大橋ボクシングジム会長 大橋秀行氏に聞く

2015/03/26

違いを生み出すのは素質ではなく、考え方。
学び続ける姿勢が夢の実現を引き寄せる。

—今回は大橋ボクシングジムの大橋秀行会長にお話を伺います。大橋会長といえば現役時代、ヨネクラジムに所属し、「150年に一人の天才」と称され1990年にWBC世界ストロー級、92年にはWBA世界ストロー級のチャンピオンになったことをご記憶の方も多いでしょう。引退後は大橋ボクシングジムを立ち上げ、多くの選手を育て上げておられます。世界チャンピオンだけでも、川島勝重選手(WBC世界スーパーフライ級)、宮尾綾香選手(WBA女子世界ライトミニマム級)、八重樫東選手(WBC世界フライ級、WBA世界ミニマム級)、井上尚弥選手(WBO世界スーパーフライ級、WBC世界ライトフライ級)とこれまで4人の世界王者を輩出。その他にも日本王者、東洋太平洋王者を含めると、10人以上の選手が何らかの王座を獲得しています。一方で女子や青少年に向けての指導も行っており、幅の広い活動をされています。
 さまざまな選手、練習生を見てこられた大橋会長ですが、ジムにはプロ志望の方をはじめ、さまざまな方が門をくと思います。その中で、どんな人が伸びて、逆にどんな人が伸びないのか? 何か傾向があれば教えてください。
大橋 川島、八重樫、井上尚弥‥‥それぞれ違う感じですね。誰が世界チャンピオンになるか分からない、それが正直なところです。けれど強くなる者は間違いなく、練習に対して真面目です。そして、《素直な負けず嫌い》、これですね。
—素直とは?
大橋 負けず嫌いなのだけど、人の意見に対して聞く耳を持っているのです。ただの頑固な負けず嫌いだと、人の話をなかなか聞かないんですよね。
—素質があってもブレイクできない選手というのは、そこが原因かもしれないですね。
大橋 いちばん大切なのは考え方。そこが差を生むのだと思います。
—素質やセンスではなくて、考え方ですか?
大橋 私には兄がいまして、私が小学生のころ、5歳上の彼はすでにプロボクサーでした。おもちゃのグローブで私の相手をしてくれて、それでいつも殴られて、ボクシングに親しんでいったのです。兄はすごく運動神経がよくて、何をやってもできました。一方、私は運動が苦手で、体育の成績も5段階の3とか、ありふれた感じでした。兄はボクシングの素質もすごくて、周囲の大人に「将来、私と兄のどっちが世界チャンピオンになる?」と聞くと、全員が兄と答えるくらいでした。
 だけど兄は私と性格が全然違っていたのです。兄は「練習しないで勝つのがカッコいい」という考え方でした。私は逆で、「負けてもいいから全力で練習する」「100%の状態で負けたなら、その方がいい」という考えです。
—大きな違いですね。
大橋 結局、私はWBCとWBAの世界チャンピオンになれたのですけど、兄は日本ランカー(バンダム級1位)にはなりましたが、チャンピオンにはなれませんでした。
—そうでしたか。
大橋 考え方でこれだけ変わるのか、と今すごく思います。いくら素質があっても、「俺は天才だから、練習なんかしないよ」と言ったら、それは絶対に世界チャンピオンにはなれないですから。現在、WBO世界スーパーフライ級のチャンピオンである井上尚弥という選手は、世界最速で2階級制覇を成し遂げて、周囲からは天才と称されることもあります。しかし彼は天才というより、秀才が努力して天才を超えたというイメージです。 
 実は子供のころ、井上尚弥と並んで素質があるといわれた子があと二人いたんです。三人とも同い年。いちばん素質があったのはFくんという子でした。二番目が井上尚弥。三番目が同じくうちのジムにいる松本亮です。
 でもFくんは、今はボクシングをやっていません。遊びたくて、練習が耐えられなかったのかもしれないですね。井上尚弥はFくんより素質では劣っていたけれど、努力で世界チャンピオンになった。松本亮も努力を積み重ねて、現在まで13戦13勝11KO。現在は東洋太平洋フライ級チャンピオンです。
—地道に努力を続ける。口で言うのは簡単ですが、やり続けるのは困難なことです。だからこそ、続けたときには大きな力が生まれるとも思います。さて、大橋会長がいわれる「素質」ですが、それは具体的にどういうところを指しますか?
大橋 反射神経ですね。やはりパンチにいかに反応できるか? そこをいちばん見ますね。あと、パンチ力も実は生まれつきなのです。鍛えれば鍛えるほど強くなるというものでもないですね。一生懸命練習したら、若干は伸びる可能性はありますけどね。野球で速い球を投げる能力と一緒ですね。
 反射神経やパンチ力、これは確かに生まれつきなのですけど、それだけでは勝ち抜いていくことはできません。なぜなら、ボクシングの12ラウンドって長いですから。すばらしい能力も、後半になると落ちてきます。そのときに積み重ねてきた練習量、そこから生まれる精神力‥‥その差が出てくるのですね。世界戦になるとそういうケースが多いですね。
—心の強さですね。大橋会長は、この点をどのように鍛えてこられたのですか?
大橋 よく、「寝れなくなるから試合のことは考えない」と言いますよね。しかし私の場合は試合が決まると、寝る前にわざと試合の日のことを考えていました。控え室に入ってバンテージを巻いているシーンとか、準備運動が終わってリングに上がっているときとか、それを寝る前に何度も頭の中でリハーサルしていましたね。そうすると、だんだん緊張して寝れなくなってくる。それでも、なおそれを繰り返していく。そうすると試合当日には、試合前のシーンがいつも見たことある風景のようになるのです。それで気持ちを乱すことなく、平常心で試合に臨むことができました。
—苦しい状況を遠ざけるのではなく、正面から向かい合っておられたのですね。そこからタフな精神が培われていった、と。
大橋 精神的なスタミナをつけるには、緊張感を持ってやるのがいちばん効果がありました。あとヨネクラジムの場合は、練習は3分間動いて40秒休むのですが、3分間サンドバックをフルに打つと、本当に苦しい。そこから「ラスト30秒」という掛け声があると、更にスパートするんです。そのときはもう心臓が口から出るのじゃないかというくらい苦しく、気持ち悪いのです。
 でもどんな苦しいことも30秒たてば終わるのです。どんなに苦しくても必ず終わりが来る。そう思ったとき、突破口が見えてきました。

—3分単位で全力のトレーニングを繰り返し、しかも最後の30秒に猛烈にスパートをかける! 心臓が口から飛び出すほどの苦しみだったそうですが‥‥。
大橋 あるとき苦しくてしかたなかったのですが、「あれ、苦しくないと思えばもう少し動けるじゃないか」と気がつきました。それからは早く自分の意識の限界に近づこうと思うようになりました。
 「気持ち悪い」「もう疲れた」「限界が来た」となったときに『あ、苦しみさん。やっと今日も会えたね。こんにちは!』と思うようにしました。そうすると疲れも楽しくなってきた。そうやって弱点だった体力不足が克服できました。
—それは本当にすごい! 苦しいとき、下を向いてしまうのか? その先に希望を見つけ出し、顔を上げるのか? 結局、困難に打ちつには、大橋会長のように苦しみと向き合い、正面から乗り越えていくしかない。困難と仲よくなれたとき、すでに成長のハードルを一つ飛び越えているのだと思いました。
大橋 前回お話した井上尚弥(WBC世界スーパーフライ級チャンピオン)ですが、実を言いますと私は彼のようになりたかったのです。彼は高校1年生のときからインターハイで優勝してるのですが、私もそれをやりたかった。けれど1年生のときは負けてしまった。優勝したのは2年生からなんです。しかも3年生のときにはまた負けているんですね。
 プロになってからも、一回も負けることなく無傷のまま世界チャンピオンになろうと思っていました。最初の世界挑戦のとき(WBC世界ライトフライ級 韓国で張正九選手と対戦)は、デビューから6戦目で、世界最速での挑戦。そこまでは計画どおりだったのですが、そこでも負けてしまった。私はいつも大切なところで負けてしまっていたのです。
—ここいちばんでの勝負強さ。それを体得したい人はたくさんいると思うのですが、大橋会長はどのように学んでいかれたのですか?
大橋 思い起こすと、そのころの私は、何事も人のせいにする生き方、考え方をしていたのです。「監督の指導法が悪い」「ジムの待遇が悪い」不満ばっかりでした。別の言い方をすれば、その当時に習っていたボクシング部の監督や先生、会長、みんな大っ嫌いだったのです。
 そういう自分に気づいたとき、「もう他人のせいにはしない」「他人に不満を持つこともしない」と誓いました。そして、監督や会長を好きになるように努力しました。でもいいから好きになろうと。
—それは嫌いな人でも、「好きだ、好きだ」と言い聞かせていくのですか‥‥?
大橋 そんな感じです。そうすると、だんだん本当に好きになってくるのですね。例えばヨネクラジムでは、朝の6時にロードワークをするのですが、米倉会長は少しおっちょこちょいなところがあって、朝の3時とか4時ごろに呼びにくるのです(笑)。そんなときに会長を嫌っていると「このクソおやじ!」と頭に来るのですけど、好きになってくると「会長ってお茶目だなぁ(笑)」と思える。それだけ変わるのです。それを続けると全然違ってきました。
 そうすると、お互いの波長が合ってくるのです。会長の言いたいことを、こちらがしっかりと受信できる。そんな感じで、練習の一つ一つが血となり、肉となり、しっかり身に付いてくるのを感じるようになりました。そこからガーンと伸びましたね。何より、自分が好きになると相手も変わるのです。当時のヨネクラジムは、ガッツ石松さんが世界王者から陥落してから10年もの間、チャンピオンが出ていなかったんです。当時、ジムの中は不満だらけで、「米倉会長が嫌い」という空気が漂っていました。それで私が後輩たちに「の前で米倉会長の悪口を言うな」と話しました。特にプロ選手だった数名の後輩にはきつく言い渡しました。その結果、私と後輩たちで、20本以上のベルトを獲得しました。
—一人の意識が、ジム全体の雰囲気を大きく変えて、それが目に見える結果をも変えたのですね。心の中で思っていることは目に見えませんし、結果とは関係ないと考えがちですが、一人ひとりの意識が全体の空気に少なからず寄与している。これは、ジムや道場のことにまらず、社会全体にも当てはまることかもしれませんね。
大橋 《不満大敵》と私は言っているのですが、これは大きいですね。
—そうですね。さて、勝負の世界においては、「運も実力のうち」などといわれます。この「運」というものについて会長はどう思われますか?
大橋 運という要素は確かにあると思います。しかしそれは、世間で言うようなバクチ的なものではないと思っています。
—といいますと?
大橋 謙虚な姿勢で努力を続けていく。そうすることで、チャンスというものが引き寄せられてくる。そういう感覚です。
 よく米倉会長がおっしゃっていたのが「ボクシング生活というのは波乗りみたいなものだ」「人生でもボクシングでも、誰に対しても公平に3回大きな波が来る」「波に乗れたものがチャンピオンになれる、成功を手にすることがう」ということでした。だから常に波に乗れるように準備しておけよ、と。逆にチャンスを逃すは、準備ができてなくて、波に乗れない。もっとダメなのは、波が来ているのに気がつかない。それは私にとって強烈な言葉でしたね。
 ボクシングの世界だと、チャンピオンに挑戦する予定だった選手がして代役を探している、とか。そういうことがしばしば起こるんです。そのときに地道な練習を積み重ねていれば、チャンスをつかむことができる。そういう人ってチャンピオンになれるんですよ。
—地道な努力が、夢を叶える道につながっているのですね。
大橋 実際に具体的な目標を描いて、「こうなるんだ」と自分に言い聞かせると、おのずと今やるべきことが見えてきますよね。それが「今この練習をするんだ」「このジムに習いにいく」と具体的に行動になる。私は子供のころから、常にそう思って計画的に行動していましたね。
—夢や志を追い求めていながらも、どうしたらいいか分からなくなってしまう。若い人に限らず、そんな葛藤を抱えている人は多いと思うのです。けれど、夢を叶えるために必要なことは特別なことではなくて、目の前にあることに、コツコツと地道に取り組んでいくこと。当たり前のことをやり続ける。その積み重ねが道を切りいてゆくのだと思いました。どうもありがとうございました。(2015年1月9日 横浜・大橋ボクシングジムにて)

shin_01 (大橋秀行氏プロフィール)
1965(昭 和40)年生まれ、神奈川県出身。現役時はヨネクラジムに所属し、戦績は24戦19勝(12KO)5敗。1985年にデビューし、1RKO勝ち。 「150年に1人の天才」といわれ、軽量級ばなれした強打者ぶりを発揮した。??1990年2月、WBC世界ストロー級チャンピオン、1992年2月、 WBA世界ストロー級チャンピオンとなる。引退後、大橋ボクシングジムを開設し、地元、横浜で後進の指導に当たっている。 テレビ中継など、ボクシング解説でも活躍中。現在、日本プロボクシング協会会長、東日本ボクシング協会会長に就いている。