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vol.29 生きる

2013/08/01

私にとって「道」とは、生まれてから死ぬまでの道のりのことであり、死ぬまでどう生きるかが道である。いつか自分が死ぬとき、この世に生まれてよかったと思える人生を歩んでいくこと。その道しるべが金剛禅の教えであり、生きる、生き抜くことが、金剛禅の教えの第一であると思う。

私は双子として生まれ育ってきたが、やはり兄は兄であり、何か行動を起こすのは兄が先であった。兄は私より先に三重県の四日市道院に入門した。それを知り、遅れをとるまいと、1967(昭和42)年5月、高校2年のときに四日市道院に入門したのが少林寺拳法との出会いであった。

その後、大学進学のため二人で京都へ行き、北岡隆四日市道院道院長(当時)の勧めもあり京都別院に転籍して練習に励み、本格的に少林寺拳法に目覚めた。当時、別院長であった故・原田公臣先生の厳しい指導の下、よき先生と先輩に恵まれたおかげで、兄は会津猪苗代道院、私は鹿児島川辺道院の道院長を務め、今日に至っている。

大学卒業後、社会人として働いていたが、37歳のとき、急性心筋梗塞を発症し、一時は危篤状態に陥った。しかし、現代医療のおかげで再び社会人として社会生活を営めるところまで回復できた。だが、今日に至るまでに28回の入退院を繰り返している。現在は心臓に5本のステントを入れ、何とか生き延びている。ちなみに兄も私が発症してから数年後に開胸し、バイパス手術をしている。

私は何度も生身の心臓を触られる手術や検査を受けてきたが、それは、「生きたい、まだ生きていたい」という思いがあればこそ耐えられた。誰しもそうであると思う。

ある日、手術を終えて、ふと、「私は生かされている。ダーマによって生かされている。だから、まだこの世で社会の役に立ち、やり残したことをやり遂げろという意味で生かされているのだ」と思った。それから私は命のありがたさをひしひしと感じ、命をくれたダーマと両親、愛をくれた家族へ感謝し、生かされて生きていることに感謝している。

手術後、病室で過ごしたときが、自分の命のあり方について深く考えた時期であった。そのとき、頭に浮かんだのは、道訓の「人生れて世にある時、人道を尽すを貴ぶ」の一節であった。この道訓から、命の大切さや生かされている自分は人として何をするのか、人として何ができるのかを考えた。まさに、今までの懺悔と、これからの人生のあり方を問う時期であった。

縁起の法則から過去を反省し、生かされてきた今までに感謝し、今を因として、将来のよき果を迎えるために、今を大切にしなければならない。そして何よりも今からが大事である。

人間は、無限の可能性を持つダーマの分霊であり、ダーマと父母から命を頂き、この世に生かされている存在である。私は62歳で、鍼灸、整骨院を営んでいる。今まで幾多の失敗を繰り返してきたが、今日まで、温かく見守ってくれた人々に心から感謝している。これからまだ生き抜いて、残された人生、仕事でも社会に貢献し、少林寺拳法を通じて金剛禅の布教を行い、社会に役立つ指導者を育成していきたい。それが私に課せられた歩むべき道であると思う。

だから生きる。
(鹿児島川辺道院 道院長 田中 輝義)

道では
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