年に揃って入門し、現在は共に准拳士初段の允可を受けております(私は少導師の辞令もいただきました)。そもそも入門のきっかけは、息子が控えめな性格で、いつもオドオドとしているような子だったので「何か武道でも」と思い検討しておりました。色々見学に行きましたが、格闘技という色が強く、息子ではついていけないのではと危惧していたところ、和気藹々と修練している少林寺拳法に出会い、父子で入門を決意しました。
 4年間一緒に修行した道のりを振り返ると、息子がしっかり成長してきていると感じます。芯ができ、善悪の判断がきちんとでき、自制心がつき、やるべき時にはやりきる強い心も養われています。父親として息子の心の成長は嬉しい限りです。
 周りの親からは「高校生にもなると、会話なんてほとんどないよ」とよく耳にします(私自身もそうでした)。しかし私たち父子は、一緒に少林寺拳法をすることで、自ずとコミュニケーションがとれます。この先数年で自立し、コミュニケーションの時間は減るかもしれません。しかし、“道院という同じ空間で修行し、時間を共有する”という積み重ねが、態度は不器用でも、たとえ離れていても、心でお互いを尊重しあえる関係を続けさせてくれると確信しています。
“拳で語る 心で語る 言葉で語る”
 少林寺拳法は我が家の父子をつなぐ最高のツールです。
 (愛媛宇和道院 和田 進也)

架け橋が織りなす仕合せ

架け橋が織りなす仕合せ

金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。

 

 本山仁王門、43年前に初めてくぐり、今回数十年ぶりに合掌礼をすることができました。少林寺拳法創始70周年記念事業のブルースカイキャンパスin多度津に参加するため、齋野道院長はじめとする道院幹部6人で帰山したからです。
 「お帰りなさい」と迎えてくれた本山職員は、学生時代の一年後輩でした。門と人が温かく迎え入れてくれる“これぞ本山”。福島県から7時間の疲れも消え、すでに元気をもらいました。昔、開祖が法話で「砂の様な人間にはなるな」と語られていたことを思い出しました。居眠りなどせずよく聞いておくべきだったと悔やまれます。
 思い起こすと、私が少林寺拳法を始めたのは、大学時代の先輩から甘い言葉で誘われたのがきっかけで、ここからは想像に難くない、とんでもない體育會(体育会)系部活が始まったのです。しかし今まで続けられたのは、関東学生大会での組演武優秀賞の成功体験と、4年間の苦労をここで終わらせたくなかった事、少林寺拳法を通じて出会った人々の繋がりが自分を変えてくれることがあったからです。齋野道院長はじめ諸先輩や同門拳士の方々は自分の未熟さを気付かせてくれます。福島県の方々は武専や行事で仲間であることの楽しさを教えてくれます。何より家族の支えは大きなものです。改めて自分を取り巻く全てに感謝です。
 娘は福島で三段の允可を受け、愛媛県宇和島市に嫁ぎました。遠くへ嫁に出した不安もありましたが、宇和島道院に転籍し濱田道院長のもとで四段の允可を受けたようで安心しております。不安を解消してくれたのは少林寺拳法を通じた横のつながりでした。孫娘も上が三級・下は見習いで頑張っているようで、福島の爺さんとしてはうれしい限りです。いつか三世代で演武をするのが楽しみです。
 親子三代、先輩後輩の縦の架け橋、道院同士や仲間同士の横の架け橋、そうして70年かけて織りなされたものが少林寺拳法だと思います。そうした仕合せが繋がっていくことを願います。
(福島桑折道院 田本 良文)

師と縁

師と縁

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 少林寺拳法に出会って11年。思い起こせば、息子が小学3年生の時に「友達と一緒に少林寺拳法をやりたい!」と言い出したのが全ての始まりでした。当時私は、少林寺拳法は武道の一種という程度の知識しかなく、「男子たる者、武道を経験するのもいいことだ。」くらいの考えでおりました。息子の送迎から始まり、保護者として道院の行事にも関わるようになりました。ある時、毎年恒例の福島桑折道院キャンプの席で、齋野道院長から入門を勧められ、酔った勢いで快諾したら、翌日には既に拳法着が用意されていたという不思議な出来事を今でも忘れられません。娘も道場の片隅で遊んでいるうちに、「私も拳法やるっ!」と言い出し、いつしか親子3人で修行するようになりました。現在は、息子も娘も休眠しておりますが、おかげさまで息子は今年の春、医療大学を卒業し、病院のリハビリテーションの作業療法士として就職することが出来ました。作業療法士とは、食事、入浴、着替えなど、患者さんの日常生活に関わる全ての活動を介助し、患者さんが日常生活の訓練を通して社会とのつながりを作っていくことを支援する仕事です。
 超高齢化社会により社会とのつながりを維持できなくなる人は、今後ますます増えていくでしょう。そんな人々に寄り添い、励まし、社会復帰の手助けをする仕事に必要なものは、作業療法士の技術を「力」とするなら、患者さんへの支援は「愛」であり、まさに「力愛不二」の実践なのかもしれません。また、その実践の中には、金剛禅の目指す「自己確立」と「自他共楽」の教えが重なっていると思います。彼が17歳でその道を志し、途中で投げ出さずにここまでこれたのは、少林寺拳法を経験して、彼の考え方の根底に金剛禅の教えがあったからではないでしょうか。以前、進路について私は彼に「自分の仕事によって人からありがとうと感謝されるような仕事に就きなさい。」とだけ伝えたことがあります。結果的に間違ってはいなかったのかなと思います。
 そして、道院に一人残された私は、今でも齋野道院長先生をはじめ、良き先生方のもと楽しく修行しています。当時幼かった子供たちの入門により少林寺拳法とのつながりを持たせてくれた「架け橋」を大切にし、これからも福島桑折道院で金剛禅の修行を楽しんでいきたいと思います。
(福島桑折道院 仲野 剛)

心に根ざす金剛禅

心に根ざす金剛禅

金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。

 

 少林寺拳法に出会って11年。思い起こせば、息子が小学3年生の時に「友達と一緒に少林寺拳法をやりたい!」と言い出したのが全ての始まりでした。当時私は、少林寺拳法は武道の一種という程度の知識しかなく、「男子たる者、武道を経験するのもいいことだ。」くらいの考えでおりました。息子の送迎から始まり、保護者として道院の行事にも関わるようになりました。ある時、毎年恒例の福島桑折道院キャンプの席で、齋野道院長から入門を勧められ、酔った勢いで快諾したら、翌日には既に拳法着が用意されていたという不思議な出来事を今でも忘れられません。娘も道場の片隅で遊んでいるうちに、「私も拳法やるっ!」と言い出し、いつしか親子3人で修行するようになりました。現在は、息子も娘も休眠しておりますが、おかげさまで息子は今年の春、医療大学を卒業し、病院のリハビリテーションの作業療法士として就職することが出来ました。作業療法士とは、食事、入浴、着替えなど、患者さんの日常生活に関わる全ての活動を介助し、患者さんが日常生活の訓練を通して社会とのつながりを作っていくことを支援する仕事です。
 超高齢化社会により社会とのつながりを維持できなくなる人は、今後ますます増えていくでしょう。そんな人々に寄り添い、励まし、社会復帰の手助けをする仕事に必要なものは、作業療法士の技術を「力」とするなら、患者さんへの支援は「愛」であり、まさに「力愛不二」の実践なのかもしれません。また、その実践の中には、金剛禅の目指す「自己確立」と「自他共楽」の教えが重なっていると思います。彼が17歳でその道を志し、途中で投げ出さずにここまでこれたのは、少林寺拳法を経験して、彼の考え方の根底に金剛禅の教えがあったからではないでしょうか。以前、進路について私は彼に「自分の仕事によって人からありがとうと感謝されるような仕事に就きなさい。」とだけ伝えたことがあります。結果的に間違ってはいなかったのかなと思います。
 そして、道院に一人残された私は、今でも齋野道院長先生をはじめ、良き先生方のもと楽しく修行しています。当時幼かった子供たちの入門により少林寺拳法とのつながりを持たせてくれた「架け橋」を大切にし、これからも福島桑折道院で金剛禅の修行を楽しんでいきたいと思います。
(福島桑折道院 仲野 剛)

ストレスは成長のチャンス?

ストレスは成長のチャンス?

【開祖、宗道臣語録より】
 能力が最初からあるやつなんてのはね、少ないんだ。ほとんどは努力でいくんです。やらん先にあきらめるな。

 ストレスという言葉があります。もともとは工学の世界で、物体に力を加えた時に、物体がその力に対抗しようとする力が生まれ、この応力がストレスなのだそうです。
 考えてみると人間は必ず何かのストレスにさらされていることに気づきます。暑さ、寒さ、空腹、病気、ウィルス、望まない人間関係、動けば疲れる・・・。釈尊(お釈迦さま)が「人生は本質的に苦である」といったのも解かるような気がします。しかし人間は、それらのストレスと向き合い、対処してきたのも事実です。寒いときには暖かい衣類や暖房、病気やウィルスに対しては、長い進化の歴史の中である程度の抵抗力を持っています。人間関係もなんとか対処していますよね。そう努力することで克服してきましたし、自然に対処する力が備わっています。
 みなさんも思い出してみてください。一度乗り越えたストレス(困難、問題)はもうストレスと感じません。乗り越えた時に「成長」していますよね。そう考えるとストレスは成長させてもらえるチャンスかもしれません。「やらん先にあきらめず、努力でいくんです。」

【注意】体調を崩すほどのストレスを感じているのでしたら、すぐに専門家や信頼のおける人に相談してください。ここでは軽いストレス状態のことを取り上げており、対処しきれない状態の方にエールを送っている訳ではございません。

【ヒント】ストレス状態がなかなか打開できずにいる場合は、体を動かしてみてはいかがでしょう。体を動かせばストレスになりますが、その後休めば必ずリラックス出来ます。解決のヒラメキはリラックスの時に訪れやすいです。種々のストレス改善に、運動後のリラックスを活用しましょう。(ぜひお近くの道院にお越しください。)

共通の目標

共通の目標

【開祖、宗道臣語録より】
 大勢の人が寄り集まって一緒に仕事をしていると、何もかもが一致するなんてありえない。でもどこかで共通点、しかも極力いい方の一致点を見出し、そこへ向けて皆が力を合わせていくようにしたら、もっと楽しく気持ちのいい職場がつくれるはずです。(1975年1月)

 職場とか地域、クラス、サークル等何らかのグループは複数の人々が集まって成り立っています。おのおのは、育った環境もそれぞれ違いますし、年齢、性別、癖、性格等も全て違っています。そのため同じグループであっても、ともすれば全員がそれぞれの考えで、異なった行動をしてしまい、バラバラになる恐れも当然あるでしょう。その中で協力して取り組むことが楽しい場合もあれば、全く逆に、皆のために努力することや、同じグループにいること自体が苦痛な時もあります。一体この違いはどこからくるのでしょうか。
 いろいろな理由があると思いますが、例えばその一つに開祖の言う「極力いい方の一致点」があるのかもしれません。
 職場の上司や、先生、コーチに「力を合わせて協力しろ」「仲良くしろ」と言われることは多いと思います。しかしそれを解ってはいても、なかなか実行に移せないことがままあります。こんな時、共通の目的や目標(一致点)があれば、自然と全員が同じ方向に向けることがあるのではないでしょうか。ゴールが同じになれば、グループ内で互いが相手を打ち負かそうと思ったり、傷つけたり、苦しめたりすることはほとんど無くなるはずです。意見が対立しても、戦うのではなく、より優れた答えを導き出そうと努力する方向に力が向かうはずです。
 こうなるとわざわざ相手と理解し合う努力をせずとも、自然と全員が納得し、共通の目標に向けて最高の協力体制ができると思います。そんな協力体制でみんなが力を出し合っていると、その過程でお互いが理解し合え、その理解は相手の欠点を見るのではなく、長所を認める理解につながることでしょう。
 全員で同じ目的・目標を持てるよう工夫してみてください。大きな目的も大事ですが、最初は具体的な目標のほうが取り組みやすいかもしれません。
 毎日そんな環境で過ごせたなら、楽しく気持ちいいに違いありません。
 Let’s“同じ目標”!

挑戦「小さなチャレンジ」

挑戦「小さなチャレンジ」

【開祖、宗道臣語録より】
 自分から何事かに挑戦する意欲のかけらもないのもいる。(中略)実際の年齢が40だろうが50だろうがかまいません。物事を本気で取り組める若々しい心、行動力を持つ人達が出てくること、私は本当に期待したい。(1973年8月)

 よく「失敗が人を成長させる」とか「成功こそ成長させる」という事を聞きます。どちらが正しいのでしょうか?条件付きになりますがどちらも正しいと思います。失敗してもくじけず、努力をつづけるなら必ず成長するでしょう。また成功体験は非常に大きな自信となり、あなたを成長させてくれることは間違いありません。しかしそのことに慢心してしまえば、新たな成長が止まってしまい、大きな失敗につながるかもしれません。
 どちらも成長につながるのであれば、大切なことは「失敗」か「成功」かではなく、「挑戦」したことこそが、大切なのではないでしょうか?
 どんな些細な事でも構わないと思います。今までできていなかったことや、できていてることでもあらためて意識し目標を定めたり、出来る範囲で小さなチャレンジをしてみませんか。
 達成できるまでチャレンジ、達成できれば新たなチャレンジ!
 チャレンジの連続があなたの成長につながり、本当の豊かな生活を与えてくれると信じます。

 何もチャレンジしないあなたには、大きな変化は起こらないかもしれません。しかしチャレンジを続けるあなたには、達成させるような何かが起こる可能性が高くなることでしょう。ダーマは個々の関係性に働きかけ、影響を与えます。あなたのチャレンジが正しいものなら、必ずや良い変化が訪れることでしょう。