人間の《よさ》体験

2016/01/26

自分に投げかけられた心のエネルギーを受け止めるのが、上手な子供と不得手な子供がいます。

 上手な子供は、こちらが何か投げかけた時、「素直だな」「かわいいな」「健気だな」などと、好感を抱くような反応が返ってくる子です。投げかけた側は更にプラスの言葉をかけたりして、互いに心のエネルギーのやり取りが続くことでしょう。

 これとは対照的に、こちらが「投げかけるんじゃなかった」という気持ちになってしまう場合があります。

子供の側の反応が、無視だったり、「べつに」といった取りつく島のない言葉が返ってきたり、面倒くさげだったりする場合です。子供からのこうした反応に出会ったときの大人の本音は「じゃあ、勝手にすればいい」「二度と声をかけるのはよそう」ではないでしょうか。

 この両者の違いを決めるものは何でしょうか?それはその子がどれだけ「人間の《よさ》」を体験してきているか、によるのです。「人間の《よさ》」体験とは「お母さんっていいな・お父さんっていいな・先生っていいな・友達っていいな」といった気持ちになる体験のことです。

 こちらがその子のためを思って投げかけたことを、容易に受け容れず、「何でオレばかり」と被害的になったりする子はいませんか。その子の人間関係の基本に「大人はうそつきだ・大人は自分勝手だ」という人間への不信感があるかぎり、こちらの投げかけの真意を歪(ゆが)めて取ってしまいがちになるのではないでしょうか。そればかりか、こちらの善意を逆恨みしたりすることさえ生じます。

 こんなとき、指導の難しさと同時に、関わるこちら側の心のエネルギーも子供に吸い取られてしまうのです。

 「人間の《よさ》」体験をたくさん積んでいる子供は、こちらの何気ない言葉やしぐさからも学び、自分の成長の糧にしていきます。そうした姿に、指導者はやりがいを感じ、より積極的に関わろうとするのではないでしょうか。

 指導のこの場が、子供にとって「人間の《よさ》」体験を心の中に沢山蓄積する場でありたいものです。

執筆者:菅野純 1950(昭和25)年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学卒業後、同大学院修了。発達心理学・臨床心理学専攻。東京都八王子市教育センター教育相談員を経て、早稲田大学人間科学学術院教授を2015年3月まで務める。現在も、不登校、いじめ、非行など、さまざまな子供へのカウンセリングに加え、学校崩壊をはじめとする学校のコンサルテーションに取り組む。<心の基礎>教育を学ぶ会会長。著書は『武道──心を育む』(日本武道館出版)など多数。