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2017/04/01

vol51 法縁に感謝
私は昭和36年に幕末の吉田松陰にも影響を与えたと言われる朱子学者、安積艮斎(あさかごんさい)の出身地、郡山市に兼業農家の長男として生まれました。3年後に東京オリンピックを控え、経済成長が活発になってきていた頃です。また、少年時代は内気でひ弱な子どもでしたが、当時はプロレスやボクシングの試合が頻繁に…
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2016/12/01

vol.49 道院とその可能性について
1986年(昭和61年)4月。金剛禅布教の地として、生まれ故郷の葛飾区亀有に、「亀有道院」を設立した。
それから早30年以上の月日が経とうとしている。設立当初は人が集まらず、道衣を着て一人で街中を走ったりしたものだ。
もともと武道好きで、柔道部に所属していた私が少林寺拳法と出会ったのは、中…
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2016/10/01

vol.48 良師をもとめて
◆「少林寺拳法」ってなあに
1975(昭和50)年、少林寺拳法を初めて目にしました。
今まで見たことのない動きに「なんだこりゃ」と驚いたのは21才の時でした。
入門のきっかけは、先輩のしつこい勧誘でした。一年程過ぎた頃そろそろ諦めてくれたかなと思って油断していたら、一瞬にして誘いの…
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2016/08/01

vol.47 無限に広がる湖を目指して
『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず』鴨長明「方丈記」の冒頭部分である。 この川は今も昔も同じように流れているが、その水は決してもとの水ではない。人生も然り。常に移り変わり、変化していく。自分に例えると、少林寺拳法に入門し漸々修学の修行を積み、准拳士初段が允可された。黒帯の喜びを胸…
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2016/06/01

vol.46 心身の改造
私は高校卒業後の進学を決める上で、あえて九州から遠方のところを選びました。と言うのも四人姉弟で年の離れた姉三人に私一人という家族の中で、大事に甘やかされて育てられたため、もっと自立し強くならなければという気持を常日頃感じていたからです。 昭和四十一年、愛知県の名域大学に入学。同時に学生寮(至誠寮)…
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2016/04/01

vol.45 今は
少林寺拳法を始めたきっかけは不純でした。 今から42年前のこと、若かりし十九歳の三月初め、先に入門していた友人に誘われて四日市道院(故北岡隆弘道院長・当時)へ見学に行きました。ブルース・リーの「燃えよドラゴン」全盛の時代です。道院長には「少林寺拳法には勝敗がない。」と説明を受けたことを、今でも覚え…
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2016/02/01

vol.44 二つの理由
私がこの道の指導者で一生あり続けたいと思う大きな理由、それは二つある。 一つは、大学少林寺拳法部時代に遭遇したある事件。いや、事件と呼ぶのは少し大げさかもしれない。しかし、私にとってはそう表現したくなるほど衝撃的な出来事であった。 1970年代の半ば、まだ本山・本部の職員の先生方が山門衆と呼ばれて…
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2015/12/01

vol.43 須臾(すゆ)も離るべからず
開祖が少林寺拳法の創始を説明する中で「中国在留中に学んだ北禅や道、儒等の宗教の中から感じとった真理を精神的中核とし」(「少林寺拳法教範(上巻)」新版序、3頁ページ)と明記しているように、金剛禅の教えには、初期仏教を支柱として、そこに道教や儒教が溶け込んでいる。そのことが具体的に見えるのが「道は天よ…
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2015/10/01

vol.42 不思議な夢
先日、仕事先でお客様に聞かれました。「どうして島根の人が岩手さ来たの?」。私は島根県松江市生まれ。高校まで地元にいて、東京の東洋大学で少林寺拳法と出会いました。卒業し、偶然が重なって(今は必然と思っています)、30歳で盛岡に根を下ろすことに……。その偶然をお話ししたいと思います。 大学卒業後の就職…
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2015/08/04

vol.41 叶わなかった〝思い〟を胸に
少林寺拳法に出会ってから40数年が過ぎました。高校3年生も終わろうとするころ、同級生に誘われ、少林寺拳法が何なのかも分からないまま、自分を誘ってくれたという思いに断わることもできず、地元の道院を訪ねたのがきっかけで今日まで続いております。少林寺拳法を修行する中でその教えに感じるところは多々あったもの…
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2015/06/08

vol.40 信じて歩むこの道
私が少林寺拳法への「道」を歩み始めたのは高校2年生のときで、少林寺拳法本部の近くにある香川県立多度津工業高校少林寺拳法部へ入部し、本部第131期生として入門させていただいたときからです。入門の理由は、ただ、強くなりたい! でした。練習は、学校のクラブでありながら、多度津郵便局の横にあった旧本部の道場…
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2015/04/06

vol.39 ダーマを意識し、日々、進化する
少林寺拳法創設時から開祖のお膝元で修行された先生の言葉で、いつまでも新鮮で強烈に心に残っている言葉があります。「開祖は日々変わっていった。毎日おそばにいてもそれをひしひしと感じさせてくれた。私は変わっていく開祖に触れることが嬉しく、一つ一つまねをしようと努力をしてきた」。帰山のたびに、宿舎で一手二手…