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vol.36 振り返れば「縁」に恵まれて

2014/10/01

私が金剛禅に入門するきっかけは、大学を卒業して就職した職場の先輩が「秋ごろから少林寺拳法の道場を始める」というタイミングに巡り合ったことに始まる。その先輩の日頃の仕事ぶりや職場での言動に触れて、「この人が始めることなら自分にもやれるのではないか。ぜひやってみたい」と思った。新設道院の一期生としてのスタートであった。このとき、道院長の自宅で受けた入門式は決して忘れられない思い出である。以後37年。振り返れば「多くのよい縁」に恵まれたおかげで今の自分があると強く感じるこのごろである。

入門からいくつかの紆余曲折はあったが二段取得後に地区武専(現・武道専門コース)へ入学。79年には本部の指導者講習会にも参加して「開祖」のご法話に接することができた。新しいことに触れる楽しみが目の前に広がり、夢中のうちに時間が過ぎていった。80年、開祖がご逝去された。しばらくして、道院長が本山・本部にお帰りになることとなった。目の前から目標としていた方がいなくなってしまった。

このころ、開祖の法話テープで「“自分のない人間と自分しかない人間”が多いが、それではだめだ」という言葉を聴いた。自分のことを言い当てられているようでショックを受けたことを今も忘れない。“自分のある人間”とは? どうすればいいのだろう? このまま少林寺拳法を続けていけばなれるのだろうか? 金剛禅の修行を続けていればなれるのだろうか? 迷いの中で出た答えは、「入門したとき、道院長は五段だった。自分も五段になれば“自分のある人間”になれるのではないか。五段を目標にしよう」であった。

二代目道院長の下で修行を継続した。五段も取得し、武専も卒業を迎えたが、“自分のある人間”になれたという自覚は持てなかった。武専の同期には既に道院長となっている方もいたが、自分が道院長になるという一歩は踏み出せなかった。目標を見失いかけていたときに、道院長が「河面さん、六段まで取っておけば、もし道院を開くにしても楽ですよ」と助言してくれた。六段は自分が入門したときの道院長の資格よりも上になる。六段取得までは続けよう、と思った。二代目道院長のありがたいひと言であった。

その後、長女の小学校入学に合わせて妻の実家がある栃木県足利市に居を構えた。六段取得も叶った。そして、目標を「道院の新設」とした。93年、多くの先輩拳士の力添えを頂き、「栃木足利支部道場」が産声を上げた。2005年には小さいながらも自前道場を確保、「栃木足利道院」として再スタートした。道院活動(儀式・行事、信徒の教化育成)に本格的に取り組むという念願が叶った。入門から28年が経過していた。

“自分のある人間”という命題はいつも眼前にあったが、「自前道場の確保」が「自分を持てた」と自覚することと重なったと感じている。以後は「人間関係の中に幸せを見つけた」という開祖の言葉を目標に活動を展開してきた。今年、設立20周年を迎えることができた。拳士や保護者にも恵まれた。ありがたいことだと感謝している。多くの出会いに支えられてここまで来たが、これからも「人間関係を大切にし、幸せを語り合える多くの法縁有志の輪を広げる」ことに積極的に取り組んでいくことが、私を育ててくれた多くの「縁」にお応えしていく“道”と信じている。
(栃木足利道院 道院長 河面 豊光)

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