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vol.48 良師をもとめて

2016/10/01

◆「少林寺拳法」ってなあに
 1975(昭和50)年、少林寺拳法を初めて目にしました。
 今まで見たことのない動きに「なんだこりゃ」と驚いたのは21才の時でした。
 入門のきっかけは、先輩のしつこい勧誘でした。一年程過ぎた頃そろそろ諦めてくれたかなと思って油断していたら、一瞬にして誘いの連攻撃がありついに入門することになりました。
 今、思うとあれは『当身の五要素』によるものかなと感心させられます。ただ、残念なことにあれほど親身になって誘ってくれた先輩は若くして亡くなりました。
 私に入門のきっかけを与えて下さった恩人である先輩に、現在の私の姿を見て頂けなかったことが心残りです。
◆師との出会いそして開祖へ
 私は開祖晩年と同年代に生きながら一度も開祖にお目にかかったことがありません。30年前に道院を設立した当時、道院長でありながら開祖を知らない、お目にかかったことがない道院長として、門下生にどのように創始者である開祖の教えを伝えていけばいいのか悩んだ時期がありました。
 他の先生方が開祖に直接教えを請い、また手をとって頂いたお話しを聞くと、道院長として自分の存在が薄れていくような気がしたからです。
 しかし、今さらどうしようもないと決心し、それなら…と開祖から直接教えを頂いた先生方にお会いし、開祖を知ろうと思いました。
 努めて帰山し、宿舎でいろんな先生方の部屋にお邪魔しては、夜遅くまでお話を聞き入ったものです。
 そんな中、隻腕の上田先生との法縁がありました。勿論、錫杖にも興味はありましたが、上田先生の開祖への想いを直接お伺いしたく、手紙を出したところ「いつでも直島に来ていいよ」と返事をいただき、自分みたいな名も知らない道院長を快く迎えて下さった先生の器の大きさに感激しました。
 上田先生は、開祖との出会いや入門を許された当時のことを話される時、いつも涙を流されます。自分も胸が熱くなり上田先生の想いから開祖のお姿が浮かびました。
◆春・夏・秋・冬
 機構改革が進み、今まさに金剛丸は荒波から脱出しようとしております。
 修練場所を公共施設から専有道場に移し、大きく変わったことは場の雰囲気です。祭壇を前にし、それまでの少林寺拳法の練習から、「行」としての易筋行に変わりました。
 専有道場は、それまでの修練場所から遠くなり不便になったせいか、足が遠のいた拳士もいますが、そんな中でも「行」である少林寺拳法を本気で学ぼうとする拳士には勇気づけられます。
 なんでも手に入るこの時代に、不便・不自由・不親切が本物を育てる手段でもあることを実感しました。
 今はまだ、仁賀保道院は冬の時代です。しかし、「易経」に、冬の「時中」は滋養に富んだ土壌づくりをすることにある。とありますが、冬は春に種を蒔く為の肥沃な土づくりをすることにあるようです。
 幸いにして今、道院に小さな芽が息吹き始めています。3人の小さな少年拳士達がこの地で育とうとしています。まさに可能性を秘めた小さな種子たちです。
 金剛禅の教えが、彼らにとって人生の宝となるよう育てて行くことが、自分に課せられた使命であり、それを法縁によって巡り合えた門下生とともに精進してまいりたいと思います。   
(秋田仁賀保道院 道院長 佐藤典之)