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vol51 法縁に感謝

2017/04/01

 私は昭和36年に幕末の吉田松陰にも影響を与えたと言われる朱子学者、安積艮斎(あさかごんさい)の出身地、郡山市に兼業農家の長男として生まれました。3年後に東京オリンピックを控え、経済成長が活発になってきていた頃です。また、少年時代は内気でひ弱な子どもでしたが、当時はプロレスやボクシングの試合が頻繁にテレビで放映され、ブルース・リーの登場等で私自身格闘技に興味を持ち始めるきっかけとなりました。
 少林寺拳法と出会ったのは大学2年の春、当時既に有段者だった友人の紹介で、昭和56年に本部387期生として、矢島隆禅先生の川越道院に入門させていただきました。
 入門後は、まず護身術としての技の魅力にとりつかれ、更に先生の法話を毎回楽しく興味深く、拝聴させていただきました。その中で金剛禅の教えの素晴らしさや、人に対する思いやりや責任感、行動力など人としてのあるべき姿等、細微にわたる教えを受けた事が今でも心の支えになっています。また、憧れの「赤卍」の胸章を付けていた諸先輩のお陰もあり、大学卒業間近の3月に三段の允可を受けることができ、大変感謝しております。
 卒業後は地元の郡山道院に転籍し、約3年が経過したころ、前道院長(須賀川道院兼務)が諸事情により退任する事となり、25歳で須賀川道院長となりました。保護者は自分より年長者がほとんどで、運営のノウハウが解らない事も多く、大変な時期もありましたが、残された拳士の為、とにかく継続させる一心で奮闘していたのを覚えています。その後、次第に指導をサポートしてくれる協力者も増え、一時は在籍者が120人という時期もありました。
 とりわけ2011年3月11日に起こった東日本大震災時には、福島県少林寺拳法連盟の事務局長を任されていたころでもあり、当時理事長だった田中勝義総代の下で県内の被害状況を収集し、少林寺拳法グループの対策本部へ報告するために奔走するなど色々な紆余曲折がありました。私事になりますが、その年の夏、本山より被災者支援の案内があったこともあり、福島原発による放射能被爆を回避するため、夏休みに家内と子供二人(長女中1、次女小2)を本山の施設へ避難させていただきました。
 約1ヶ月の本山での避難生活では、前代表の浦田武尚先生はじめ、多くの方々に大変お世話になり、法縁の深さと絆の強さを感じつつ、私達家族にも笑顔が戻り、苦境にありながらも癒される、生涯忘れ得ぬ出来事となりました。
 震災から6年が経過した福島ですが、未だ原発事故の爪痕が深く、先の見えない状況(放射能汚染の除去や汚染土壌の仮置き場問題、被爆による健康問題等……)です。そのようななかでも県内の小教区長と協力し、組織機構改革の柱でもある「金剛禅の充実」のため、そして教区内の道院の継続・維持・発展のため、尽力していきたいと思います。
 また、私の運営する須賀川道院では専有道場が手狭な為、修練場所として民間の施設を探していた折、地元商工会議所に勤める道院幹部から「先生いい物件がありますよ」と声を掛けられ、大変良い施設だったので即刻契約に至りました。これでより積極的な道院活動が可能となり、時間に制約されることもなく、毎回20名程度の門信徒が集まり、修練に励んでおります。
 結びに、私が今まで続けてこられたのは、家族の理解と協力の下、開祖の熱い思いと金剛禅の教えに共感し、金剛丸の一員としての責任を全うしなければと思ってきたからです。
 「いかなる艱苦に遇うも決して挫折する事なし……」と誓って入門し、35年が過ぎました。そして道院長を拝命し今年で30年を迎えますが、一日でも長く金剛禅の「道」を歩み、色々な人と出会い、学び、思い出に残る「一里塚」をこれからも造っていきたいと思います。
(福島県教区 教区長 伊藤寿弘)