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vol.42 不思議な夢

2015/10/01

 先日、仕事先でお客様に聞かれました。「どうして島根の人が岩手さ来たの?」。私は島根県松江市生まれ。高校まで地元にいて、東京の東洋大学で少林寺拳法と出会いました。卒業し、偶然が重なって(今は必然と思っています)、30歳で盛岡に根を下ろすことに……。その偶然をお話ししたいと思います。
 大学卒業後の就職先は、脱サラし成功した社長のことが書いてある本を読み、その社長に直接手紙を出し入った会社でした。その会社は生産メーカーで、直接の販売会社をつくれとの命を受け、私は先兵隊としてあちこちの会社に出向しました。
 しかし、ある会社の販売方法がどうしても性に合わず、辞表を出すものの受け取ってもらえません。そうこうするうちに大学少林寺拳法部の先輩が「お前の会社の社長は面白そうだから、うちの講師名簿に載せてやろう」と言ってくれました。すると真っ先に講師依頼が来たのが岩手県だったのです。それから社長に付いて、私は岩手県と行き来が始まりました。その仕事の合間に、盛岡で少林寺拳法らしきものをやっていることを耳にし道場に行きました。「おめはんがここさ残ってけるんだら、庭をぶっ壊して道場をつくっから」。それが岩手滝沢道院の始まりでした。
 その後、円満退職し、新しく事業を始めようと考え、結婚もしました。しかし、縁もゆかりもない岩手県です。簡単に事業が軌道に乗るはずがありません。そのうち盛岡市内でも場所を探すから道院をつくってほしいという人が現れたり、岩手大学少林寺拳法部の監督が今不在だから引き受けてほしいとの依頼があったりで、身体がいくつあっても足りない状態になってきました。当然、家庭から不満が出ます。家庭と仕事と少林寺拳法の板挟みで、苦しくつらい毎日が続きました。そんなときです。不思議な夢を見たのです。
 場所は静まり返った本山の錬成道場。私も他の拳士も車座になって開祖のお出ましを待っています。拳士たちは道衣で正座、微動だにしません。でもなぜか私は道服を着てあぐらをかき、下を向いて本を読んでいるのです。すると静かに開祖が入ってきます。周りの拳士たちの心の声が聞こえてきます。「あいつ何やってんだよ。開祖のカミナリが落ちるぞ……」。でも私はそのままの姿勢でただ無心に本を読んでいるのです。すると開祖は私の前でぴたりと止まりました。拳士たちの心の声「ヤバいっ」。私は何かを感じてふっと顔を上げます。目と目が合います。すると開祖はニヤッと笑って、くるっと向きを変え、スタスタと去っていかれるのです……。みんなのホッとした気持ちが伝わってきます。私はしばらくボーッとして開祖の後ろ姿を見送っている……そんな夢でした。
 それから35年以上たった今、狭いながらも土地を購入し、その土地に1階を専有道場と自分の会社事務所、2階を自宅とした建物が建っています。
 苦しくてつらいこと、特に厳しい言葉を浴びせられたときは心のしこりとしていつまでも残ってしまいがちです。なかなか消せない。しかし、いつまでも引きずってはいけないのです。私は逃げずに来たつもりです。かつてある方から、そういった局面にあったときは、「変化があって面白いと捉えよ」と教わりました。まさに開祖の「逃げるな、忘れろ、楽しめ」ではないでしょうか。
 「道は天より生じ、人の共に由る所とするものなり」。必要があって生かされていることを信じて、これからも歩み続けたい。
(盛岡中部道院 道院長 岡部 好孝)