vol.7 原点回帰

2009/12/01

aun_m_vol07「原点回帰」少林寺拳法において原点に帰るということはどのようなことなのでしょうか。

開祖は存命のころから、事あるごとに我々に向かって、原点に帰れ、と呼びかけておられました。

人、人、人、すべてはその人の質にあるという金剛禅運動の出発点は開祖の確信であり、また原点に帰るということは少林寺拳法創始の動機と目的、つまり開祖の志をしっかり自分のものとして、その意志を引き継ぎ、その後に続いて「人づくりによる国づくりの道」を歩むことにほかなりません。

そして、「人づくり、国づくり」の手段として何が一番ふさわしいかとさまざまな試行錯誤の中で生まれたのが教えとしての「金剛禅」であり、行としての「少林寺拳法」であったのです。

近年、行としての「少林寺拳法」ばかりに注目が集まり、本来の教えである「金剛禅」が軽視される傾向にあります。

「金剛禅」はダーマに信心帰依し、人の霊止たる我として生きる道を説く宗教であることを認識することです。

つまり、必要があって生かされているという自覚、人の霊止たる我の認識に基づいたダーマ信仰こそが自己確立・自他共楽の生き方の中心であり、これが「金剛禅」信仰であることを自覚しなければなりません。

開祖の遷化後、原点への回帰ということが頻繁に問われていますが、果たしてどうでしょうか。

私の思い過ごしかもしれませんが、我々はいつの日からか時が止まっていて、単に時に押し流されている毎日ではないのでしょうか。

時代のニーズに合わすことも必要であると思うけれど、原点を見失い、意味なく時代に迎合することだけは避けなければ、「金剛禅」に未来はありません。

いくらすばらしい教えであっても伝える者が間違って伝えれば、また伝える者がいなくなればそれは消滅するしかないのです。教えが一人歩きするはずもなく、我々が正しく伝えていくしかないのです。

改めて「原点回帰」の重要性を再認識し、開祖の志を後世に伝えていこうじゃありませんか。

(文/川端 哲)