vol.6 北禅の風を継承する金剛禅

2009/10/01

aun_m_vol06嵩山少林寺には、歴代の禅僧の墓塔や碑刻石など、その足跡を辿ることができる遺物が実に多い。同様に嵩岳をはじめ華北一帯には、幾つもの禅寺があり、墓石や碑刻石が、禅宗の教線拡大や継承に欠かせない重要なものであったことが知られるのである。華北の禅林においては、華南のような禅籍語録の出版普及より、撰文碑刻の石塔建立に力点がおかれたのである。いわゆる塔林や碑林というものが、禅宗寺院の大きな特徴となっている。

禅といえば、南頓禅ばかりが謂われるがそうではない。五祖弘忍の法嗣である法如や道安(慧安)、六祖神秀の弟子普寂、景賢、同光、法玩など北禅の系譜が、嵩山少林寺辺りに、今も墓塔や碑刻石など原物の現存によって判然とするのである。五祖、六祖の法脈を汲むこれら禅僧の足跡に目を向けることなく、達磨大師の禅風を語ることはできないであろう。

日本の禅僧にあっては戦後においてさえ、華北の禅林に足を運んだものは誠に少なく、南禅頓悟の流れに浮かされ、中国大陸の入り口、江南のわずかの禅寺を物見遊山的に訪問するだけで、ついには禅宗の祖庭にまで至ることはなかったのである。

その点開祖は、達磨西来の少林寺を踏まえ、自らの視点から達磨の禅風に独特の解釈を加え、これによって新たな禅の大道を構築されてきたのである。従来の頓悟の禅を退け、漸々修学を必要とする易筋行を主行とした、身心一体の錬成を図る「北禅の風を継承する金剛禅」(教範92ページ)を主張されたことは実に意義深い。

多度津に最初に建立された道場の門(本部道院)には、「総本山少林寺」と大書された扁額がある。開祖はその文字の上に「禪宗金剛禪」と標記されている。そこには混乱の社会を生き抜いてきた開祖が懐いた、達磨大師につながる実地を踏む新しい禅風構築への強い意志を窺い知ることができるのである。

(文/今井 健)