豊橋道院は、今年で設立53周年を迎えます。また、令和の幕開けと同時に、集合道院制度を活用して、新しい形で運営をスタートしました。現在、私は参与道院長として週4日の修練日のうち土曜日の指導に携わっています。
参与道院長となったきっかけは、先代道院長である徳嶋繁先生が突然ご逝去されたことです。2017年8月に道院設立50週年式典、10月に達磨祭を実施し「まだまだがんばる」と言っていた矢先、1週間後の愛知大学少林寺拳法部創部55周年式典を挙行している最中に卒倒され、そのままお亡くなりになったのです。まるで先生の美しい技を見ているかのような一瞬の出来事で、これまでのお礼やお別れのご挨拶などをさせていただく時間はありませんでした。大学の部活動で少林寺拳法に出会ってから、ずっと追いかけてきた存在をこのような形で失ったことは、今でも言葉になりません。それと同時に道院長不在という苦しい現実を突き付けられました。予期せぬ訃報から皆が大きなショックと悲しみを抱えながらも、道院を維持しておりましたが、去る人もいて存続が危ぶまれました。私は先生に教わったことを途絶えさせず後進へつなぐことと、私たち拳士や地域の人にとってもかけがえのない道院を守り伝えることが、何よりの供養であり報恩となるとの考えに至り、豊橋道院を無くしたくないと強く思いました。そして道院の仲間から山本拳士が道院長に石川拳士と私が参与道院長となり、古西副道院長とも力を合わせて道院を運営しています。私一人で道院長として頑張るには自信がありませんが、3人が道院長の立場で互いに協力できるなら、ぜひ関わっていきたいと思いました。
私たちの大切な豊橋道院は徳嶋先生のご自宅が専有道場ですが、ご家族の方からも末永く使ってほしいとご要望をいただいております。先生の「いつでも誰でも気軽に来て稽古ができる場所にしたい」という思いや志をしっかりと次世代へ伝えなければいけません。
皆と一丸となって新しい豊橋道院を築いていきたいです。
(豊橋道院 田頭裕子)
今年も春季大学連盟本部合宿に参加しました。今年は少林寺拳法記念館(五畳半道場)を見学できると案内があったので、最終日解散の後、同じ大学の仲間と時間が許す限り見学しました。
“狭い道場”と漠然と予想していたのですが、本当に普通の民家の一室であったことには少し驚きました。六畳間に半畳の祭壇(と言っても押入れの上部)があり、道場と言える部分は本当に五畳半でした。職員の方から「当時は廊下(ほんの2~3メートル)で待っていて、開祖の「次」という言葉で道場に入り、一人ずつ指導を受けていたそうです。その後は他の門下生と外で修練を積んでいて、時には一緒に食事し夜遅くまで語り合っていたそうです。」と説明を受け、創生期の少林寺拳法の苦労と工夫、そして開祖と大先輩達の熱い思いを想像することができました。また“僕たちは恵まれている”とも感じました。道院で少林寺拳法をしていたときも、現在大学で少林寺拳法しているときも、広い道場で修練ができることが当然のように思っていましたが、実は凄くありがたいことだと感じました。
私は小学校1年生のとき道院に入門し、その後も高校、大学と少林寺拳法を続けていますが、大学を卒業すると就職し、新社会人として今までのように修練を続けることが困難になることもあるかもしれません。しかし、可能な限り修行に取り組み、人づくりの道に携わっていきたいと思いました。
(追手門学院大学 大城 浩司)
2018年6月13日、大阪伊吹道院の片山貢拳士(少導師、准拳士、初段)に新しい家族が誕生しました。長男(小3)7級、長女(小1)7級、次男(3歳)も見学中で、まさに一家揃って少林寺拳法ファミリーです。この度、そのファミリーに三男が加わったのです。奥さまより「近くの神社へお宮参りにいく代わりに、伊吹道院で出来ないかしら?」とお話があり、「これは素敵な話だ」と思い、すぐさま伊瀬道院長に相談し、「よし、やろう!」と快諾をいただきました。
お宮参りにちなんで“道院参り”と名付けた儀式を8月4日(土)、導師を伊瀬道院長、脇侍を松井副道院長が務め、片山家一同と拳士会会長、道院の拳士が参列して執り行いました。お婆様の腕の中には赤ちゃんの安らかな寝顔があり、道院の仲間からのご祝儀が祝い着に結びつけてあります。(関西地方のお宮参りにおける風習)儀式の奉納演武は片山貢拳士の長男長女により行われ、兄姉の弟のための真剣な気持ちが微笑ましく伝わってきました。また伊瀬道院長の法話を聞きながら新しい命の誕生を厳粛に受け止めつつ、新しい仲間の誕生を喜ぶことができました。厳かな中にも温かさを感じる幸福な一時でした。
新しく生まれた命のため家族、仲間が道院に集まり、健やかな成長を祈念するということは今までにはなかったと思われます。しかし命の尊さ、喜びを感じる素晴らしい取り組みで「やってよかった」と皆が感じました。
これからも伊瀬道院長を中心に、道院の仲間を大切に、家族を大切に、まさに伊吹ファミリーとして精進して参ります。
(大阪伊吹道院 道場長 高田大輔)
愛知吉良道院と岡崎中部道院の入門式が執り行われました。岡崎中部道院は私が入門した道院で、愛知吉良道院は現在所属している道院です。私も法衣と輪袈裟を着用して式に参列しました。普段の練習とは道場の雰囲気も違い、少年部の子供たちの緊張感が伝わってきます式次第に則り厳粛に進み、「小練すれば小成し、大練すれば大成する」と何事も一生懸命するようにと法話がありました。導師の言葉一つ一つにうなずいて聞き入る高学年の子供がとても印象的で、入門時の真っすぐな気持ちが見えてきました。
振り返ってみると、私の入門式は今から45年前、道院長と赤い飲み物で師弟盟杯を交わした記憶が蘇ります。あれから一時は休眠となりましたが、息子の入門をキッカケに復帰し、50過ぎて仕事も落ち着いてきた頃『1年くらい学生になるのもいいか』と思い、軽い気持ちで武専に入学しました。入学のとき卒業までに11年かかると聞いてビックリしましたが、逆に定年後も学校で勉強できる環境にうれしく思いました。
武専の入学がきっかけで、61歳の夏、妻を四国旅行に誘い、本山の見学に行き、「できたらここで1年、勉強したい」と言ってみたら、こころよくOKが出ました。この歳になると『亭主元気で留守がいい』と言うことだと思います。
本山での1年間はとても素晴らしい体験と多くの方との縁を頂きました。始めた頃はこの歳になるまで修行している今の姿は全く想像できませんでしたが、家族や周りの人たちのお陰でここまで少林寺拳法を続けることができました。
これからの人生も、護身練鍛、精神修養、健康増進に励んでいきたいと思っています。職場も現役時代とは全く違った職場ですが少林寺拳法同様に良い縁に恵まれとても楽しく仕事をしています。
少林寺拳法は私の第二の人生を充実したものにしてくれました、あとはいつか孫が一緒に練習に参加してくれるのを願うばかりです。
(愛知吉良道院 神道 良一)
僕は現在高校3年生です。小学校のときは、タドツスポーツ少年団に入会し、多度津中学校でも少林寺拳法部に入部しました。進学した高校には少林寺拳法部がなかったのでサッカー部に入部し、少林寺拳法は休籍しました。しかし高校2年生から復帰し本部道院で修練しています。
スポーツ少年団に入ったときは親のすすめでしたが、中学校では自分の意志で、スポ少の仲間と少林寺拳法部に入部しました。厳しい監督でしたが仲間との一緒の修練は楽しく、そんなに勉強したわけでもありませんでしたが、地元の進学校に合格することもできました。一生懸命修練できているときは不思議と成績も良くなりました。いま思うと、何かに集中できているときは、他でも集中できていたのかもしれません。高校3年生になり、大学受験を控えていますが、高校受験のときと同じく少林寺拳法により集中することで、勉強にも良い効果がでるよう取り組んでいます。もちろん勉強もこなしており、志望校に合格するレベルは維持できていると思っています。
本部道院で修練するようになって、今までと断然違うのが「自分で考えて取り組む修練が楽しい」ということです。中学では監督の指導のもと修練をしますが、今は自ら考えて修練し、向上するしかありません。難しいことですが、アドバイスしてくれる先輩方も多く、多様な意見をいただけるので、(人によって多様な取り組み方があり、さらに上のレベルがある)奥の深さを感じますし、より成長できる可能性を感じ、とにかく楽しいです。
時々、金剛禅読本を読み返すのですが、拳士として人間として“めざすべき人間像”を示してくれています。自分はまだまだ未熟で、修行も経験も不足していることを痛感させられます。こういうところは他の競技には無い、少林寺拳法の良さだと思っています。
大学は本部道院に通いながら通学できるところに行って、将来は教員をしながら少林寺拳法の指導者になるのが夢です。
(本部道院 山地 広大)
金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。
幼稚園年長の子どもを道院に通わせていますが、最初道院で“絵本の読み聞かせ“と聞いた時、道院は修練を行う場だと思っていたので珍しい試みだなぁと思いました。
しかし修練後などの短い時間ですが、仲間とお互いの体温を感じるほど肩を寄せ合って一緒に笑い、読み手の方に自然に体と目を向け、相手の話を熱心に聞いていることに気が付きました。なるほど少林寺拳法に通じるところがあるかも・・・と感じました。
絵本の読み聞かせのあった日は帰りの車中で、読んでもらった本の話を自分からしてきます。「どうだった?」と聞くと子どもなりの感想や気持ちを私に一生懸命伝えようと言葉にします。一度だけしか読んでもらったことのない話でも、しっかり覚えて帰って来るものなんですね。自然に語彙が増え、表現が上手くなったと思います。また、きれいで正しい言葉と、友達同士などで使えるラフな表現の言葉があることも分かってきている様子です。親も言葉遣いに注意しなければとも思いました。つい親が先回りしてしまいがちだったけれども「○○したらどう思う?」「どうなるかな?」と子どもに考え、想像させることを心がけるようになりました。(なかなか難しい部分ですが)
今、自分や他人を大事にできないことで、悲しい事件にまで発展することが多い世の中です。自分を大切にする心、他人を大切にする心を育てることが肝心だと思いますし、それが一番難しいことだと思います。子どもを見ていると読み聞かせの後、何かしら心に響くところがあるようです。これからも少林寺拳法と絵本の読み聞かせを通じて、少しでも温かく、柔らかい人に育ってくれたらいいと思います。
(福岡大野城道院 瀬戸山隼門の母)
金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。
「オレ、少林寺拳法をしていて良かった。以前はクラスでも周りにビクビクして、学校が面白くなかった。けど今は、自信ができて、友達もできて、学校が楽しくなった。ありがとう。」ある日、高校一年生の息子がこんなことを口にしました。「良かった」と感慨深いものがありました。
私たち父子は、2013年に揃って入門し、現在は共に准拳士初段の允可を受けております(私は少導師の辞令もいただきました)。そもそも入門のきっかけは、息子が控えめな性格で、いつもオドオドとしているような子だったので「何か武道でも」と思い検討しておりました。色々見学に行きましたが、格闘技という色が強く、息子ではついていけないのではと危惧していたところ、和気藹々と修練している少林寺拳法に出会い、父子で入門を決意しました。
4年間一緒に修行した道のりを振り返ると、息子がしっかり成長してきていると感じます。芯ができ、善悪の判断がきちんとでき、自制心がつき、やるべき時にはやりきる強い心も養われています。父親として息子の心の成長は嬉しい限りです。
周りの親からは「高校生にもなると、会話なんてほとんどないよ」とよく耳にします(私自身もそうでした)。しかし私たち父子は、一緒に少林寺拳法をすることで、自ずとコミュニケーションがとれます。この先数年で自立し、コミュニケーションの時間は減るかもしれません。しかし、“道院という同じ空間で修行し、時間を共有する”という積み重ねが、態度は不器用でも、たとえ離れていても、心でお互いを尊重しあえる関係を続けさせてくれると確信しています。
“拳で語る 心で語る 言葉で語る”
少林寺拳法は我が家の父子をつなぐ最高のツールです。
(愛媛宇和道院 和田 進也)
金剛禅総本山少林寺では隔月で広報誌「あ・うん」を発行しております。その中の投稿記事「一期一笑」をご紹介させていただきます。金剛禅を修行する門信徒や関係者の心温まるエピソードをご覧ください。
本山仁王門、43年前に初めてくぐり、今回数十年ぶりに合掌礼をすることができました。少林寺拳法創始70周年記念事業のブルースカイキャンパスin多度津に参加するため、齋野道院長はじめとする道院幹部6人で帰山したからです。
「お帰りなさい」と迎えてくれた本山職員は、学生時代の一年後輩でした。門と人が温かく迎え入れてくれる“これぞ本山”。福島県から7時間の疲れも消え、すでに元気をもらいました。昔、開祖が法話で「砂の様な人間にはなるな」と語られていたことを思い出しました。居眠りなどせずよく聞いておくべきだったと悔やまれます。
思い起こすと、私が少林寺拳法を始めたのは、大学時代の先輩から甘い言葉で誘われたのがきっかけで、ここからは想像に難くない、とんでもない體育會(体育会)系部活が始まったのです。しかし今まで続けられたのは、関東学生大会での組演武優秀賞の成功体験と、4年間の苦労をここで終わらせたくなかった事、少林寺拳法を通じて出会った人々の繋がりが自分を変えてくれることがあったからです。齋野道院長はじめ諸先輩や同門拳士の方々は自分の未熟さを気付かせてくれます。福島県の方々は武専や行事で仲間であることの楽しさを教えてくれます。何より家族の支えは大きなものです。改めて自分を取り巻く全てに感謝です。
娘は福島で三段の允可を受け、愛媛県宇和島市に嫁ぎました。遠くへ嫁に出した不安もありましたが、宇和島道院に転籍し濱田道院長のもとで四段の允可を受けたようで安心しております。不安を解消してくれたのは少林寺拳法を通じた横のつながりでした。孫娘も上が三級・下は見習いで頑張っているようで、福島の爺さんとしてはうれしい限りです。いつか三世代で演武をするのが楽しみです。
親子三代、先輩後輩の縦の架け橋、道院同士や仲間同士の横の架け橋、そうして70年かけて織りなされたものが少林寺拳法だと思います。そうした仕合せが繋がっていくことを願います。
(福島桑折道院 田本 良文)