vol.24 人生感意気、功名誰復論

2012/10/01

aun_m_vol24「人生意気に感ずる、功名誰か復論ぜん」

人は、相手の心意気に感動して行動するものであり、手柄や名誉など問題ではないということを示しています。出典は、「述懐」という漢詩の中のくだりの部分であり、作者は魏徴、唐国の諌議大夫(過失を諌める役職)で主君にも常に直言を辞さず清廉潔白なる人物であったといわれています。

もう少し詳しく説明すると、「述懐」の大意は心中の思いを述べることと、広辞苑では訳されています。

魏徴は李淵と天下の覇を争った李密に仕えていましたが李密が李淵に降伏したことにより、李淵に仕えるようになったのです。李淵は後、唐の高祖となった人物です。

敵方の武将である徐世勣を説得し、帰順を促すために作られた漢詩がこの「述懐」といわれており、名文とされています。

特に・人生感意気、功名誰復論・のくだりは武人の心を揺さぶる名文句であるといえるでしょう。

開祖は言葉巧みで人たらしであったということを、よく耳にしますが、これはなにも開祖の陰口や批判しているのではなく、開祖の人心掌握術であったといえます。開祖は盤石の組織創りのため各人の人となりや性格などを把握する手段としてまた、適材適所に人を配置するための方策の一つであったのです。

その開祖も今はなく、適材適所の判断も難しいものとなってきています。

先人は開祖の心意気に共感し、心を動かされて法門に入り、志を受け継いで後世に伝えていく使命を帯び、われわれはそれを現代社会でさらに発展させ、後世に正しく伝えていかねばなりません。

その行動こそが、開祖の志を引き継いで行くことなのです。

先人もわれわれも少林寺拳法の技法と金剛禅の教えに意気を感じ、手柄や地位や名誉などにとらわれず、只管自己研鑽に励み、半ばは自己の幸せを・半ばは他人の幸せを本当に思いやることのできる人間完成の行を修行して行かなければなりません。

これぞ・人生意気に感ずる、功名誰か復論ぜん・ということではないのでしょうか。

開祖はまた、私を超えるものがおればいつでも超えていきなさいとも言っておられました。

少し言いすぎかもしれませんが、われわれはいつまでも開祖にしがみついているのではなく、乗り越えていかねばなりません。

昨年4月より組織機構改革が始まり、新たなことが次から次へとやってきて、戸惑いを隠せないのは事実であると思いますが、門信徒各人が一丸となって組織を守っていかなければわれわれのあしたはありません。偉そうなことを言っている私ですが、未だ我が師をも超えられず、毎日もがいているきょうこのごろです。

しかし、超えられないからこそ何事にも諦めず、誠実さと真摯な気持ちを持って努力していくことが大切であることを信じ、一歩でも師に近づけるよう日々修行をしています。

信条の中に・自己の名利のためになすことなし・とあるように、われわれも魏徴と同様人生を意気に感じて、手柄や地位や名誉など気にせず修行に励み、現代の魏徴になろうではありませんか。

皆さん頑張りましょう。
(文/川端 哲)