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「アートを志す個性的な連中が夢中になった少林寺拳法。 いまあらためて噛みしめる開祖の言葉の意味」

2016/04/27

Q 今月と来月の2回にわたり、東京藝術大学の学長である宮田亮平さんにお話を伺います。宮田さんは東京藝術大学少林寺拳法部のOBでもあり、私たちの先輩にあたります。まず、宮田さんが少林寺拳法を始めたきっかけを教えてください。

 宮田 我が校の少林寺拳法部は、私の同級生であるFさんが中心になって設立されました。同級生なんですけど、彼は二浪でね。ま、私も二浪で入ったんですけど(笑)、入学した当時、彼はすでに黒帯だったのです。浪人中に町の道場で有段者になったというから、もう筋金入りです。当時(の道場)はすごく厳しいと聞いていましたから、みんながリスペクトしました。同級生なんですけど敬意を持って「Fさん」と呼んでいましたよ。

 Q Fさんと一緒に少林寺拳法部設立に携わったのですか?

 宮田 私は、最初の頃は「変わったことやっているなぁ」と静観していました。それこそ数人で、お昼休みにグラウンドで練習していましたから目立っていました。部員も初年度でしたから、言葉は悪いですけどやや「寄せ集め」のようでしたね。剣道の有段者や空手の人もいました。

 Q 宮田さんはいつから参加したのですか?

 宮田 私は夏の合宿からのスタートなんです。というのもね、少林寺拳法部の合宿が西伊豆の雲見という風光明媚なところでやると聞いて、「そこに行きたい」と思って入部したのです(笑)。

 Q 雲見は温泉町でもあり、富士山が綺麗に見える町として知られていますものね(笑)。

 宮田 ですから最初は別に少林寺拳法なんかどうでもよかった(笑)。でも、合宿に行ったからにはやるしかないでしょう? 最初、腕十字固から習ったのですけど、「なんだそれ、片方の空いてる手で殴れるじゃないか‥‥」と思っていたのです。でも、技を掛けられたら何にもできない(笑)。「こんなに理にかなったことがあるんだ!」「面白いじゃないか!」と思いましたね。私は身体は小さくて華奢だったのですけど、ちょっと負けず嫌いなんです。ですから、理を知り、数を掛ければ大きな相手を制することができる少林寺拳法は、すごく肌に合っていたんですね。

 Q 何段まで取得されたのですか?

 宮田 二段までとりました。本当はもう少し頑張りたかったのだけど、我が校の場合は卒業制作があるので4年次はそれにかかりっきりになるのです。だから4年生の時はほとんど練習できませんでした。

 Q 本部には行かれましたか?

 宮田 もちろん行きましたよ。当時はまだ開祖・宗道臣先生がお元気で、指導の先頭に立っておられましたね。「すごいカリスマを持った方だな」、と感じました。

 Q みなさん、そうおっしゃいますね。

 宮田 ところがね、開祖が東京藝術大学に対して偏見を持っていて「あいつら、ちょっと変わった、おかしな連中じゃないか」とおっしゃっている‥‥そんな噂話が我々の耳に入ってきまして(笑)。それでみんな憤慨してね、「許せない! 芸術を冒涜している!」「俺たちほどまともな奴はいない!」といって、開祖に文句を言いに行ったことがあるんです(笑)。

 Q そんなことがあったのですか! 開祖は何とおっしゃっていたのですか?

 宮田 開祖は私たちのお話も聞いてくださってね、「いや、そうかそうか」「じゃちょっと違っていたのかな」って言ってくださったのかな‥‥それが縁になってずいぶん可愛がっていただきました。「ワシにそんなこと言いに来る奴はいない」とおっしゃってね(笑)。

 Q 開祖に意見した方はこれまで取材した中で初めてですね(笑)。

 宮田 当時は色々な大学に少林寺拳法部がありましたけど、みんな体育会系でビシッとした雰囲気でした。だから開祖の前に行くと、みんなカチンカチンに緊張しちゃうんですよ。けれど私たちはどちらかというと肩の力が抜けた感じでね(笑)、開祖の前でもあんまり緊張しなかったのです。

 Q そこはユニークですね。

 宮田 というのもね、東京藝術大学の連中はみんな負けず嫌いなんです。なぜなら創作活動というものは毎日が戦いですから。目の前に結果が常に見せられるわけで、下手くそか上手いか? それをいつもを突きつけられるわけです。そういう意識のある学生の集まりですから、みんな骨のある連中なんですね。

 Q 既成の常識、「こうでなくてはならない」というものを鵜呑みにするのではなく、何事に対しても自然体で向かい合っておられる。宮田さんのお話からはそんな印象を受けます。

 宮田 といって、礼節を知らないわけではないんですよ。粗にして野なれど、卑ではない。無駄なことは省き、極めるところは極める。そういうところも、合理的な少林寺拳法の技法、そして教えと合っていたのかもしれませんね。そもそもアートを志すような連中はあまり徒党を組むようなことは好まなくて個を大切にする学生が多いのですが、そういう奴らが集まって練習に熱中するほど、少林寺拳法は面白かったんです。集団の中で一つの目的に向かって一丸となって頑張る。そういうことを若い時代に経験したことは、すごく勉強になりましたよ。

 Q ではここで話をガラリと変えまして、宮田先生のご専門は鍛金だそうですが、なぜ芸術の道に進もうと思われたのですか?

 宮田 私は工芸家の家に生まれました。ま、7人兄弟の末っ子だったので、高校2年までは「私はやりたくない」とずっと思っていたのですけど、この道も案外イケてるかもなぁ、と思うようになって(笑)。それで大学に進学する時に「デザインをやりたいな」と思って工芸科を選択しました。

 Q 宮田さんのお父様は、佐渡の伝統工芸「蝋型鋳金」の技術保持者である二代目宮田藍堂氏ですよね。代々、工芸に携わってきた家柄なのですね。

 宮田 そうです。その時は漠然と「車のデザイナーになろうかな‥‥」と考えていて、それなら素材を知っている方がいいだろうと思って工芸科に進んで、鍛金を専攻しました。当時の工芸科の中にデザイン科が入っていて、デザインを学びつつ、鍛金で素材の加工を学ぶことができたのです。そうすると、将来は現場の仕事もできるし、デザインワークもできる。昔の言葉で言えばブルーカラーとホワイトカラーの両方ができる人間になれるな、と考えましてね。で、これが面白くて! 熱中している間に、気がついたら学長になっていた、という感じです。

 Q 宮田さんは昨年の秋には日本橋の三越本店で個展を開催されましたね。

 宮田 またしばらくするとやりたくなってくるでしょうね。作品のイメージがどんどん頭の中に浮かんでくるのです。それをそのままそのまま放置しておくことはできなくてね。というのは、頭の中にイメージが浮かんだということはね、もう「生まれた」、すなわち生命が誕生したわけです。だから具現化してあげないと! 無性に作りたい! となるのです。

 Q イメージはどんな感じで作るのですか?

 宮田 それは自然に浮かんできます。「さあ頑張りましょう!」とノートに向かうようなことはあまりしません。例えて言えば呼吸のようなものかな。人は呼吸をする時に、「息をしている」と意識することはないでしょう? 誰もが自然と呼吸をする。私にとって作品のイメージはそういう感覚で、ふっと浮かぶものなのです。

 Q 宮田さんは優れたアーティストであると同時に、2005年から東京藝術大学の学長を務められており、しかもその傍で、NHK経営委員、横綱審議委員会の委員、そして話題になった2020年東京オリンピックの「2020エンブレム選考委員会」の委員長も務められています。まさに現代社会のリーダーの一人でおられ、開祖の志した人づくりによる国づくりを体現されているお一人です。ここで宮田さんが考えるリーダーの在り方について教えてください。

 宮田 リーダーと言われる人が「俺はリーダーだ」と思ったら、もうおしまいですね。

 Q 痛烈なお言葉ですね。それはなぜですか?

 宮田 山の頂点に行ったら、あとは降りるだけでしょう? 同じように自分がトップだと思ったら、あとは下るしかないのです。

 Q 進歩、成長が止まってしまうわけですね。

 宮田 そう。ですから私は山の頂に着いたのではなく、ノコギリの刃の先っぽにいるようなものだと考えます。そうすると、まだまだアップダウンが延々と続き、登っては降りるを繰り返すわけです。

 Q はい。

 宮田 そして降りることは次なる頂に登るためにダッシュをしている、と考えます。ただ降りるわけではないんだよね。勢いをつけるために降りるのです。だからこそ、次に向かってガーン! と登っていける。その前以上の勢いでね。そして、つねに「現状のままではダメだ」と考えています。

 Q いつも高い問題意識を持っておられるから、学び、変化し続けることができるのですね。

 宮田 そうですね。つねに「次これをやろう」「これをやって大学を面白くしていこう」と考えています。あとはね、リーダーだからって格好をつけないこと。欠点があるなら、隠そうとしないでそれを見せたほうがいいのです。そうすればね、私の場合だったら、まわりのスタッフが学長の欠点を知っているから「なんとかしよう」とカバーしてくれるのです。マイナスな部分を隠して嘘をついても、必ず破綻しますよ。そして大穴が開いてしまった時にはもう手遅れになる‥‥。

 Q そうですね。嘘をついても隠しきれないものですよね。

 宮田 自分が自分の欠点を認めるとね、周りがそれをカバーしてくれるんです。「このままじゃ東京藝術大学が潰れるから、学長の欠点をなんとかしよう」ってね(笑)。

 Q そうすると組織が本来持っているポテンシャルが発揮されやすいですね。

 宮田 そうだね。だから私にはサポートしてくれる人、いうなれば側近の優秀な人たちが、何人もいるのです。それで、それぞれの得意分野に合わせて相談するようにしています。開祖が「半ばは人の幸せを‥‥」っておっしゃったけど、まさしくその通りでね、得意分野で相談するからこそ、彼らも私の気持ちをわかってくれるし、私も彼らのことをわかってくる。そういう相互理解を求める姿勢がないと人からサポートを受けることはできませんから。

 Q 得意分野を分けることができるのは、それぞれの方を理解し、敬意を持っているから。だからこそ、お互いをリスペクトする良い循環が生まれ、組織が生き生きとしてくる。また、それが良いアイデアを生む源泉にもなりうるのですね。

 宮田 ですから、開祖の教えがいまになって自分の身に入ってきた、そんな感じがしています。正直を言えば、道訓を唱和していても、最初はぜんぜんピンとこなかった(笑)。ところがずっとやっていると、面白いもので「なるほど、そうだよね」と思えるようになった。いまそれが実感として、ようやく体得できたということかもしれませんね。

 Q 宮田先生は東京藝術大学の学長を10年務められています。そして昨年再選されたとお聞きしています。これも「半ばは人のために」を実践されてきたことが積み重なって信任されているのかと思いました。

 宮田 そうであれば嬉しいですね。例えば私は東京オリンピックのエンブレムの委員長をやっていますけど、あれ、最初に大変な問題になってしまったでしょう。昔っから、そういうときになぜかオファーが来るのです。一回白紙撤回になったときに、「来るな」とおもいましたけど、案の定来た(笑)。もちろん大変なのですけど、でも、どうってことはない。何事も「鼻歌交じりに命がけで行く」。それくらいの感じでやっていったほうがいいと、そう思っていますから。

 Q なるほど。すごくいいお言葉ですね。

 宮田 全て常にいろいろなことに対しては命がけで取り組むべきです。だからといってカチカチに緊張していたらうまくいかないでしょう。やはりリラックスして、肩の力を抜いてことに向かう。だからうまくいくのです。

 Q それは少林寺拳法を含めた武道の極意に通じることでもありますね。しかもそれが、宮田さんご自身の経験から生まれたオリジナルのお言葉であることがすごいと思います。

 宮田 多くの人は先人たちの名言を得意げに語りますよね。それで、言ってる本人は「俺っていいこと言ってるなぁ」なんて思ってるけど、誰も聞いてなかったりするわけ(笑)。やっぱり自分の体験から生まれた言葉とは違うんだよね。反対に自分で体験し、考え、会得したことを言葉にするときは、たどたどしくても、説得力があり、迫力が生まれるものです。もちろん、先人の言葉から学ぶことは大いにありますよ。ただその意味するところを実感して話すのと、「誰々がこう言っていた」と話すのとでは大きな違いがありますよね。

 Q 少林寺拳法を学ぶ私たちも、開祖が創った少林寺拳法をただ覚えるだけではなくて、その意味するところを汲み取り、実感し、自分自身の言葉で語れるようになりたいものですね。それこそが本当に学び、体得するということだと思いました。たいへん勉強になりました。ありがとうございました。(2016年1月18日 東京藝術大学にて)

 

(宮田亮平氏プロフィール)

1945(昭和20)年 新潟生まれ。金工作家。新潟県佐渡に蝋型鋳金作家の二代目宮田藍堂の三男として生まれる。70年に東京藝術大学美術学部 工芸科鍛金専攻を卒業。72年、東京藝術大学大学院 美術研究科 工芸専門課程(鍛金専攻)修了。97年より同大の教授に就任。2001年、美術学部長、04年、副学長・理事を経て、05年より学長を務める。イルカをモチーフとした「シュプリンゲン」シリーズなどの作品で、「宮田亮平展」(個展)をはじめとして、国内外で多数の展覧会に参加。2011年度日本芸術院賞をはじめ「日展」内閣総理大臣賞や、「日本現代工芸美術展」内閣総理大臣賞など数々の賞を受賞。文部科学省文化審議会会長、日本放送協会経営委員、東京芸術文化評議会評議員、2020年東京オリンピックの「2020エンブレム選考委員会」委員長など多方面で活躍している。少林寺拳法二段。

宮田学長