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2015/02/05

vol.38 人の「縁」、人生の道標「道訓」に教えられ
私は1950(昭和25)年に北九州の下町で、双子の兄として生まれました。父は予科練出身の厳しい人で、母は一人娘で勤め人、私と弟は祖父母から甘やか されて育てられ、悪童だったそうです。父の転勤で三重県に引っ越しても悪さばかり。中学生のころが最たるもので、現在、鹿児島県教区長の弟・輝義は更に悪 く、親は…
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2014/12/01

vol.37 無心に行動すると、良縁に恵まれる
現在、63歳となった。自分自身の人生を振り返ると、公害の原点といわれる水俣病の発生した地に生まれ、昭和30年代には地元企業の労働闘争(安賃闘争)により組合員が真っ二つに割れ、小さな町全体が二分される激しい対立構図の中で育ち、地元企業にもなかなか就職できなかったことを思い出す。育った環境から、対立状態…
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2014/10/01

vol.36 振り返れば「縁」に恵まれて
私が金剛禅に入門するきっかけは、大学を卒業して就職した職場の先輩が「秋ごろから少林寺拳法の道場を始める」というタイミングに巡り合ったことに始まる。その先輩の日頃の仕事ぶりや職場での言動に触れて、「この人が始めることなら自分にもやれるのではないか。ぜひやってみたい」と思った。新設道院の一期生としてのス…
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2014/08/01

vol.35 道院設立25年を振り返る
大学時代に始めた少林寺拳法、ここまで続けている自分を正直想像できませんでした。始めた当初は、ひたすら強くなることを目指していました。当時の大学少林寺拳法部は、上下関係が厳しく、校内で先輩に気付かず挨拶を怠ると、連帯責任で体罰になりました。日々の練習もハードで、今思えば毎日が苦行だった気がします。その…
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2014/06/01

vol.34 覚悟とは
開祖は、道院長としての心構えを、道院長講習会の度に呼びかけられ、叱咤激励をされてこられた。我々多くの道院長は、その言葉に充電され、頭の中では理解をし、よし頑張らねばとそれぞれの地域に帰って活動をしてきた。しかし、いつの間にか日常に流され、「マアそのうちに宝くじでも当たれば、道場の一つや二つすぐに建て…
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2014/04/01

vol.33 運命と志、そして一歩前に出る勇気
私が少林寺拳法に出会い、そしてこの道を歩むとき、二人の師との出会いがありました。一人の師からは少林寺拳法のすばらしさを魅了したことはもとより、その師が少林寺拳法の練習をするとき、全身からみなぎる力と気迫、勇気はここから生まれてくるのかと感じました。師からは何事にも一歩前に出る勇気ある行動を教わりまし…
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2014/02/01

vol.32 修行の先にあるもの
目の前に続くまっすぐ延びた長い道。夕暮れ時には紅に染まる。夕日を背に母と二人でよく自転車に乗る稽古をしていた。デコボコで石ころだらけのその道は、これから続く計り知れない人生の道程を幼い私に静かに教えていた。元来「修行」とは、雑念なく打算なく幼心のように遠い遥かな理想を見据え一心に「今」と向き合うこと…
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2013/12/01

vol.31 魂に負担のかからない生き方
最近、遺伝子の解明がかなり進んでいるようである。遺伝子の配列で病気になる可能性が分かるまでになってきた。ハリウッドスターのアンジェリーナ・ジョリーさんが乳がん予防のために、両胸の乳腺切除の手術を受け世界中の関心を集めた。乳がんになるリスクは87%とのことで、残りの13%は食生活などの生活習慣やストレ…
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2013/10/01

vol.30 頂いた生命
1957(昭和32)年4月22日、奈良県桜井市に私は生まれた。母が私を身籠ったとき、体調を悪くし、母体の安全を考えて、出産を諦めるように医師から宣告をされた。しかし母は、私の命を最優先に考え、我が身のことなど考えず出産をした。出産後、母の体調は思わしくなく日常生活にも苦労をした。自分の命を惜しまず、…
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2013/08/01

vol.29 生きる
私にとって「道」とは、生まれてから死ぬまでの道のりのことであり、死ぬまでどう生きるかが道である。いつか自分が死ぬとき、この世に生まれてよかったと思える人生を歩んでいくこと。その道しるべが金剛禅の教えであり、生きる、生き抜くことが、金剛禅の教えの第一であると思う。私は双子として生まれ育ってきたが、やは…
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2013/06/01

vol.28 連帯責任で学んだ自他共楽
連帯責任という言葉を耳にしなくなって幾久しい気がする。広辞苑には連帯責任とは、「連帯で負担する責任」とある。本来、責任ある立場にある人が責任を取れば済むことであるが、現在は、責任の擦り合いから連帯で責任を取るという立場から、自分で責任を取るという「自己責任」へ変わりつつある。それは、責任の所在を明確…
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2013/04/01

vol.27 日常生活での全てが修行
諺で思い切ったときに用いられるようになった「百間石垣後飛び」、私もこの心境で思いつくままペンを走らせることをお許しください。久米川道院の伊藤昌昭です。道院開設38年目に入りました。現在、財団法人日本ポリオ研究所に勤務しております。私は亜細亜大学少林寺拳法部に入部後、本部合宿で聞いた開祖の法話、「正直…