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vol.41 叶わなかった〝思い〟を胸に

2015/08/04

少林寺拳法に出会ってから40数年が過ぎました。高校3年生も終わろうとするころ、同級生に誘われ、少林寺拳法が何なのかも分からないまま、自分を誘ってくれたという思いに断わることもできず、地元の道院を訪ねたのがきっかけで今日まで続いております。

少林寺拳法を修行する中でその教えに感じるところは多々あったものの、正直なところ技法に惹かれていた自分が変わったのは、指導者講習会を受講のため、初めて本山帰山した21歳のときです。壮観な本堂と開祖に出会い、法話をお聞きしました。印象的なのは、「少林寺拳法には雑魚は要らない。社会のリーダーをつくっている」、鶏口となるも牛後となるなかれというものでした。また、開祖の周囲には常に高段者の先生が取り巻き、近づくこともできない状態でした。これは、まずは指導者、道院長にならなければと決意しました。あっという間に過ぎた講習会の帰路、宇高連絡船で自分の時間を取り戻したとき、これからの生き方が見えてきたように思えたのと同時に、少林寺拳法というとても大切なものを自分が持っていることを初めて自覚しました。

大学卒業後、児童厚生員として八王子市に入職。同じ職場の先輩である北島季彦先生(現・日野桜道院道院長)との出会いも重なってアシュラム支部道場(当時)に転籍し、行動を共にしました。北島先生の行動力と誰に対しても変わらない包容力に刺激され、夢中で少林寺拳法に仕事にと励みました。先生の理念の根底には少林寺の教えがあり、それを実践することがなければ意味がないという強い思いと、どの子供にも夢があり、その夢を諦めずに持ち続けるために、そばにいる大人として、努力を惜しまない熱意がありました。24時間身体を張った生活の中で、北島先生が体調を崩されたときに、自分が支部長を引き継ぐことになりました。

25歳、道院長資格講習を受けたとき、開祖のおそばに今まででいちばん近づくことができました。開祖から「これからは、何かあれば私に直接言ってきなさい。親道院は私だけだからな」とお声かけをされても、緊張でただ「ハイ」と返事をするのがやっとでした。いつしかしっかりと自分の言葉で話ができるよう日々努力し、今まで以上に少林寺拳法に励むことを決意し下山しました。しかし、それから一年半後、開祖はご逝去されました。

その後、拳士も増え、さまざまな人たちと出会う中、拳士のつながりで、八王子に16畳の古いプレハブの建物と60坪の土地の提供があり、最初の専有道場を持つことができました。八王子北道院の設立です。プレハブの床が抜けないように、ブロックやコンクリートで補強し、照明を付け替え、壁をペンキで塗って明るくし、入り口やトイレには鉄骨で庇を付けました。全て拳士や協力者によるものです。窓のカーテンは妻がミシンを持ち込み縫製したものです。長男の生まれる一週間前でした。この手作りの道場が拳士同志の絆を深め広がり、今日に至っております。いつでも誰でも使える僧伽をベースに、その後道院・支部を次々と開設しました。開祖の遺された教えを、どんな時代にも対応し、社会の中で実践していくこと、その中で開祖のおそばにいると感じております。

金剛禅運動の目指すもの、人類の幸せに反する政治や軍事、経済のあり方を変えたいと行動する人づくりによる理想境づくりに、これからも同志とともに生き生きと取り組んでいきたいと思います。
(八王子陵北道院 道院長 片岡 三郎)