vol.9 変わらなければならないものと変わってはいけないもの

2010/04/01

aun_m_vol09世は情報社会の花盛り。よきにつけあしきにつけ、噂というものはまばたきをする間もなく世界中を駆け巡るのが現代社会です。

変わらなければならないものと、変わってはいけないものとは何かと問いかけられたとき、我々は迷わず「金剛禅の教え」と「少林寺拳法の技法」が変わってはならないものであり、変わらなければならないのは修行者である自分自身であると答えが出てこなければなりません。

開祖は、釈尊の臨終に際しての最後の言葉を例に出し、「とりわけ移ろいやすいのが人の心であるからには、せめて、志の根源を見失わないために、常に怠らず努めるしかない」と言われているように、金剛禅の修行者は開祖の志を十分に理解し、原点である人づくりによる国づくりの道を目指さなければなりません。

「自分は変わった」という話はよく聞きます。かくいう私自身も少しは変わったと思いますが、まだまだ修行不足を痛感している今日このごろです。

では、他人に影響を与え、変えることができたかと問われると、これも修行半ばではないかと反省しきりといわざるをえません。

自身日々、自戒と反省をして不足部分を改める勇気があるからこそ、人は変われるものであると、信じて疑いません。

自分が変われば他人が変わり、組織が変われば地域が変わり、社会が変われば国が変わると言葉や文書では簡単にいえますが、現実においては、そう簡単にうまくいくわけもありません。だからこそ、我々金剛禅の修行者はなおさら、一生を掛けてこの道に努力精進をしていかなければならないのです。

また、自己確立ができただけで満足しているのではなく、その先にある自他共楽ができて初めて人は変わることができたといえます。

漸々修学、一歩一歩自分の足で確かめながら進むことこそが、自己確立への道であるともいえ、その道は果てしなく険しいが、価値のある道であるゆえ、信じてこの道を進んでいこうではありませんか。

皆さん頑張りましょう。

(文/川端 哲)