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少林寺拳法グループ東日本大震災支援対策本部 東日本大震災への対応について-みんなでできること、わたしにできること-
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参加者の声

東京都少林寺拳法連盟(6月12日、陸前高田市での活動に参加)

『とにかく人を集めたい。』それが現地の声でした。6月12日早朝、大澤隆理事長はじめ東京都連盟役員・事務局を中心に15名のメンバーが陸前高田市に入りました。瓦礫の山といくつかの廃墟を残した一面の平地には、一同言葉もなく、ただ立ち尽くすのみでした。 この日の活動は、拠点に入られていた方々とともに田んぼにある瓦礫を田んぼの端に寄せることでしたが、1日かけても終わらず、徒労感に苛まれつつ、再生の希望を掘り起こし、いつの日か来る田植え・収穫の時を信じての作業となりました。 往復14時間、 東京での解散は深夜となり、強行な日程ではありましたが、実践を通じて少林寺拳法のこころを再確認することが出来、有意義な修行でありました。東京都連盟としては、継続こそは力と信じ、復興支援を行っていく予定です。

■支援対策本部陸前高田チームのウェブサイト

陸前高田での活動の様子

蕨市スポーツ少年団・山本正克拳士(6月4日~5日、陸前高田市での活動に参加)

6月4日~5日、陸前高田市での活動に参加した蕨市スポーツ少年団・山本正克拳士の声を紹介する。

「少林寺拳法災害支援・陸前高田チームの支援活動に参加して参りました。太平洋沿岸ぞいに、千葉から遠くは青森まで広がった大津波による、被害ははかりしれないものです。私の訪れた被災地は、宮城県石巻市に続く死亡・行方不明者が多い岩手県陸前高田市です。埼玉から一関を経由し、現地へ車で向かう途中、山間の景色は歌謡『故郷』を思い出すような懐かしい風景ばかりでした。
しかし一変、高台に来た時には、広い範囲一帯に戦場のようながれきの山々が私の視野に飛び込んできました。車が押しつぶされて転がり、家屋が崩壊し、がれきの山で埋め尽くされた光景に、言葉を失いました。

私はこの度、ボランティア活動に参加したいと情報を集めていた時に、埼玉早瀬道院の林先生から支援チームの活動をお聞きし、参加させていただくことになりました。

陸前高田の宿泊場所は、埼玉入間道院の畠山先生のご厚意により、陸前高田ボランティアセンターに程近い、公民館を利用させていただきました。
食料や水・スコップ・コンテナ・梯子などの一通りの道具類が揃い、安全靴・マスク・軍手・寝袋またトイレも常備された施設であり、ボランティア初参加の私にとって本当にありがたかったです。着替え等の、衣類さえ持参すれば、すぐにでもボランティアに参加でき、安心して活動することができます。

本部の方が、我々5名を温かく迎えてくださったことは、私にとってとても心強く安心感を得ることができました。ボランティアセンターには、全国各地から大型バスで参加している方々や、数名または、単独で参加されている方も多くみられました。総勢200名以上の方々が参加されていたように感じます。

ボランティア初日の活動場所は、広田町でした。陸前高田市ボランティアセンターから最も離れた場所のようで、車での移動中、テレビで報道されている地域の様子を目にするたびに、あらためて支援に来ている気持ちが高ぶり、目の前に広がる悲惨な現状に体が震えました。
現場では、がれきに埋もれてふさがってしまった側溝の泥掃きと、家屋の庭に集められた廃品・がれきの撤去です。
今回の参加者の中には、中学1年生の拳士のお母さんもいらっしゃいました。一生懸命に仕事をされる姿に、私たちの気持ちも引き締まりました。 側溝の中からは、食器・野菜・衣類・神棚の札など通常では考えられないものが泥にまみれて出てきました。また周囲には写真・通帳・棚・権利書などの重要書類等も散乱していて、全く人の手に触れられていない様子が伺えました。まさに、命からがら着の身着のまま逃げ出したということががれきからもひしひしと伝わってきました。

二日目の活動場所は、小友町です。がれきで埋め尽くされた畑の中のがれきの撤去作業と、集められたがれきの運び出し作業を行いました。少林寺拳法の一団の他、福島からチェンソーを担いでバイクで参加している方、富山から単独で参加されている方達とご一緒しました。
がれきをトラックで運ぶ際に、現地の方とお話する機会がありました。
軽トラックを運転されていた方は、地震後、すぐに避難したが慌てて家に戻り、車だけをもって高台に避難したそうです。すぐ後から迫って来る津波を尻目にぎりぎりのところで助かったといいます。『通帳・書類等を持ち出していたら命はなかった、、、』と。1960年チリ地震の時の体験も教えてくれました。
トラックを運転されていた漁師さんは、『今時分は蛸漁が最盛期だった、、、』と、大きいもので25kgもの大物もとれると仰っていました。大柄で太い腕、真っ黒く日焼けしたたくましい体をしたおじさんは、とてもやさしい目をしていました。
私は、短期間でのボランティアであったため、申し訳ない気持ちがありました。
『週末だけのボランティアなので、今日帰ります。大したお手伝いもできなくて、本当に申し訳ありません』と告げたところ、その方は、『ありがとう。みなさんがこうして来てくれるから、わしらも生きよう、頑張ろうという気持ちでいられるんだよ』と言われたときには涙がでました。

私が今後ボランティアに参加することができても、短期間の限られたお手伝いでしかありません。たとえ東京ドームの中に落ちている米粒を一粒拾うぐらいのお手伝いしかできなくても、私は今後も私にできることをやっていきたいと心に誓いました。

作業終了後には、皆さんと協力して夕食の支度をしたり、少林寺拳法談義で親睦をはかったりと、とても充実したひとときを過ごすことができました。

ボランティアに参加された先生方の全くぶれない、我々を導く姿をみて、私は少林寺拳法の目指す姿を見たような気がいたします。道場に帰ったら、ボランティア活動での体験を、子供達や保護者の方に報告し、支援活動を広めていきたいと思います。」

この度、参加し気付いたこと、考えたことがありましたので、今後のよりよい支援のために生かしていただけたらと思い、下記に記させていただきました。参考にしていただけたら幸いでございます。

  1. 『ボランティアが安心して活動できる、宿泊所があります!』その点を強調し、多くの拳士仲間に参加を呼び掛けよう!
  2. ボランティア拠点には絶対車が必要です。特に、軽トラ1台でもあれば活動がスムーズになると思います。
  3. 福井県から派遣の「チーム福井」の車が、ボンネットと横に大きくステッカーをはり、活動が際立っていました。ボランティアセンターでは、少林寺拳法の一団として感謝をされるお声を何度かいただきました。少林寺拳法の支援活動は、ボランティアセンターでも認められています。各自の支援車両には、少林寺拳法とわかるようなマグネットシールのステッカーがあればよいと感じました。
  4. ボランティア後に会社で、写真を見せて話したところ、参加に興味を示す友人がいました。支援枠を広げ、少林寺拳法関係者の知人・友人もこの活動の対象とすることで、より多くのボランティアを集めることができるのではないでしようか? しかし、本当に信頼のできる方であることを前提にしなければ、少林寺拳法の方にご迷惑をおかけすることになってしまうでしよう。慎重なご判断をお願いいたします。また、人が集まりすぎれば宿泊所の問題・けがや混乱を招くこともありえます。 支援者を多く集める手段・方法として、友人枠まで広げることも1案と考え、お伝えいたします。
  5. 直接現地の方とお話して気づいたことが、あります。ボランティアは私のように週末に来られる方がほとんどのようです。天候が雨でも、ボランティアの方は無理しても活動をする気力をお持ちの方ばかりです。しかし、被災者の方々は毎日が、先の見えないがれきの撤去等の復興活動をしておられます。雨の日や、天候が悪いときにはお休みしたいと申されておりました。全てにはあてはまることではありませんが、そういったこともあると知っておくことも必要と感じました。 ・雨で全く活動が出来ないときには、少林寺拳法にしかできない支援活動はないか? (センターの道具の片づけ、掃除、子どもたちへの体験活動など)長い活動の中には、必要と感じました。

山本拳士からの声にもあるように、被災地では長期的な支援が求められており、支援対策本部ではボランティアへの参加希望者を歓迎し、活動のサポートを行っております。

■支援対策本部陸前高田チームのウェブサイト

陸前高田での活動の様子
陸前高田での活動の様子
陸前高田での活動の様子
陸前高田での活動の様子
陸前高田での活動の様子