伴走者たること

2016/07/27

 子どもの頃から身体が小さく、駆けっこも遅くかった私が、クラス対抗陸上競技の選手を決める時、なぜ千メートル競争の選手に立候補したのか、自分でも不思議でした。中学二年になり、急に背が伸びたこと、成績も急上昇しクラスで一番をコンスタントに取れるようになったこと、などで自己イメージがアップしたためかも知れません。競技会最後のプログラムである千メートルは誰もが注目する競技会の“華”でしたが、「苦しい」という評判で、選手になり手が容易に見つからないと言われていました。学年に何人かは強豪がいて、彼らのいるクラスでは早々と選手が決まり、残るはめぼしい人材のいない私のクラスと隣のクラスだけでした。クラス委員長として「こんなことでも、みなの役に立ちたい」と思ったことも確かです。

 毎日、放課後自転車で学区外の国道まで行き、そこで密かにランニングを重ねました。自分なりに目標を決めて十チーム中、ビリから二番か三番に入ることを目標としました。

 当日がやってきました。競技会は県の陸上競技場を借り切って行なわれました。初めて走るアンツーカー。いつもの練習とは違い、だだ広い競技場はどこまで行ってゴールは果てしなく遠くに思えました。何よりもライバルたちのスピードの速さに驚きました。どんどん追い抜かれます。

 最後の百メートル、後を走っていた選手が私を追い抜きにかかってくる気配を感じたのです。その時です、私の背中から「純ちゃん、頑張れ!」という声がしました。担任の星先生の声でした。先生は私を後から追い立てるように伴走してくるのです。「純ちゃん、頑張れ!」と叫びながら。私の中に猛烈に勇気が湧きました。あとで「あんなに純が速く走れるとは思わなかった」とクラスメートに言われたらい猛烈なラストスパートだったのです。あの時の星先生の声と、横を一緒に走ってくれた姿が、五十年たった今でもよみがえります。そのたびに、私自身は、カウンセラーとして、教師として、子どもの伴走者足り得ただろうかという自省の気持ちも湧いてくるのです。

執筆者:菅野純 1950(昭和25)年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学卒業後、同大学院修了。発達心理学・臨床心理学専攻。東京都八王子市教育センター教育相談員を経て、早稲田大学人間科学学術院教授を2015年3月まで務める。現在も、不登校、いじめ、非行など、さまざまな子供へのカウンセリングに加え、学校崩壊をはじめとする学校のコンサルテーションに取り組む。<心の基礎>教育を学ぶ会会長。著書は『武道──心を育む』(日本武道館出版)など多数。