vol.28 人間性で伝える“真意”

2013/06/01

aun_m_vol28兵庫県西宮市に県立芸術文化センターがあり、そこの・兵庫県芸術文化協会芸術監督(音楽)に佐渡裕氏が就任されています。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演に招かれ、ショスタコーヴィチの交響曲第五番を振ったのは国内でも広く報道されました。日頃は音楽に触れる機会は少ないのですが、楽しく、そして、一流の音楽を身近に感じることができるので、年に数度は妻とコンサートに足を運んでいます。また、若手音楽家の教育にも力を入れており、多くの音楽家も巣立っているようです。

さて、指揮者とはリーダーの何者でもないのですが、プロの指揮者もタクトの振り方がさまざま、見ただけではその動きをどのように楽団員が捉えて合っているのか、指揮はなぜこの動きでこのような音楽が奏でられるのか、不思議ですし、実際その動きで合わせてみても、私などはさっぱり合わせることはできません。要するに素人なのですが、いろいろなことを考えながら全身全霊で音楽を受け、楽しませていただいています。

少林寺拳法の思想、理念、技術も、真に意を伝えることは困難といえます。教範にも師事して会得とありますし、師事しても伝達側と受け側のレベルや波長が合ってなければ表面だけの伝達となります。指導者は、教えを垂れて人を導き(雫を垂れる如くゆっくり丁寧に)、受け側は、心を致して道に向かうこと(漏らさず丁寧に受け、自分のものとできる様)が大事であると考えますし、この姿勢こそ伝えるための心がけであるといえます。

仏教の『無』、『空』という概念も、そして、『天より生じ人と共にある道』の概念も、言葉と時間を多く費やしたからとて理解し、伝わるかといえば難しいことといえますし、浅い思考と経験では真理を得ることはできず、解っていても解らず、解らずとも解るようなものではないかと考えます。

我々はその主行たる易筋行と鎮魂行を行じ、日々修行の中に自他共楽、自己確立の二本柱を意識し、釈尊の正しい教えを基本とする金剛禅を真純単一に行じ、これらを反芻し、自らが自らで目覚めることにより、この真意を会得できるものであり、これが、心と心、体と体を通して幸福運動を伝え広めることの基本であると考えます。

指揮者の話に戻ります。

指揮者とは、楽団員の心を解放し、その力を個々に発揮させ、個々が共感共鳴しながら、至高の音楽を創り上げる指導者であり、そのことで自らの音楽表現をする芸術家だといえると思います。実際、指揮棒を最後まで振らず楽団を抱擁するような形で終えた名指揮者の名演があります。会場全体が一体となった至高の名演奏だったようです。

さて我々も自らが自らの指導者、幸福運動を展開する指導者です。行動による経験と思考の反芻を重ね、真摯に積み上げることが肝要であり、難しい仏教知識を有してなくても、心を致して道に向かい、過を改めて自らを新たにしながら、信心に奉行し、道のために尽くし、精進を重ねる。その背中を見せることが大事なことなのです。多弁でなくとも、醸し出す人間性で伝え広めることが大事だと考えます。
(文/松本 好史)