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vol.22 今は幸せ?

2012/06/01

2012年1月7日、本山で「道院長勤続30年」の表彰を受けた。1982年10月24日、師家より正認証の許可を受けたときから、「一生続ける覚悟」であった。だから30年というのは一つの通過点にすぎない。しかし、節目として「よくここまで頑張ってこれたな」と自画自讃している。もちろん、家族や法縁有志の理解と協力があったからこそである。ここまで来たら、あとは「死ぬまでやるしかない」と思っている。

以前、某道院長から、「原先生は立派な専有道場もあるし、組織内での地位もあり、羨ましい」と言われたことがある。傍から見れば幸福に映っているのかもしれないが、人は皆、法印として「一切皆苦」を抱えているものなのだ。教えによれば、この「苦」なるものには、三苦(苦苦、壊苦、行苦)がある。家族一同、無病息災なのが、至極幸せなことであるが、私の長男と次男は身体障害者である。ここに私の痛い痛い「壊苦」がある。二人とも「神経線維腫症」という特定疾患により、体の至る所に腫瘍ができて、それが神経を圧迫し、視覚・聴覚・平衡障害を起こす。さらに脳幹を圧迫し、生命を危うくする。腫瘍がこれ以上大きくなると命の保証はないと医師から宣告され、長男は2006年10月に開頭手術により腫瘍を摘出した。22時間にも及ぶ手術に私は立ち会うこともなく、その前日に東海武専に出張していた。講義中、「孝」の説明に入ったところで胸が詰まり涙が出てきて、あとは講義にならなかった。長男に対して「孝行」をしてあげることのできない自分が情けなかった。その後次男も同じ手術を受けた。

四人いる子供の内、男だけに腫瘍ができた。長男から「何で結婚したのだ! 結婚しなければ僕は生まれてこなかったのに……!」と責められる女房がいちばんつらい思いで泣いていた。

人はこの世に生を受けたからには生きなければならない。順風満帆に生きることのできる人は皆無である。なぜなら「一切皆苦」であることは法則なのだから。しかし、だからといってそれを悲観してよいなどという教えではない。そう、「行苦」の教えがあるではないか。

今をよしとせず、さらなる発展・向上を目指し、自己を少しでもよい方向に変えたい、変えなければならないという、可能性としての「行苦」の教えこそ、われわれ金剛禅門信徒の真骨頂とするところではないか。二人の息子の身体障害(壊苦)を治癒することはできなくても、二人と向き合う心は変えることができる。何をか言わんや、最もつらいのは私ではなく、息子たちなのである。

30年間道院長としてある意味では家族を犠牲にして、少林寺拳法の行事に奔走してきた。これからは半ばは家族のことを思い、懺悔のつもりで壊苦に負けずに生きていこうと思う。

そして、半ばは金剛禅運動を仲間(同志)とともに展開することで、少しだけ人生を楽しみたい。それくらいは許してほしい。なぜならば 『この道より、我を活かす道なし。この道をゆく』決意だからである。

「死にざまは生きざまである」ことを肝に銘じて、よい死にざまをするために、よい生きざまができるように、これからの一日一日を大事にして、心豊かに生きていきたい。

(八戸東道院 道院長 原 宏)

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