• >
  • vol.47 無限に広がる湖を目指して

vol.47 無限に広がる湖を目指して

2016/08/01

 『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず』鴨長明「方丈記」の冒頭部分である。
 この川は今も昔も同じように流れているが、その水は決してもとの水ではない。人生も然り。常に移り変わり、変化していく。自分に例えると、少林寺拳法に入門し漸々修学の修行を積み、准拳士初段が允可された。黒帯の喜びを胸に、更に何年も修行を重ね、金剛禅の教えに共感し道院長となった。今、指導者として金剛禅運動に邁進している。
 自分は道院を設立して十四年目である。月並だが、あっという間であった。そう感じるのは道院運営が「充実」していて、「やりがい」を感じ、「楽しさ」があったからであろう。しかし、その裏には常に「必死さ」があった。拳士を如何に集めるか、どうすれば拳士が充実した修練のできる環境を作ることが出来るのか、また自分自身、仕事と道院の両立をどうするのか、常に終わりのない葛藤があったように思う。
 所属拳士が三十名を超えたこともあるが、十名足らずになり、道院存続の危機に陥ったこともある。「景気が悪くなると、ヤメていく拳士もいるなあ。」などと世の中のせいにしたこともある。しかし現実は、自分の生活や気持ちが不安定になったとき、拳士は減っていった。無意識に道院へ懸ける思いが疎かになり、それが拳士に伝わり、拳士が失望してヤメていったのだ。
 道院長が体力気力とも充実し、常に本気で道院運営に取り組んでいると、自然と人は集まってくるものだ。道院長は常に燃えていなければならない。そうすることで、拳士も増えるし、道院も活性化する。最近、少しずつ増えてきている道院の拳士を見て、本気でそう考えている。
 さて、『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』の如く、我が道院も設立メンバーから、顔ぶれが一新した。方丈記の冒頭部分には更に、『所もかはらず、人も多かれど、いにしえ見し人は、二三十人が中に、わづかに一人二人なり』とある。場所も変わらず人も多いけれど、昔からの顔見知りは、二、三十人のうちで、わずかに一人二人である、という意味である。しかし、拳士は「もとの水にあらず」ではダメなのだ。拳士は永く道院に留まり、高みを求めてお互いに修行する同士であり続けなければならない。そして、常に新たな拳士を呼び込み、『もとの水にあらず』ではなく、『無限に広がる湖』でなければならない。
 道院長は、拳士を惹きつけるべく、常に自分を磨く努力をする。そして、最大の目標は、後継者の育成である。自分は、子どものときに少年部へ入門し、大人になって師匠からチャンスをいただき道院長になれた。少林寺拳法を自分だけのものでなく、次世代に伝える役目に付けたことは、人生最大の歓びである。
 しかし、道院長もいずれは老い、死ぬときがくる。方丈記の言葉を借りれば、泡となって消える。消える前に、次世代の指導者を育成しなければならない。方丈記の説く「移りゆく儚さ」ではなく、「輝ける未来」を目指す。「将来、君たちは少林寺拳法の指導者を目指せ」と本気で説き続けてきた。今、少年部出身で一般世代となっても永く続けている拳士達がいる。また、少年部の拳士の中にも永く続けようという拳士達がいる。きっと将来、指導者となって、この湖を更に大きくしてくれると信じている。
 (浜松渡瀬道院 道院長 浅井昌典)