vol.38 「理想境」と「理想郷」

2015/03/05

aun_m_vol38今更ではないが、金剛禅の教えの根幹は釈尊の正しい教えを現代に生かすことであり、それは揺るぎない自信(自己確立)を基に、半ばは我が身の幸せを、半ば は他人の幸せを、心から願い(自他共楽)実践行動していくことにより、争い事のない平和で豊かな社会を現世に建設することを目指す、行動する宗教であると いえる。それはまた、人づくりによる国づくりの大道であり、開祖・宗道臣の志であるともいえる。

「信条」の表白の中で・理想境建設に邁進 す・とある。我々が日々無意識に使っている「理想境」という言葉は、『広辞苑』などの辞書を引いても出てこなくて、代わりに「理想郷」という言葉は出てく るのだが、はてさてこれは誤字だろうかと頭を悩ませる。それではなぜ・郷・が・境・となっているのか。

この「理想境」という言葉は開祖が 生み出した造語であり、・境・というのは開祖の心境を指しているといわれている。もう少し深く考察してみると、開祖の大陸での経験を踏まえた発想の中で、 国境というのは地続きの中での壁のようなものであり、それを取り除けば一つの大きな大陸・国となる。それは「少林寺拳法教範」第一編の書き出しにあるよう に、ソ連軍が日ソ不可侵条約を無視し、国境を越え一方的な侵略をしてきたことを目の当たりにしたことも影響していると思われる。このような開祖の感性の中 から「理想境」という言葉が生まれてきたのではないかと推察される。

また、「理想郷」という言葉についても諸説あるが、16世紀の人文主 義者であるイギリス人トマス・モアの著書『ユートピア』の中で、現行の社会を批判したことに対し、自由で平等、戦争のない実際には存在しない空想の社会・ 国のことを・ユートピア(ラテン語でどこにもないという意味)・という造語で表したとされている。この言葉を訳して「理想郷」としている。

「理想境」も「理想郷」も人の想い、志の中から生まれた造語なのである。

我々 の言っている「理想境」とは、空想や夢の社会ではなく一人ひとりが努力精進することにより現世に争い事のない平和で豊かな社会を建設することにほかならな い。人と人、組織と組織、国と国が利害を超え、過去のさまざまな蟠りを捨て、お互いを認め合い、援け合うことができる社会こそが金剛禅の目指す社会であ り、それは人づくりによる国づくり、調和の世界の現出でもあるといえる。「理想郷」は非現実社会、「理想境」は現実社会であり、我々の目指す「理想境」の 建設とは決して空想の世界や夢の世界ではないのである。

余談ではあるが、近年パソコンの普及に伴い各種のレポートがパソコンで作成されて くる。その中で「理想境」を「理想郷」と間違って変換しているものが見受けられる。また、他の重要な語句や人名についても同様のことがいえる。パソコンは 便利なツールではあるが、言葉の意味を理解し確認したうえで、より慎重な取り扱いが求められよう。

「理想境」、この言葉の意味を十分に理 解し、金剛禅の教えを社会に広め、金剛禅運動を実践していくことが我々に課された永遠の課題である。皆さん、誠実さと真摯な気持ちを持ち、生かされている 自分に気付き、生きている今を大切にしつつ命の尊厳を明らかにし、一生修行を目指していきましょう。
(文/川端 哲)