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vol.20 共に正道を歩こう

2012/02/01

少林寺拳法とは何か?

言うまでもなく、それは、金剛禅の護身練胆、精神修養、健康増進の三徳を兼備した行である。開祖は、戦争を生き、敗戦後の混乱期に中国から帰国し、亡国と化するが如き日本の姿を目の当たりにした。そこで、祖国復興に役立つ人間を育成しようと決心して少林寺拳法を創始し、道を説いたのである。

少林寺拳法への入門の動機は人さまざまであろうが、私は、入門して時間がたつにつれ、開祖の考え方、生き方に感動し、共鳴し、途中挫折したこともあったが懸命に修行した結果現在に至っている。そして、人づくりの一助になろうと、人としての質を高めようとして門下生に道を説いているのである。開祖亡き後も開祖の示された道を歩んでいるのである。今、本当にそうであろうか? と自問してみる。17号でも詩人・彫刻家高村光太郎の「道程」という詩が出ていたが、ここでもう一度取り上げて考えてみたい。
   道程
  僕の前に道はない
  僕の後ろに道は出来る
  ああ、自然よ
  父よ
  僕を一人立ちにさせた広大な父よ
  僕から目を離さないで守る事をせよ
  常に父の気魄を僕に充たせよ
  この遠い道程のため
  この遠い道程のため

この詩の中の「自然」「父」を「開祖」に置き換えてみると、この詩がより理解できるのではないだろうか。

前段に開祖の示された道を歩いていると書いた。ということは、僕の前に道があるのである。最前線にいるのではないのだ。示された道を歩いているだけなのだ。少林寺拳法を背負って、人づくり、国づくり、世界の平和を願って、日々真剣に気魄を持って行動しているのであろうか? ということである。

今年、少林寺拳法はIT化に踏み切った。その結果は想定外で、今も混乱をしている。東日本大震災もいろいろな意味で追い打ちをかけた。創始60余年にして初めての大きな危機かもしれない。

ちまたでは、いろいろな声が聞こえてきている。しかし、批評してばかりでは前に進まない。評論家というのは、実は、最前線にはいないのである。後方にいるがために(安泰であるがゆえに)好き勝手をいえるのである。それでよいのだろうか?

今、なすべきことは、原点に帰り、師の思いを改めて心に留め、少林寺拳法の発展に尽くすことであろう。

道訓の初めに「道は天より生じ、人の共に由る所とするものなり……」とある。

道を切り開くことは容易ではない。一人ならなおさらである。しかし、同じ志を抱く者と共に歩めば、道はきっと開かれよう。そして、共に歩む者が多ければ多いほどそれは、さらに容易となるのではなかろうか?

3月11日東日本大震災が発生して、改めて政治や電力会社、保安院などに携わる人の質について考えさせられた。まさに、開祖の言うとおりである。

人としての質の向上、高い質を持った人間をたくさん世に送り出して理想境建設に邁進することが、少林寺拳法に携わる者の道であるといまさらになって思うこのごろである。

(函館亀田道院 手坂世志雄道院長)

道では
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