一喜一憂

2024/04/01

ph_arai

合掌

 少林寺拳法発祥の地、香川県多度津町はその町花を桜としています。町内には、桃陵公園と呼ばれる桜の名所があり、そこへ向かう途中に金剛禅総本山少林寺があります。この時期、我々は本山へ行く途中に花を愛でることができる、とても恵まれた環境にあります。

 さて、みなさんは今年、どのように桜を愛でられたでしょうか。コロナ禍も明けたので、数年ぶりに大勢で花見に繰り出した方も多かったかも知れません。季節の移ろいを伝える自然の姿に気づき、目を止める感性、大事にしたいですね。

 さて、新しい学校生活が始まった方も大勢いるかと思います。中学生や高校生はさっそくテストだったという方も少なくないでしょう。その出来栄えには、一喜一憂あったことと思いますが、テストの結果が教えてくれるものに少し目を向けてみたいと思います。

 例えば100点満点中、90点のテストが返ってきたとき、あなたはどんなふうに感じるでしょうか?「やった!よくできた!」と思うでしょうか。あるいは「え~。低いなぁ」と思うでしょうか。

 この90点という点数が教えてくれているのは、[90点分できた][10点分できなかった]という2つの事実です。

しかし人は、この事実のどちらかだけを捉えようとするために一喜一憂してしまいます。この、どちらかだけを捉えようとする行為は、ときに弊害を生みます。

 90点分できたことに満足したり安心したりして、「10点分できなかった」という事実に目を向けなかったとしたら、できなかったことを克服することはできません。反対に、10点分できなかったことに悔しがったり残念がったりして、「90点分できた」という事実に目を向けなかったとしたら、頑張った自分を褒めてやることができません。

 つまり、できた部分もできなかった部分も、どちらもが自分にとって大事なことで、両方に目を向けてあげることが大切だということです。これは、テストの結果がどのような点数であっても言えることです。

 よい生き方をするということは、今までより良い方法を見つけ・実践するということであると同時に、それまでの自分自身を認めるということです。

 この二つのことを同時に大切にしていくことで、現実的な生きる力と豊かな人間性を兼ね備えた人に成長してゆけるのです。

 学校のテストを例に出しましたが、何歳になっても大事なことではないかと思います。社会で生きている限り、周囲の評価はついてまわるものです。その評価が示してくれている二つの意味に気づき、取り組み方を変えることを楽しみ、変わっていく自分を誇りに思いながら、次の結果や評価にチャレンジできる。そんな歩みを繰り返していきたいですね。

 皆さまのスタートが、変に一喜一憂することなく、成長に向かう着実な一歩に繋がりますように心から願っています。

結手