vol.36 今の日本の状況に未来を想う

2015/08/25

戦後70年の今年、例年の8月にも増して憲法改正に舵を切る日本の今がクローズアップされました。

しかし“唯一の被爆国である日本”を中心に据えた非核化については、報道が少なかったように思います。現存する被爆者の平均年齢が80歳を超えた今、その経験と強い反戦メッセージをどう受け継ぎ伝えていくか、本当に深刻な問題だと思います。

広島・長崎から遠く離れた東京での街頭インタビューで、驚くべき様子が伝えられました。「8月9日、今日は何の日かご存じですか?」という質問に対し、「エーッ、わかんない」という20代の女の子たちに続き、何と60代と思しき男性が「んー、知らないですね。申し訳ない」と。歴史の風化は、人類の劣化です。

私自身も、1957年に戦後の匂いを全く感じない世代として生まれました。しかし父親が明治生まれ、昭和一桁の母親という環境から、多くのことを伝えられました。特に少林寺拳法創始者である父からは、戦争の悲惨さだけではなく、教育と情報統制によって社会はアッという間に変わり、気がついたときには軍靴の音が聞こえているのだと子供のころから何度も聞かされ、無関心で生きることは、“人であることを放棄”することだと教えられました。

「戦争とは、愛するものを失うことだ。大変な時代を生きてきて、今私は幸せだ。自分がいなくなった後も、子や孫が幸せであってほしいと願う」。少林寺拳法創始者・宗道臣の痛切な願いでした。

今年の首相談話には、「国際秩序への挑戦者となってしまった過去を反省する」「国際紛争を解決する手段として、戦争はしてはならない。自らの行き詰まりを力によって解決しようとした過去を反省する」という文言が並びました。

そして「日本では、戦後生まれの世代が、今や人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と。

現実と矛盾した文言です。言葉だけではなく、実際にこれらのことを実行するべく舵を切るべきだと思います。

この夏、かつての戦争を題材としたたくさんの映画がテレビでも放映されました。その中で今の日本の状況下に、率直に問う特攻隊員の最後の言葉がありました。

「これからの日本は、国が国民を苦しめることのないような国になることを望みます」

すべて、ここに集約されているように思います。