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各地・拳士からの声

ここでは、各種大会等で発表された弁論等を紹介します。

 

■「自分の可能性を信じるとは」(東京都 加住中学校 初段 瀬戸 秀一)

      (2018年8月「第12回全国中学生少林寺拳法大会」における最優秀弁論から)

 私の帯には「不撓不屈」の文字が刻まれています。「どんな困難にもひるまずくじけない」不撓不屈の精神こそ、私の修練のテーマであると考えています。

 私には生まれつきのハンディキャップがあります。右手には親指が無く、あとの4本の指も曲がりにくいため、拳をつくることができません。両足にも軽度の麻痺があり、生後4ケ月で始めたリハビリは、今でも欠かせませんし、日常生活の中でも突然足が緊張し、動かせなくなることもあるのです。

 学校の体力テストでは、毎年、「E判定」。運動部に入部するなど考えたこともありませんでした。実際、体験入部した際も、厳しい練習についていけるとは、到底思えず、先輩たちのような演武は、夢のまた夢でした。そんな私が今日まで3年間続けてこられたのは、顧問の前田先生が私の可能性を信じ、指導し続けてくださったからです。

 少林寺拳法は、同時に、良き出会いを私に与えてくれました。入部半年を迎えた十月に開催された八王子市民大会に「『親子・複合の部』に一緒に出場しよう」と、前田先生は言ってくださいました。

 大会当日、前田先生をコートで待っていたときです。同じ部門で出場する八王子北道院の丹木道院長が、「君の顧問の先生は、どんな人も少林寺拳法によって鍛えることができることを、君と一緒に証明しようとしてくれているんだよ」と、私に語りかけてくださいました。この出来事は、私が少林寺拳法を続けるうえでの使命として強く心に刻まれました。

 そして、2016年10月。私は「少林寺拳法全国大会inおおいた」の「障がい者の部」に、先輩や仲間とともに、東京代表として出場することができました。そこで一人の視覚障がいを持つ拳士と出会いました。

 介助者の手拍子にあわせ、その方の演武が始まった瞬間、私の心は震えました。

 命の奥底から湧き上がってくるような気勢と気合、そして力強い突きと蹴りの連続。演武そのものへの深い感動とともに、私自身が自分の「可能性」をもっともっと信じ、挑戦しなければならないと感じたのです。

 以来2年、下肢麻痺のため、初めは下段までしか上がらなかった蹴りは、中段までに上がるようになりました。

 そして昨年11月の関東中学生オープン大会では、初めて組演武で5位入賞を果たすことができたのです。さらに、今年四月、念願だった初段の允可を戴くことができました。

 今、私の所属する加住小中学校少林寺拳法部では、小学5年生から中学3年生まで40人の部員が修練に励んでいます。

 私はいつも思います。「誰よりも、ひたむきに修練に励む姿を伝えることが僕の統制としての役目だ」と。少林寺拳法の修練を通し、私は生涯自分の「可能性」を信じ、私が果たすべき「使命の道」を進んでいきます。

 

私のとっての部活動(和歌山県 神島高校2年 大平亜由美)

      (2016年3月「第19回全国高等学校選抜大会」における弁論から)

 「楽しい」は私の力の源だ。私にとって部活動とは、単に力を抜いて「楽しい」と感じる活動ではなく、苦しいことや辛いことに耐えながらも、仲間とお互いに努力を重ね高め合い、強い絆を育み、目標を達成する喜びを実感する活動の事だと思っている。部活動には苦しいことも多い。しかし、私は「辞めたい」と思ったことは一度もない。そこには、「楽しい」が存在するからだ。

 少林寺拳法部に入部して半年あまり。練習は厳しいが、少林寺拳法の楽しさを感じながら毎日を過ごしている。今までできなかった技が、自分の思い通りにできるようになった達成感、自分が目指している演武に近づいた瞬間が楽しくて仕方がないのだ。また、同じ部活動の仲間も心の支えになっている。時には苦しい練習を共に乗り越え、時には互いにライバル意識を持って必死に練習に取り組む瞬間も楽しく、仲間だからこそ築ける強い絆が、私を部活動にもっと真剣に取り組もうという気持ちにさせてくれる。

 今年の夏に、三年生の引退合宿があった。練習は厳しく苦しいものではあったが、私は少林寺拳法の楽しさを感じながら過ごそうとした。どんなに厳しい練習でも、そこに楽しさを見つけることで有意義な練習ができると考えたからだ。合宿最後の日、引退される三年生の先輩方と円陣を組み、数えきれないほど多くの突きをした。どれほどの時間が経っただろうか。突然、一人の先輩が私の前に立ち、一緒に気合いを入れて突きを始めた。その突きの一本一本に、引退される先輩から私への激励の強い思いが伝わってきた。私は感激して号泣しながら、さらに気合いを入れて突き続けた。「自分達が引退したら、団体演武のメンバーとして今まで以上に気合いを出して頑張ってな。」等、たくさんの言葉も私にかけてくださった。感動が、新たな「楽しい」に繋がった瞬間だった。これからも先輩方が築かれた伝統を引き継ぎ、もっと頑張ろうという思いがさらに強くなっていった。

 私は、部活動を通じて一生懸命に努力し、何かを達成する楽しさを知ったが、努力が報われず悔しい思いをすることもあるだろう。しかし、私に悔いは残らない。それは、気の抜いた練習をして後悔だけは絶対にしたくないという思いで、日々の練習の一つ一つに、「楽しい」を意識しながら全力で取り組んできたと言える自信があるからだ。諦めない限りめざすべきその目標は、私の目標であり続ける。その目標に到達するまでさらに努力を重ね、達成できた楽しさが次へ挑戦する私の力となっていく。そして、常に新たな目標を定め、それに向かって何度も挑戦することで、もっともっと成長できると私は信じている。これからも「楽しい」を意識した努力を重ね、さらに高い目標達成の楽しさを感じるために、強い絆で結ばれた仲間と共に一日一日を大切に過ごし、さらに自分自身を成長させたい。

 

■「現代社会における少林寺拳法の人づくりの意義」2015/11/15(兵庫県明石市 山本由佳)

      (「2015年全国大会」における優秀弁論から)

 現代社会において我々はどのような人づくりを行っていけばよいのだろうか。私の道場にA君という青年がいた。彼は入部当初ひ弱な感じで学校でもいじめにあっているようであった。果たしてこの子は少林寺拳法を続けて行けるのだろうかと心配だった。しかし、A君はどんどん表情が明るくなっていった。大きな声が出せるように変わった。道場で友達もできた。技がうまくできるようになると褒められるようになり、少しずつ自信が付いたのではないだろうか。また友達ができたこともプラスされ、心が強くなっていったのだろう。今A君は遠い場所で一人学校生活を送っている。長期休暇になると家に帰る前に道場に寄ってくれたりする。それは私たちにとっても喜びとなっている。A君にとって道場はいろいろな年代の仲間が集う秘密基地のような存在ではないだろうか。私は、A君のおかげで現代社会において道場のような有意義な癒しの空間と、心の支えとなってくれる仲間づくりが必要であると実感できた。最近では、親が子供を虐待する、反対に子供が親を殺すという悲しいニュースもたびたび伝えられている。ストーカー被害の事例も多く聞かれる。多くの人はストレスを抱え、自らの命を断つことも多くおこってしまっている。これらの問題は人と人との関係が希薄となり、上手く心も身体も交流が持てないために起こっていると思う。このような現在社会における問題点を解決する鍵が少林寺拳法における人づくりであると思っている。

 我々少林寺拳法は、「拳禅一如」肉体と精神を片寄らせないで修行する。体と心を片寄らせないで強くすることで、しっかりとした自分を作り自信をつけることができる。自分がかけがえのない存在であるということを自覚し、他人のことも大切に考える人になることを目的としている。また「組手主体」必ず二人一組で修練を行う。それは自分も上手くなるが相手も上手くなれよという考え方である。二人一組で距離を考え、手を握り合うことで他人のことを思いやれる人を育てることが可能である。ぬくもりを身体と心で感じ、命の大切さを学ぶことができる。少林寺拳法の人づくりは自分自身に自信をつけ、相手のことを思いやる人づくりで具体的に何をすればいいかが明白である。「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」世の中の人全てが実践できれば現代社会にある問題点がかなり軽減するだろう。

 また、少林寺拳法の人づくりは、道場の中だけではなく社会の中でも実践することが可能である。私は、派遣社員としてある企業で勤務している。職場では私より若い社員が大半である。仕事以外のコミュニケーションもとりながら年代はかなり違っている。友達や親や上司には相談できないような話もよく聞かせてもらっている。例えば、結婚相手の親にあいさつに持っていく手土産はなにがいいかなど。そうした会話をすることで、居心地のよい職場となっている。このような環境で相手に寄り添いお互いを尊重しあうことが、いい影響を与えあう。信頼されているという自信がつき、強い自分になっていく。何か困難なことが起こっても、仲間と協力することで問題点を乗り越えることができる。現在社会において少林寺拳法の人づくりの意義は、居心地の良い場所をつくり、人間関係を豊かにすることで希薄な人間関係を改善することだと思う。我々は、少林寺拳法というすばらしいシステムを使い、勇気と慈悲心と行動力のある指導者を育成するという人づくりを行っている。私は微力ではあるが宗道臣先生の志を引き継ぎ、少しでも私の周りの道場や職場や家庭が居心地のよい場所になるよう努力し、人づくり仲間づくりを行っていきたい。