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vol.30 頂いた生命

2013/10/01

1957(昭和32)年4月22日、奈良県桜井市に私は生まれた。母が私を身籠ったとき、体調を悪くし、母体の安全を考えて、出産を諦めるように医師から宣告をされた。しかし母は、私の命を最優先に考え、我が身のことなど考えず出産をした。出産後、母の体調は思わしくなく日常生活にも苦労をした。自分の命を惜しまず、私に生命を与えてくれた母には、大変感謝をしている。今私がここにいるのは母の固い意志と決断があったからこそなのだ。

私は全力で生きているのか、命の尊厳を明らかにして、生きている今を大切にできているのかと自分に問うと、できていないことの方が大半を占める。反省を繰り返し、少しでも前に進みたいと心では思っている。

17歳のときに少林寺拳法と出会い、武道に興味があった私は日々修練し、修練の中で少林寺拳法の「行」としての尊さと、喜びを実感した。精神的支柱となる金剛禅の主張や教義にも興味が尽きることはなく、日々の修行の中で自分は前進していると思っていた。精神的にも強くなっていると勘違いしていた。

少林寺拳法に没頭し1年がたったころ、父が交通事故で他界した。突然すぎて悲しみは、後から湧いてきた。精神的にも強くなっていると思っていたのに、そのとき私はそれがうぬぼれであり、まだまだ自分が弱いことに気づいた。

周りの人たちの温かい支えにも気づいた。もともと生まれていなかったかもしれない私が生命をもらい、今生きているならば、更に発展、向上を目指し、自己をよい方向に変えたいという気持ちになった。指導者として金剛禅運動を展開し、開祖の志を受け継ぐ拳士を育てようと心に誓った。27歳のとき、本山より仮認証、翌年には正認証を受けた。身心共に強く、自分を拠り所にでき、慈悲心と勇気と正義感があり、他人の痛みが分かる人間を育成し、社会に送り出したいという、当時の「志」は今も変わることはない。

「自己確立」「自他共楽」の教えを説き、自分と他人の幸せを真剣に考えようではないかといわれた、開祖の言葉が私の原動力である。29年間、道院長として少林寺拳法の行事に奔走してきた。これまで縁あって共に金剛禅運動を展開してきた、同志、仲間とともに、これからも邁進して、一日、一日を大切にして、心豊かに生きていきたいと願っている。

長い間修行を積み重ねてきて、他人からは、刮目して見られるような人間に成長しているのか、肩書や武階にこだわり、目先の利害に走ってはいないか、常に自分自身に問いかけ、進歩をし続けなければならない。

弟子を持ち、道を諭すということは、自己をただし、自己を諭すことである。

少林寺拳法の行き着くところは、正しい人間を育てることである。社会の幸せのために信念を持ち、行動できる人間を一人でも多く育てることしかない。そのためには、金剛禅の教えの実践が、重要である。

「拳」の修行を極め、「禅」の修行を怠らず、「力」の使い方を間違わず、「愛」の深い人間であれ。

私は今、この世に存在していることに感謝をして、これから先、この道が険しくとも「志」を高く持ち、少林寺拳法の指導者として全身全霊、拳禅一如・力愛不二の法門の修行を怠らず、人を育てる道を邁進し続けたい。
(大和桜井安部道院 道院長 迎田 展孝)

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