「命の使い方」

2024/02/01

ph_arai

合掌

令和6年能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、被災された方々の健康と被災地の一日も早い復旧を心より念願いたします。連日報道される被災地・被災者の状況を目の当たりにするたび、その辛さ・悲しみを想像して、本当にやり場のない気持ちになります。そして、せめてもの思いで、自分にできることは何かないかと自問自答します。

生きている私たちは、命の使い方を考えなければなりません。

ただ生あることを満喫するのではなく、その生を自分以外の誰か・何かのために活かそうとエネルギーを燃やすことが大切だと思います。寄付や物資の支援、ボランティアもそうでしょう。直接的に被災者の救済・被災地の復旧に関われることはとても素晴らしく、価値あることだと思います。一方で、被災者や被災地とは何の関係もないように見える日々の生活において、誰か・何かのために手助けをしたり、支えたりする気持ちで取り組むこともまた有意義です。一人の人間のわずかな支援が、他人や社会にゆとりをもたらし、そのゆとりが被災者や被災地の支援へとつながる可能性だってあるのですから。

世の中は、目に見えない深いところで、なんらかの関係を連続させながら営まれています。だから、自分の行動が遠い地のニュースと全く関係ない、なんていうことはないのです。道場や職場では仲間に思いやりを持って接し、家族や友人にはいたわりの行動を。ニュースを聞いて感じることがあったなら、何か一つでも行動を変えることが重要です。

 今日の命の使い方が、いつか遠い地に繋がる可能性があります。

 だから、今日の命の使い方をおろそかにすることはできません。

少林寺拳法創始者・宗道臣は「半ばは自己の幸せを 半ばは他人(ひと)の幸せを」という言葉を遺しています。少林寺拳法を修行する私たちにとっては、使い古された言葉でもありますが、このような深刻なニュースに触れるたび、それを標語で終わらせず、今日の行動で表現していくことの重要性をかみしめます。

私もまた、自分の命の使い方に責任を持って今日を生きようと思います。

結 手