コラム

企画の小窓〜コラム〜

2017.08.18

三発目 いきなりの◯◯!

三発目 いきなりの◯◯!

〇いきなり学連委員長

1982年11月23日に日本武道館で開催された第16回全日本学生少林寺拳法大会当日の朝、関東Ⅱ部学生少林寺拳法連盟の委員長を務めていたD先輩が私の座席にやってきてこう言った。

「次のうちの連盟委員長は白濱君だから、閉会式で各連盟委員長の交代の挨拶よろしく。」

と突然告げられる。私としては「え~、何の話ですか???」である。

諸事情により次期委員長がなかなか決まらず、委員長交代当日の朝、いきなり何の事前の話もなく、私が次期委員長を引き継ぐことになってしまった。 

悩む暇もなく、その日の全日本学生大会の閉会式で「時期関東Ⅱ部学生連盟委員長の白濱です」と挨拶をしていた私でした。

その当時本部の学生担当を務めていたのが、現在、一般財団法人少林寺拳法連盟会長の川島一浩会長でした。

その当時川島会長は学生の悪習撤廃のために尽力されており、自分たちも微力ながらお手伝いする立場となりました。

右も左も分からないまま学連に係わりながらも、関東新入生合宿、各地区の学生大会、全日本学生大会等を通じ本部の先生方や各地区の学連委員との交流も深まり、少林寺拳法がさらに面白くなり好きになりました。


若き日の白濱(左)と現川島会長(真ん中)井上弘現東京事務所所長(右)


〇いきなり本部職員

 大学四年の四月のある日、学連会議の打ち上げの席で、川島会長がこう言います「白濱君は卒業したらどうするの?」。「自分としてはやってみたい仕事があります。でも川島さんみたいに、本部で少林寺拳法ができたら幸せでしょうね」とつい口が滑った。

 すかさず川島会長は「じゃあ白濱本部に来いよ!」と気合の入った一言が返ってきた。周りにいた北海道学生連盟のG君、北陸学生連盟のK君、中四国学生連盟のW君達が「おいみんな、白濱が本部に行くことになったから乾杯しようぜ!」とこれも悩む余地がないままみんなが乾杯。私の卒業後の進路が一気に決まったのでした。

〇なかなかやるね!

 本部に入る二年前、学連との係わりもまだないころの春季大学合宿のことである。三段以上のグループの中に、私から見てちょっと目立つ技の上手な男がいた。頭は丸坊主で、体の線は細マッチョ、練習は積極的に取り組み、指導員にはどんどん質問を浴びせかけます。動きのキレも流石のものでした。

 その彼と一緒に組んで、様々な技を稽古することになりました。

 私は学生時代にすでに正拳士四段でした。当時は大学生になってから少林寺拳法を始める学生がほとんどだった時代。そのため私としては常に相手に対して怪我させないように力を抑えて稽古をしていました。しかし彼の場合、遠慮の必要はなく、全力で稽古ができ、私が技の気になる点についてアドバイスすると素直に聞く耳を持つ楽しい相手でした。

 私はその当時「こいつ、俺と対等に技ができるとは、大した男だな!」と思い、彼は「俺に技を教えることができるこいつは、大した男だな!」と思っていたという。その男は中京大学少林寺拳法部の井上弘といい、現在の少林寺拳法東京事務所所長である。 

(つづく)