vol.3 他者のせいにせず 他者とともに生きることを楽しむ

2009/04/01

aun_m_vol032005年2月26日の夕刻、霙交じりの中を斎場に急いだ。

かねてより治療中の身であることは存じ上げてはいたが、本山でもしばしばお見かけし、お体を案じられて聞かれる方にはいつも先生らしい飄々としたご様子でお応えになっていた。先生は、厳密な意味でわたしの師ではない。技については、かつて地方武専に出張教員としてお見えになった際、三日月返をご指導いただいたのが記憶にあるくらいだ。むしろ、諸会議では長としてご指導いただき、大会では部屋数の都合で同室となった折にシベリア抑留のお話を少し聞かせていただいたことのほうが印象に残っている。

「わしと一緒に正直者が馬鹿を見ない世の中をつくらないか」という開祖の言葉に押されて、先生はこの道を歩み始められたと聞く。戦後、自分の生活で精一杯の時代。敗戦に至ったこの国と日本人のあり方を問い、開祖とともに金剛禅を布教された先達のお一人であった。

時代の雰囲気に流されぬ人、地位の上下にかかわらず自分の考えを表すことのできる人、自分や自国の利益のみを優先することのない理性を持ち行動できる人、自分の行いに責任を持つ人、そんな人を育てることが、敗戦を体験した人、その後の生き方への答えであるかのように。金剛禅は戦後、日本で誕生した。自己を取り巻く環境や人に対して厳しく評価できる見識を持つことと、不都合や苦しみを他者のせいにして、何もしないこととは違う。すべては固定したものではなく、己のなすことによって変わり、その結果は己の責任である。そのことを受け止める強さがいる。他人のせいにするな。人は必ず死ぬ。今を、感謝を持って強く生きろ。自己を確立し、本当に強い人間になれ。そう先達は語る。

人はある年齢期になると、他人を思いやる力を持つ。それが自然である。力を合わせ、共に働き、外敵や自然の脅威から身を守って人類は生き抜いてきた。思いやって生きる。それが、法が与えた人らしい生き方ではないか。先生は、横臥した身を起こし、「ありがとう」と言葉をかけ、合掌礼をされて旅立たれたと風は伝える。

(文/須田 剛)