vol.37 ボタン一つでリセット?

2015/09/18

ここ近年、映画やゲームも3Dで楽しめ、日常的に現実と離れた仮想空間がリアルに体験できる社会です。そして、いつの間にか現実の世界に仮想空間がそのまま入り込み、区別ができない人が増えているようです。

殺人を犯しても、人が生き返るとは思わないまでも、そんな自分をボタン一つでリセットできると思っているわけです。青少年だけではなく、いい年をした大人も同じです。

こんな日常習慣の中で、人間はだんだんと相手の立場に立って考えることを忘れ、自分の立場で物を見、考えることがとても都合のよいことだと習慣づいているのかもしれません。

神戸児童殺害事件の加害者「少年A」の書籍出版が話題となりました。自分は公に姿を現さず、名前もAのまま。被害者家族の心情など全く無視し、自分は出所してリセットされたと勘違いしているのでしょう。こんな事件が、今の日本には毎日のように起こっています。

東日本大震災で被災した東北地方には、4年以上たった今でも、6万人もの人々が仮設住宅での生活を余儀なくされています。そして、福島では原子炉の状態も明らかにされず、汚染物質の処理も未解決。汚染水問題も解決しないまま、避難区域解除に向けて動きが始まっています。そんな中で起こった3000億円という新国立競技場問題。計画白紙撤回で1550億円になったとはいえ、超少子高齢化が顕著なこの日本で、新たにこんな上物を建てて、その後の維持はどうするのでしょう。それだけの資金を投入すれば、あっという間に被災地の復興はなされるはずです。オリンピック開催を夢に、経済の活性化を願うことを否定するものではありませんが、“自分”ではなく“他人”の立場で考えたら、優先すべきは被災地の復興ではないでしょうか。東京オリンピックが決まったからといって、被災地の状況はリセットされないのです。

安保法案を巡る今国会の様相を見ても、国民の安全と平和をバーチャルの世界で語っているようにしか思えません。福島を放っておいて、「国民の平和と安全を守り抜く!」という安倍首相の発言は空虚であり、何の説得力もありません。集団的自衛権の説明を、模型を使ってまで隣の家の火事として説明する首相の姿には、無知な国民はごまかせる……という姿勢を感じてしまいました。ここのところの相次ぐ災害対応で、日々頑張っている自衛官の命と責任に関わる問題を、紛争地域の現場で「戦闘行為に当たる、当たらない」と、机上で、物差しで線を引いて考えるような答弁をする人たち。戦争を経験したこともなく、また“今”自分の命の問題でもない人たちが仮想空間でゲームのように考え、法律を変えようとする恐ろしい国になってしまいました。

日本の安全保障は大事です。しかし、ここまで支離滅裂な説明のつかない法案を、アメリカとの約束が第一で、通ったら詳細に検討するなどという本末転倒が起こるほど、日本は劣化してしまったのでしょうか。最終処理もめどの立たない原発を推進し、いつどこで地震や津波、そして火山の噴火が起こるかわからない日本で、簡単に原発再稼動を決めるという見切り発車をして、誰も責任は取らず曖昧なまま被害者は置いてきぼり……、これが当たり前になっています。自分たちさえよければ、他人の痛みや苦しみ、次世代への責任などどうでもいいと言わんばかりです。

武力で安全を保障しなくてもいいように、政治外交でカバーすべきところを、逆に不用意な言動によって亀裂をつくり、その穴埋めに危機感を煽り、軍産ビジネスで一石二鳥という自分たちの世界でゲームをしているようにしか見えません。

明治に生まれ、さまざまな戦争を体験した少林寺拳法創始者・宗道臣 の 遺した言葉、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」。とてもわかりやすい言葉ではありますが、今このとき、とても重たく感じます。