コラム

企画の小窓〜コラム〜

2017.07.03

一発目 復活!?ハマちゃん青タンプレゼント 

一発目 復活!?ハマちゃん青タンプレゼント 

 

 

今年、少林寺拳法は創始70周年を迎えました。

かつて「月刊あらはん」(以下あらはん)という少林寺拳法の機関紙が存在しました。その後「月刊少林寺拳法」「会報少林寺拳法」と誌名を変更しリニューアルを重ね現在に至っています。

私は1985年10月から2011年3月まで、これら機関紙の技術ページ担当デスクとして編集に係ってきました。

このコラムでは、私の機関紙編集者としての25年間を振り返り、様々な企画の裏話を中心に、時には脱線しながら紹介していきたいと思います。


〇本部の人間が編集部に必要だ


 私は少林寺拳法に入門し43年ほどになります。「ケンカに強くなりたい」そんな普通に単純な動機で入門した頃はまだ中学生でした。


「あらはん」という機関紙が創刊されたのは私が大学生の頃です。正直な話私は全く読んでいませんでした。面白いとも思っていませんでした。私にはまったく関係ない本だと思っていました。理由、とってもクソ真面目で堅苦しい本だったからです。


 私は少林寺拳法の「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」願う開祖の考えが昔から大好きでした。しかし「力なき正義は無力なり、正義無き力は暴力なり」という力愛不二の考え方にも大いに影響を受けました。要する、“強さとは何か”を深く考えることがないまま、“強くなる”のに一生懸命だったということです。


そんな私が御縁あって本部に入り、二年目の夏、私は突如東京勤務を命じられあらはん編集部へ配属されるという事態となります。


私が「あらはん」編集部に入る前の歴代編集長は、全て少林寺拳法の未経験者ばかりでした。


当時のS編集長から「あらはん」に拳士を引き付ける企画を掲載していくためには、少林寺拳法本部の中から編集長と編集員を育てる必要があるという提案がありました。


結局編集長としてMさんが、編集部員として私が香川の本部から、東京センター勤務となったのです。


 人は、自分が思った通りにしか生きていない、と言う考え方があります。


最終的に自分が進む道を選んでいるのは自分自身ですので、この考えは正しいと私は思っています。しかし自分が思ってもいなかった局面に遭遇し、思いもよらない展開が待っていることも確かです。


私が本部で勤務することになったのも、東京勤務となり機関紙の編集者として働くようになったのも、私がそうなりたいと強く願って実現したのではなく、逆らえない大きな流れに押し流されてそうなったような感覚です。


それから半年、日本エディタースクールに通い編集者としての勉強をしたり、先輩方の取材に同行して取材のコツを教えてもらったり、原稿の入稿から印刷、製本までの流れの理解を深めたりと今まで全く経験の無いことの連続で、実は、私結構面白かったのです。


その「あらはん」に「ハマちゃんの青タンプレゼント」という変なタイトルの私の連載が始まったのは1986年4月号のことでした。    (つづく)