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vol.37 無心に行動すると、良縁に恵まれる

2014/12/01

現在、63歳となった。自分自身の人生を振り返ると、公害の原点といわれる水俣病の発生した地に生まれ、昭和30年代には地元企業の労働闘争(安賃闘争)により組合員が真っ二つに割れ、小さな町全体が二分される激しい対立構図の中で育ち、地元企業にもなかなか就職できなかったことを思い出す。

育った環境から、対立状態だけでは何も生まれないことを学ぶことができた。何人かのすばらしいリーダーにより、対立をエネルギーに変え、調和の取れた環境都市へ、生まれ変わっていこうとする水俣市がある。

開祖が説かれた「人、人、人、すべては人の質にある」という教えの如く、質の高いリーダーの存在が必要であることを実感するとともに、その言葉の重みを感じる。天地陰陽相反するものの調和の取れた社会、競争ではなく協力社会の実現がいかに大事であるか、生まれ育った歴史の中で深く考える。

私は22歳のとき、友人の勧めで青年団活動を始め、組織の長として青年時代を、組織の復活・再編成のために過ごした。そんなときに仲間を通して少林寺拳法に出会ったのだ。他武道の経験はあったが、少林寺拳法に他にはない新鮮で感動的なものを感じ、入門を決意し修行を始めた。

生まれ育った環境、若いときの青年団活動、少林寺拳法に巡り合えたことなど、ただ単に偶然ではなく必然的な偶然であり、ダーマの導きであり、因果応報の道理を支配する力で現在の私があるように思う。

いつかは自前道場で寝泊まりをしながら修練したいとの思いが、突如としてチャンスが舞い込んできたこともあった。親から頂いた土地で専有道場の計画がまとまり、少林寺拳法への思い、金剛禅運動の布教者としての道が確立したのだと思った。

しかし、その3年後、勤務していた工場が閉鎖し転職を余儀なくされる。返済ローンは目が眩むもので、子供の学資も大変な状態である。ダーマの力が私を次の道に進むことを示しているのだろうか……。

そんなある日、夫婦で、あるお坊さんとの出会いがあった。会うなり「お前は木を扱う仕事をしなさい。そうすると回りにお前を応援する人たちが出てくる」と言われたのである。崖から背中を押された思いで決意、翌日から造園の修行を開始し、知人の紹介で職業訓練校にも通い始めた。

訓練校は、少林寺拳法の修行のあり方と同じで、座学・実技と文武両道で技術を一つ一つ高めながら修得する教育方法であった。今考えると、もし少林寺拳法がなかったら、せっぱ詰まった状況で、ここまでふんばれなかったのではないかと思う。訓練校を修了してから、2年後に、修了生の中から指導員を探しているとの話を受け、指導に関わらせていただくことになった。週一回程度ではあったが充実していた。懇親会のとき、校長から「有村さんの講義は仏教の話や少林寺拳法のこと、いろんな話があり、訓練生が楽しみにしている」と聞き、私の身体の中に金剛禅が染みついているのを実感した思いがした。

これから、鎮魂行を通して信条(一・二)の言葉をかみしめ、自分自身の行いを正しながら門下生とともに未来を見つめ、金剛禅運動の布教者としての道を邁進していきたい。また、いろんな社会活動にも協力的に行動していければと考えている。
(水俣中部道院 道院長 有村 利雄)

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