「開祖の言葉の意味をかみしめつつ、 医療人として世の中を良くすることに全力で取り組む」

2017/05/01

医療法人社団焔(ほむら)安井佑氏に聞く

Q 今回は東京大学少林寺拳法部OBの安井佑さんにお話を伺います。安井さんは医療法人社団 焔(ほむら) やまと診療所で院長を務めておられます。こちらは在宅医療専門のクリニックとして、大きな注目を集めており、メディアでも取り上げられる機会が増えていますから、ご存知の方も多いかもしれません。まずは安井さんが少林寺拳法をはじめたきっかけを教えてください。

安井 私は父の仕事の関係で、高校生のときアメリカで暮らしていました。現地の学校に通っていたのですが、アメリカでは「大きくて強いものが正しい」という考え方が根強くあるのですね。同じ学年でも、アメリカの連中は体格的にとても大きく、強く、日本人である私は劣ってしまうことを痛感しました。

Q 今年はアメリカで国際大会が開催されますが、アメリカやヨーロッパ、あるいはロシアなどの拳士は体格の面でとても恵まれていますね。安井さんがおっしゃる違いはよくわかります。

安井 その一方で、空手に代表される日本の武道を彼らはよく知っていて、リスペクトする気持ちがあります。忍術なんかもよく知られていましたね。

Q 西洋の人たちは東洋的な文化に対して非常に興味を持っておられますよね。とくに武道の概念は身体の使い方はもちろん、その精神性が大きく注目されていることを感じます。

安井 そんなことがあって、大学に入ったときに何か武道を始めてみたいと思っていました。高校2年のときに日本に帰ってきまして、大学は東京大学に入学したのですが、東大の少林寺拳法部が当時、関東学生大会を9連覇していたのです。高校時代はサッカーを一生懸命やっていたのですけど、体育推薦があるような高校ではなかったので、それだけに(体育推薦もないはずの)東大に大会を9連覇するような強豪の部があることにすごく関心を持ちました。しかもそれが武道の部活であると。そこに惹かれて入部したわけです。

Q 当時の東大少林寺拳法部は真田玉雄先生が監督を務めていらっしゃいましたね。入ってみて、少林寺拳法の印象はどうでしたか?

安井 4年生は当時の私達からすると神様みたいに強かったですね。そして一学年上の2年生でさえ、自分たちとは全然違う動きをされていて、たった1学年違うだけで大きな差がありました。それをすごく鮮明に覚えていますね。実はサッカーも続けようと思っていて、サッカー部やサークルにも見学に行ったのですが、正直なところ、一年生のわたしでもそれなりに活躍できると感じました。それに比べて少林寺拳法は先輩方と圧倒的な差がある。逆に言えば、それだけ成長の余地があると思いました。そこに大きな魅力を感じましたね。

Q その当時の東京大学は、安井さんがおっしゃった通り、大会でも優秀な成績を収めていました。どんな練習をしていたのですか?

安井 一言で言えば、《強豪校のメンタリティ》がありました。どうやって結果を出していくのか、きわめて明快にされており、システムとしてしっかり確立されていましたね。演武であれば、それぞれの組に対して担当コーチのような形で先輩がついてくれました。東大生は体力的に特筆するものがないですし、しかも当時はほとんどが初心者でしたけど、4年生、3年生、2年生の上級生たちがそれぞれに経験したことを一生懸命教えてくださいました。そういう屋根瓦式の教育方法はすごくよかったと思っています。また真田先生が同じエピソードを何回も何回も、繰り返し聴かせてくださいました。例えば「心はドッピーカン!」というお話があるのですが、それこそ4年間で数え切れないほどお聞きしましたね(笑)。

Q (笑)でもそうやって繰り返し聞くことで、教えというか、思考が身についていくのですね。

安井 そうですね。そうやって優秀な結果を出すためのメンタリティが磨かれていくんだな、ということは感じました。

Q では、安井さんが後輩を指導する立場になったとき、どんなことを心がけていましたか?

安井 普通に考えると、身体能力が高い人達が必然的にうまくなるだろうと思っていたのですけど、実はそうでもないということに気がつきました。ヒョロヒョロの東大生でも、取り組み方次第で良い結果を得ることができる。これは少林寺拳法から教えてもらった大きなことでしたね。指導する立場であれば、こちら側がうまくなって欲しいと思って関わる回数、時間を増やすと、それに応じて後輩たちの成長スピードも変わりました。まずなにより一生懸命にとりくむこと。指導する立場であるならば、自分も一生懸命に関わる。そうすると結果が変わってくるということは、先輩として指導しているときに学んだことです。

Q いま安井さんは新しい形の地域医療をリードする立場として、人材の育成にも取り組んでいらっしゃるわけですが、少林寺拳法部で指導に携わった経験が活かされているのであれば私たちも嬉しいです。では、安井さんにとって少林寺拳法の教え、開祖の言葉がどんな意味を持っているか教えてください。

安井 それを意識するようになったのは、社会人になってからですね。というのも、開祖の言葉はなにか特別なことではなく、どちらかというと当たり前のことで、学生の頭からするとそれほどの価値を感じなかったのです。でも社会に出て、とくに自分で事業を起こしてからは、少林寺拳法で言われていた言葉が本質を突いているということがより鮮明に実感されるようになりました。

Q 当たり前のことを実践することがいかに難しいか。そしてその当たり前を貫くこと、継続することがどれほど自分の力となるか。私もそのことを実感します。

安井 もともと開祖が「人づくりをしないと世の中は変えられない」という思いで少林寺拳法をはじめられたと伺っていますけども、私も医療人として世の中をどう良くするかということを考えています。その意味では「人、人、人、すべては人の質にある」という言葉は、いまの私にとってしっくりくる言葉なのです。

Q ではここから、安井さんの取り組んでいる事業についてお話を伺っていきたいのですが、安井さんの名刺には「自宅で自分らしく死ねる そういう世の中を作る」とありますね。テレビでも取り上げられていましたが、ここにとても驚かされます。

安井 かつては8割の人が自宅で亡くなっていました。でもいまはおよそ8割の人が病院で亡くなっているという現実があります。この割合は、この60年くらいで逆転してしまっているのですね。現在は、家で家族の誰かを看取ったことの経験を持っている人は、ほとんどいません。世界的に見ても日本の病床数、平均在院数はすごく長くて、『病院にいれば安心だ』という文化が、むしろこの数十年で醸成されてしまったと言えるのかもしれません。

Q 日本人の平均寿命を紐解いてみると、第二次世界大戦の前は男女共40代前半で推移していますが、戦後になって飛躍的に伸びていますね。それは医療の進歩・充実がもたらした恩恵であると思いますが、安井さんがご指摘されるように病気の治療を家で行うことがなくなっていったことでもあるのですね。

安井 病院を選ぶ理由としてみなさん「何かあった時に、病院なら24時間、医師・看護師がいるから安心だ」とおっしゃいます。しかし、病院にいても家にいても、必ず何か起きるのです。

Q たしかにそうですね。とくに高齢の方が病気を患った場合は、いつ病状が変わってもおかしくない……。

 安井 もちろん、患者さんをケアするご家族は大変です。でも、その大変なところが自分が見ていないところで起きていればいいのでしょうか? 大変なところも含めて亡くなっていくプロセスを共にする。それが《共に生きる》ことだと思うのです。

Q それはとても厳しいご指摘ですね。大変なところは専門家に任せるというのは、もっともなことのように聞こえますが、別な見方をすれば他人任せにして自分は傍観者になってしまう、とも言えますね。

安井 特にがんの末期の方々ということになると、うちで見させていただいている方々が家にいられる平均期間は一ヶ月です。その時間、むしろ一緒に居られるということがご家族にとっても大事だと私たちは考えているのです。

 大切な人が死に至るプロセスを間近にすることで、そこから何かを受け取ってほしいという思いが私にはすごくあります。その中には、『一緒にいられた』という満足もありますし、『これで良かったのか』という後悔もあるかもしれません。ですが、そういう様々な感情があることこそが死の時間を共有したということです。その経験は後々、共にした人たちの中に残っていくのですね。

Q まさしく苦楽を共にする、というわけですね。苦しいことを分かち合うからこそ、その反対側にある歓びも味わうことができる。全てをひっくるめて考えないと、大切なものを見失ってしまうとも思います。生きている以上、死を免れることはできない。安井さんの取り組みは、私たちが生命とどう向き合ってゆくか、そのことを問いかけるものだと感じました。

Q 次にスタッフを育成していく。すなわち「人づくり」において、安井さんが心がけていることを教えてください。

安井 医療の現場において、基本的に患者は困っている立場です。それに対して我々はプロの医療者として接することになります。そのとき、どうしても両者の間に、言うなれば力の差が生まれてしまうわけです。

Q 最近ではセカンドオピニオンと言う言葉も定着してきましたが、それでも医師の言葉に対して患者が疑問を挟むことはなかなか難しいですね。

安井 その意味では、私たちが行う医療行為は、人を傷つける力にもなり得るわけです。そこに「力なき正義は無力なり 正義なき力は暴力なり」という開祖の言葉が大きな意味を持ってきます。医療もまさに力愛不二、そう思うところが多々あります。

 また患者さんは、不安を抱えていればいるほど、医者が近くにいることを望みます。その意味で言えば、私たちが提供するサービスには限りがないわけです。もちろん患者さんのために頑張ることは当然のこととして、一方で自分が疲れ切ってしまったら、最善の医療サービスを提供できなくなってしまいます‥‥この点において「自分も大事に」しなくてはいけない。そのうえで相手も大事にする。まさに「半ばは己の幸せを 半ばは他人の幸せを」という言葉そのものです。

Q 自他をどう満たしてゆくのか。そのバランスですね。未熟なうちは、やはり自分を満たすことが多くなるとは思いますが、それが様々なことを経験する中でその人の器が少しずつ大きくなってゆき、他者の歓びを自分のこととすることができるように成長してゆくのだと思います。

安井 でもなにより、私たちがまず入社の条件としてみているのは、その人が本当に「人が好きかどうか」なのです。おせっかいをしたい人か、人の役に立てることが自分の幸せだということを、本質的に言えるかどうかで向き不向きを判断しています。

Q そこが大前提なのですね。では最後に少林寺拳法の若い拳士にメッセージをお願いします。

安井 少林寺拳法に打ち込むことの本当の意義は、やっているうちはわからないかもしれません。でも社会人になってから、それが実感できることはあるよ、と言いたいです。ですから、いまはがむしゃらに練習に取り組んでほしいです。学生時代に一生懸命にやったことって、知らないうちに自分の資質として身についているものです。それが社会に出て経験を積む中で自然と発揮され、自ずと周りから自然に評価されるようになると思います。

Q 先を計算するのではなく、がむしゃらに取り組むことで、己の資質というものは知らず知らずに磨かれているのかもしれないですね。それが経験という刺激をきっかけにどこかで花開く。その可能性は、若い人はもちろん、年齢に関係なく誰にでも秘められているものだと思いました。どうもありがとうございました。(2017年3月13日 東京・やまと診療所にて)

【安井佑氏プロフィール】1980(昭和55)年、東京都生まれ。神奈川県横浜市、イギリス、東京都板橋区、アメリカなどで育つ。2005年東京大学卒業。その後、国保旭中央病院で初期研修を行う。07年 NPO法人ジャパンハートの活動で、ミャンマーで国際医療支援に従事。09年 杏林大学病院に勤務。11年 東京西徳洲会病院に勤務。13年4月に東京都板橋区高島平にやまと診療所を開業。15年に法人化。16年8月に東京都板橋区東新町に移転。東京大学では少林寺拳法部に所属。少林寺拳法三段。