金剛禅総本山少林寺

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自分を「幸せ」にする方法

自分を「幸せ」にする方法

【開祖、宗道臣語録より】
自他共楽・・・他人と一緒に楽しもう、「幸せ」になろうではではないか、という考え方です。(中略)少なくとも社会に何かを奉仕することを考えようではないか。(1969年10月)

 新しい年度がはじまりました。希望を胸に新しい生活をはじめた方も多いでしょう。また、今までと同じ環境で頑張る人、異動等で環境が変わる人、中には就職活動中の方もいらっしゃるかもしれません。今回は就職活動している方へのエールを通してどのように考えて頑張れば、より幸せを感じることができるかを考えてみましょう。すでに社会人の方は「そうそう、あの時このことがわかっていなかったなぁ」と思えるかもしれません。全ての方にこの内容が少しでもお役に立てれば幸いです。
 就活中のみなさん今「自分は◯◯に就職したい」「自分はどこに就職できるか」と考えていませんか?少し視点を変えて「企業はどのような人材を採用したいか?」と考えてみましょう。「優秀な人材」であることは間違いないです。では「どのような人材が優秀なのか?」。企業には必ず理念があります。多くの場合その企業が提供する財やサービスで「社会に貢献する」となっています(またはそれに近いニュアンス)。企業や団体は「社会に貢献する場所」であることを理解してください。つまり他の誰かを笑顔にして、その笑顔を見て自分も笑顔になる。企業は誰かを笑顔にする手段にそれぞれ特徴があるだけなのです。
 おわかりいただけたと思います。「優秀な人材」とは企業の理念を理解し、その実現に全力をそそぎ、成果(笑顔)を出してくれる人材です。企業の理念や特徴とあなたにとっての「喜び」「幸せ」が通じていれば採用される可能性は高くなると思います。(企業が専門知識を必要としているなら、その知識があることが前提となりますが。)
 私たちは「幸せになりたい」と常に思っていますが、殆どの人が「自分がどのようになれば幸せになるか」を理解しているわけではありません。明確に自分の幸せをイメージできる人は少ないかもしれません。しかし開祖の言うように「他人と一緒に楽しむ」「社会に奉仕する」を心がけていれば、いつかあなたにとっての幸せを感じる日が来ると信じてください。

金剛禅では「人は宇宙のはたらきの一つ」、つまり人や物質(個々)は一体である全体(宇宙)の一部と捉えています。私たちは自分以外との関係性の中でしか存在しません。だから自分だけが幸せになることはなく、周囲が幸せになったとき自分も幸せになっています。(ダーマは全体であり、個々もダーマであり、個々の関係性もダーマです。)

無理なく取り組むプラスα

無理なく取り組むプラスα

【開祖、宗道臣語録より】
自らの人格の変革、生き方の変革を通して、生きがいのある人生に挑戦してみたらどうだろう。(1972年9月)
※宗由貴師家のことば:変われる自分を信じなくちゃ新しい自分に出会えない。

 よく生命の進化の過程の話で「最も優れたものが生き残るのではなく、最も環境の変化に適応したものが生き残る。」と言われます。
 スキージャンプワールドカップの、最年長表彰台記録を更新し続けている葛西紀明選手も、「変化することを恐れないので続けてこれた」と大胆なフォームの改造にもチャレンジし続けているそうです。
 ここで「変化すること」について少し考えてみましょう。
 変化については釈尊(お釈迦様)も2,500年前に「諸行無常(この世のに存在する全てのものは常に変化し続けており、決して同じ状態で留まるものはない)」と説かれています。心や社会、物質も必ず変化しています。社会を見渡すと、今まで経験したことがないような気象が続いたり、電話の形態も携帯電話になりスマートフォンに変わっていることに気付きます。同様に、私たちの心や体も少しづつ変化していることでしょう。
 私たちが「自分を変える」と言ったとき、それは「より良く変わる」事を指します。しかし一念奮起して変化を目指しても、それに伴うストレスに耐え続け、困難を乗り越え、ついに自身を変革できる人はそう多くないかもしれません。(そのようにできれば素晴らしいですが。)
 やはり多くの人は、簡単に自分を変えることは出来ないのでしょうか。否、決してそんなことはないと我々は考えます。一日一日の変化はわずかでも、1年後、数年後に振り返るときっとその変化はあるはずです。
 大切なことは「習慣」を変えることではないでしょうか。無理なく取り組めるプラスαを作るのです。例えば、挨拶する声をいつもより大きくする。朝5分早く起きる。子どもの話は全部終わるまで聞く。少し意識をすればすぐにでもできることですし、習慣の継続に努力はわずかです。努力の薄紙を一枚一枚重ねていくがごとく、しかし今までしていなかったことを実行していくので、あなたの生活に確実に変化がおきて、将来においてあなたの生活を大きく変えて、幸福をより多く感じていることでしょう。

 「小さな変化」が「大きな結果」につながるのは、多くの人の感情や行動が複雑に関係しながら未来につながっていく。未来を作っているのも「ダーマ」のはたらきです。

なるようにする

なるようにする

【開祖、宗道臣語録より】
思うようにならない人生を、思うようにしたいと思うからいかんのであって、なるようにしたら、なるようになる。

 皆さんご存知のように大相撲初場所、琴奨菊関が優勝しました。多くのテレビや新聞のインタビューの中で、私達も見習わないといけない言葉がありました。「どうして優勝出来たと思いますか?」の質問に対し、「今までは勝とう勝とうとして思い通りにならなかったが、自分のやるべきことをしっかりやり土俵に望めば結果がついてきて自信ができた。それが良い結果につながったと思います。」(勝つためにあれこれと沢山のことを考え対応しようとしていたが上手くいかなかった。しかし自分の得意で自信のある「がぶりより」に磨きをかける練習し、本番では平常心を心がけると上手くいくようになった)とおっしゃっています。フィギュアスケートの羽生結弦選手も歴代最高得点をとったとき「とにかく一生懸命、きつい練習をこなしてきた。」と語っています。結果を求めるならそのプロセスに自信が持てるほどの努力が必要なのでしょう。
 仏教には「求不得苦」という教えがあり、求めても手にはいらない物があるのは、人間としてどうしようもない苦しみの一つとされています。もう一方で「因果の法則」というものがあります。これは結果にはそれ相応の原因が必ずあるという教えです。開祖はこのようなことをふまえて、「思うようにしようと思って、思っているだけやガムシャラに行動してもだめだ。でも目的に向かって正しい考え方と努力を積めば、それが十分に蓄えられたとき、なるようになる。」と言っています。
 目的や目標を掲げたならそれを達成するプロセスを考え実行することが大事なのではないでしょうか。

 「因果の法則」にあるあらゆる結果(現象・状態)は、多く原因が複雑に関係しながら導いている。この関係性そのものも「ダーマ」のはたらきです。

九転十起

九転十起

【開祖、宗道臣語録より】
 人生という物差しで見たら、5回失敗しようと10回頓挫しようと、どうということはないし、心を変えずにいたら、あるときポッと出来るかもしれない。(1974年3月)

 昨年は二人の日本人がノーベル賞を受賞され、その快挙がテレビや新聞で連日紹介されました。
 さて、その栄えある賞を受賞された医学・生理学賞の大村智さん、物理学賞の梶田隆章さんお二方に共通する事があります。それは、「光栄です。」と喜ばれてはいますが決して自慢はされていません。そして関係する方々への感謝の気持ちを必ず述べられています。(これは過去の受賞者全てに共通しているようです。)
 恐らく何年も何十年もの間、試行錯誤や失敗を繰り返し、気の遠くなるような努力を継続されてきたことでしょう。その研究を続けてこられた思いのひとつには、自分の研究がきっと「社会に貢献できる」という強い信念があったからこそ、皆からも支えられ、くじけず続けてこられたのだと思います。そんな信念に基づき(心を変えず)努力を続けてきたからこそ、(あるときポッと)それに報いるような研究成果にたどり着けるのでしょう。世界から賞賛されるのはあくまで結果なのです。
 これらの事には、私たち金剛禅が大切にし、広げようとしているものと合い通じることがたくさん含まれています。
●誰かを笑顔にする志(信念)を持つ
●志に向かって行動する
●何度失敗しようがへこたれない
●謙虚な姿勢で感謝の気持ちを持つ
 さあ2016年のはじまりです。今年は身近な誰かを笑顔にしてみませんか。笑顔が増えるほどあなた自身が楽しい気持ちになるでしょう。

正しい目標を持ち、努力していると、きっと努力が報われる気付きや、発見があります。これは思いや行動が未来や結果につながる「ダーマ」のはたらきがあるからです。

備考
●大村さんの開発した薬は3億人以上の方を失明の危険から救っているそうです。3億人の人々の不安を取り除き、笑顔をとどけているのです。
●梶田さんの発見したことは、宇宙の成り立ちという人類の謎を解き明かすことに役立つかもしれないそうです。将来科学者を目指す多くの人たちがワクワク、ドキドキしているかもしれません。

可能性の種子

可能性の種子

【開祖、宗道臣語録より】
人間は誰も「可能性の種子」として存在する。着実な日々の修練に加えた向上心があれば、そりゃ、多少の個人差がはあるにしても、人間というものは必ず進歩・前進していく。(1974年8月)

みなさんよくご存知の「ウサギとカメ」の寓話は、油断したウサギが競走に負けて、着実に進んだカメが勝つというお話です。
このお話には様々な教訓が含まれていますが、一つの捉え方に「相手を見ていたウサギ、目標を見ていたカメ」ということが言えます。そして私達金剛禅教団も、同じような考え方を大切にしています。少林寺拳法は勝敗を競う(相手を見る)ことはありません。どれだけ上達したか(目標を見る)に重点をおいています。言い方を変えると、「ライバルは昨日までの自分」です。
開祖は「可能性の種子」という言葉で私達一人ひとりが、必ず(幸福に向かって)進歩・前進していくことを示してくれています。誰もがその可能性を持ているのですが、しかしその可能性を開花させる人もいれば、残念ながらそうでない人もいることも事実です。
果たしてその差は、生まれ持った個人の能力差や才能の大きさなのでしょうか?
私たちは、その差を「可能性を信じている=目標を持ち、必ず達成すると信じ、行動している」かどうかだと考えます。将来の自分をしっかりイメージし、その実現を目標とし、少しづつでも昨日より前進しましょう。前進していることを実感できればそれはやりがいとなり、楽しく感じることができます。そして楽しいと周りに人が集まり、集まった人たちと目標を共有できれば、実現するのも時間の問題です。
さあ、みなさんも将来の自分を想像してみてください。「目標は将来の自分」と言えるならば「可能性の種子」はもう芽を出しています。

正しい目標を持ち、正しく努力していると、共感してくれる人がきっと現れ、仲間が増えます。これは自身の思いや行動が周囲と影響しあう「ダーマ」に惹きつけられ、より増幅するはたらきがあるからです。

あの人のために

あの人のために

【開祖、宗道臣語録より】
私は若いときに、「あの人のために」という、その気持ちがいちばん大事とわかった。それで一生懸命してあげる。それで相手が喜ぶ顔を見ると嬉しい。それだけでいいんで、相手からは何も望まない。けれども、結果として相手も自分のために一所懸命してくれる。(1976年10月)

 

人は誰でも将来の夢を持っており、またはそんな夢を持っていた時期があるはすです。ところが実際には、夢がかなう人とそうでない人がいます。
いつしか違うことに夢中になったり、目まぐるしい毎日からいつの間にか忘れてしまったり、また残念ながら途中で諦めてしまった人もいるかもしれません。しかし、何度くじけてもへこたれず、努力を続け、ついに実現した人もいます。この違いはいったいどこにあるのでしょうか?
こんなことがいえるかもしれません。“自分のための夢にとどまらず、自分以外の『人のため』になるより大きな夢を持つことで、その実現する力も大きくなる。”
例えば「将来お医者さんになりたい」より「将来お医者さんになって、病気の人を治して喜んでもらいたい」の方が、目指していることが具体的に『人のため』になっています。自分以外の誰かのために頑張るとき、くじけることはできません。そしてこのようなときこそ人は本当に成長し、強くなるのです。
自分の努力に対して見返りを求めず、相手の嬉しそうな笑顔を見るためだけに頑張ることができる人。そんな人の周りには必ず自分と同じような人が集まります。互いに見返りを求めず応援し合い、頑張りあえ、くじけそうな時もともに乗り越えられる、そんな「夢が実現しやすい」環境が自然と生まれるのです。
自分の人生を幸福にできる可能性がこんなところにもあります。是非将来のことを考えるとき、自分だけでない、ほかの誰かが笑顔になるところまで想像してください。子どもたちであっても決して難しいことではありません。「自分にできる、みんなを笑顔にできる」というところまで導いてあげてください。

誰かを幸福にすると、結果自分が幸福になる。自分の幸福を求めても、なかなか幸福になれない。これは自身の思いや行動が、周囲と影響しあう「ダーマ」のはたらきに、人の思いの強さに併せて増幅したり、それが自分に返ってきたりする習性があるからと我々は信じています。

自分との約束

自分との約束

【開祖、宗道臣語録より】
恥を失った人間はダメなのです。恥ずかしいということを意識できるような人間になる。そして、自分がそうであるように、他人にもそうなってもらえるように影響をあたえる人生、これが尊敬される人生につながるのです。
バカにされず、胸を張っていられる生き方は、金や勲章ではないのです。人間関係の中で、いつでも恥ずかしくない人生を生きること。(1978年3月)

少し難しいですが「戒律(かいりつ)」という言葉があります。戒律のはじまりはお釈迦様(釈尊、仏教の開祖)の時代にさかのぼります。修行する集団の一員として守るべき規則を“律”として定めました。“戒”は修行するうえで自分を制する誓いのことです。
“戒”は「◯◯する」または「◯◯しない」という自分との約束のこととも言えます。例えば“挨拶をする”“優しくする”“ポイ捨てはしない”“子供の前でイライラしない”等です。国や宗教、家庭によって異なることもありますが、“恥ずかしいこと”とはこういった“戒”を犯すことと考えるとわかりやすいかもしれません。
現代を生きる私達にとって、法律を犯さないことは当然のことです。しかし“戒”を持ち生きているでしょうか?ともすると「罰せられなければ何をしても良い」と勘違いしている人もいるかもしれません。
こういった“恥ずかしいこと”をしないで暮らしているとどうでしょう?他人から悪く思われたり、言われたりすることが無くなるので、きっと怒りやイライラも少なくなるでしょう。そして自然と自信も持てるはずです。結果として周りの人から一目置かれ、信頼もされるようになるでしょう。さらには周りの人が見習うようになります。こうして次から次へと影響していき、あなたの小さな努力が豊かな社会につながっていくのです。
誰かが見ていようと見ていなくとも、自分で決めたことを守る。誰にも迷惑をかけずに頑張っている人は尊いのです。
さあ、たった今から何か小さな約束を自分としませんか!

小さなことでも悪い事を続けると、巡り巡って大きな悪いことが自分に降りかかります。逆にどんなにささいな事でも良いことを続けていると、いつか大きな良いことにつながります。これは思いや、行動は周囲と影響しあう「はたらき=ダーマ」があるからです。

あきらめない!

あきらめない!

【開祖、宗道臣語録より】
「何というか、簡単にあきらめているんだよなあ、俺はもうダメだ、死んだほうがいいって。(中略)とにかく生きていなきゃいけない。(中略)だれでも死ぬときは死ぬ。でも、生きている間は死んでいないんだ。で、負けたのでもない。死ぬまでは、生きている間は負けたんじゃないんだから。とにかく一生懸命生きていこう。どんなことがあったって、いつかは立ち直れるんだ。」(1978年5月)

人生の中では必ず苦しい時がやってきます。本当に辛く、耐えられない日々が続くこともあります。くじけそうになるかもしれませんし、泣き叫んでしまうかもしれません。でもここががんばりどころです。嵐の時、船は風や波に向かって舳先(へさき)を向けます。そうしないと横から風や波を受け不安定になったり、転覆するおそれがあるからです。このように苦しい時ほど(辛いですが頑張って)苦しさの原因に向き合うことが肝心です。目を背けるともっと苦しくなります。そして自分で直せる部分に気づくことができれば回復に向かいます。さらにその原因に対し「仕方なかったんだ、もう憎んだり、恨んだりするのはやめよう」と思うことができれば復活も近いです。

あなたは1年前どんなことに苦しんでいたかを覚えていますか?今の苦しみも1年後には忘れているようなことかもしれませんね。またのり越えられない苦しみはやって来ません。一人では無理でも必ず助けてくれる出会いや、きっかけがあります。

命さえ大切にしていればきっと幸せになれる。あなたは将来幸せになるように生まれてきたのです。自分の幸せになる可能性、今の状況が変わる可能性、自分自身が変わる可能性を信じて、決してなげやりにならず、正しく、素直に生きていきましょう。だって苦しんだ人ほど、歯をくいしばって努力した人ほど強く、優しくなれるから……あなたの大切な人が悲しんだり、苦しんだりした時、大切な人を笑顔にする力が増すのです。大切な人の笑顔を見るのは幸せですよね。苦しかった日々が誇りに思える日が必ず来ます。

※私たちの心には、草や花が自然に太陽の光へ向かって伸びるように、明るい方向へ向かってこそよりよく成長したり改善する「はたらき=ダーマ」が備わっているのです。あきらめず、へこたれず前に向かってすすむ事が大事です。

素直に生きる

素直に生きる

【開祖、宗道臣語録より】
両親に対して感謝の気持ちを伝えることや、彼女に優しい言葉の一つでもかけられるようになれよ、本当に。そうしたら、人生は本当に変わる。私がそうだったんだから、間違いないぞ。(人生を良く変えるのは)ほんの一言でいい。ほんの数秒で転換できるんだぞ。こだわるからできないのである。素直に生きてくれ。楽しく生きてもらうことを希望します。(1975年9月)

私たち金剛禅では、「人がよりよく変われることを信じる」ということを大切にしています。日々の修練での易筋行や、道院長からの法話(教え)も、何らかの“気づき”を得て変わることの「キッカケ」なのです。日々の生活すべてを修行の場ととらえていることも、すべてが「キッカケ」を得る場所だからです。
では、どのようにすれば「よりよく変われるのか?」……簡単ではないかもしれません。そこで開祖は、そのヒントを残してくれています。上記のように、周りの人に一言でいいから“優しい言葉”をかけるように教えてくれています。しかし実行するのは意外と恥ずかしかったり、照れくさかったりするかもしれません。だからといって大切な人に自分の思いを伝えていないということは、とても残念なことです。

例えばお母さんに「今まで色々とありがとう」と伝えたとしましょう。目の前にいるお母さんは昨日までのお母さんではなく、“感謝されたお母さん”がいることになります。
もしかしたら、昨日まではあなたのことが心配でしかたのなかったお母さんが、あなたのことを安心して見守ってくれるお母さんになるかもしれません。自然とあなたへの接し方が変わり、そのことによってあなた自身も、自信や勇気が湧いてくるかもしれません。

このように「よりよく変わる」ということは、自ら変わろうとする努力だけではなく、自分の周りの環境を変えるということも、自分自身の変化につながるのです。あなたのほんの一言で。
恥ずかしさや照れくささといった、ちっぽけなわだかまりを捨て、素直になれば、素直にさえなれば、言葉は出てくるものです。素直になるほんの数秒の頑張りが必要なだけなのです。金剛禅では、そのようにすれば楽しく生きていけると教えています。早速あなたのまわりの大切な人に、あなたの素直な思いを伝えてみませんか?

※金剛禅では、些細なことでもそれが影響し合ってより良いものになっていくことを“ダーマの働き”の一面と考えています。良い結果を求めるなら、より善い行いをする。決して悪い行いはしないことが大切です。

仕合わせ

仕合わせ

【開祖、宗道臣語録より】
今では、「しあわせ」を「幸せ」と幸の字を使うが、以前は、「仕え合う」という意味で「仕合わせ」と書いていた。「しあわせ」とは、仕え合う、与え合う、そういう気持ち、あり方をいうのではないか。人間らしい人間なら、それが本当だと私は思います。そして、それがわれわれの考え方である。(1966年10月)

「仕合わせ」という言葉には、「めぐりあわせがよいこと」「めぐりあわせ」「事の次第・結末」という意味があるようです。「しあわせ」は偶然の出会いからはじまり、または出会いそのもの、もしくはその出会いの結果が「しあわせなこと」につながるのではないでしょうか。

開祖はそのうえで「仕え合う」「与え合う」ことが人間らしい行動で、その行為を通じて「しあわせ」になることが、金剛禅の考え方だと説いています。

自分の財産・所有物の一部を分け与えたり、または自分の能力を人や社会のために発揮する。逆に、自分にないものは分けてもらい、自分にできない事は手伝ってもらう。そんな関係の中で生きていけることは、とても「しあわせ」だと思いませんか。自分のものは大切にしまっておいて、いただくことばかりになっていませんか。それは互いに「仕え合う」ことができていない状態であり、つまりは「しあわせ」な状態とは言えないのではないでしょうか。

「自分には与えられるもの・力などない」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、与えるものはお金や物にはかぎらないのです。たとえば「やさしさ」や「笑顔」や「思いやり」も、とても大切で「しあわせ」になるための与えるものなのです。まずは「笑顔」や「やさしさ」を周りに与えられるよう、心がけてみませんか。はじめられたとたんに「しあわせ」が感じられるかもしれませんね。

私たちの活動拠点である「道院」は、集う者同士が互いに仕え合い、与え合える場所です。

少林寺拳法が修行できるのは、家族や近隣の方をはじめ、多くの方のご厚意に支えられているおかげともいえます。そのことに感謝し、人や社会に積極的に仕え合うことができる人間になることを目指しています。道院に多くの人が集い、しあわせを感じられることを願っております。