少林寺拳法の厳しい修練で培った心身が、 揺るぎない土台となって支えてくれた。

2018/09/26

慶應義塾大学少林寺拳法部OB齋藤方秀氏に聞く

Q 今回は慶應義塾大学少林寺拳法部のOBで、弁護士として活躍されている齋藤方秀さんにお話を伺います。斎藤さんは一般社団法人SHORINJI KEMPO UNITY の監事も務めておられます。まず斎藤さんが、慶應義塾大学に入学した理由、さらになぜ少林寺拳法部に入部したのか、教えてください。

齋藤 幕末に福沢諭吉先生が慶應義塾を立ち上げたのがいまの慶應義塾大学の出発点です。福沢先生といえば、「学問のすゝめ」や「西洋事情」「文明論之概略」などの著作が有名で、一般には啓蒙思想家として知られていますが、実はそれだけではなくて、居合道を学ばれていた武術家なのです。ですから慶應義塾は「文武両道」なんです。

Q  「福翁自伝」には「立身新流」という居合道の流派を学んでいたとの記述があるそうですね。

斎藤 ええ、そういう記述がありますね。私が入学した昭和35年頃は慶應大学の空手部がひじょうに強いという評判でした。私は高校時代に小林流空手をやっていましたので、慶應義塾で勉強しつつ、空手部で鍛えようと考えていたのです。

Q  それがなぜ少林寺拳法部に入部されたのですか?

齋藤 二つあります。私が入学したその年に、慶應大学にはじめて少林寺拳法部ができました。そして本部から高段者の先生方が見えて、日吉校舎の校庭で演武を披露されたのです。その演武を拝見しまして「これはとても合理的だな」と感じました。といいますのも、高校時代に学んでいたのは寸止め空手で、「(当て身が)当たったら倒れる」という話なのですが、本当にそうなのかはわからなかったのです。ところが少林寺拳法は実際に防具をつけて当てていましたし、脇を締めたボクシングに近い構えをしていました。ボクシングは合理的なスポーツですから、それに近い体の使い方をするということも魅力に感じられました。それで空手部への入部はやめて、少林寺拳法部に入部したのです。

Q  当時は何名くらいの部員が在籍していたのですか?

斎藤 30〜40人はいましたね。2年目には私が主将を拝命しまして、その時は50名以上を引き連れて、夏の合宿に長野県まで行きました。

Q  当時はかなり激しい練習をしていたのですか?

斎藤 そうですね。その頃はちょうど極真空手を創設した大山倍達氏が「牛殺しの大山」ということで話題になっていましてね。試合では寸止めではなく、直接当てることもまた評判でした。それで私たちも、彼らのことをすごく意識していたのです。 

 さきほどお話ししたように私は2年目から主将を拝命しましたので、指導も先頭に立っておこないました。そこで注意したことは三つありました。まず「基本をおろそかにしない」。日々の稽古はもちろん、合宿でも基本ばかり繰り返し練習しました。夏の合宿は長野県に行ったのですが、山の上にある旅館から、下の体育館まで下駄を履いてみんなで駆けて行きました。そこで千本突、千本蹴です。もちろん法形もやりました。そして帰りはまた下駄で駆け上がるのです。

 二つ目は「護身術として相手を倒せるだけの突き蹴りをする」。その頃の私は筋トレを欠かさずやっていまして、部員たちに実際に私の腹を打たせていました。しかし、ほとんどの部員たちの当身は効きませんでした。そこで「そんなもので身を守れるのか?」と叱咤激励したものです。

 三つ目は、乱捕です。いまでいう運用法ですね。これを盛んに練習しました。当時、開祖は「少林寺拳法は組演武が主体」ということを言っておられたのですけど、それを承知の上で「でも強くないといけない」「かっこだけじゃダメだ」という想いが強くありました。開祖には「慶應は乱捕ばっかりやっているけど、ダメだぞ」と怒られましたけど

Q  いま開祖のお話が出ましたが、在学中に本部に行かれましたか?

斎藤 はい。昭和35年の夏合宿ではじめて本部に行きました。当時は、他の大学はまだどこも来ていませんでした。開祖自らが道場に出てこられまして、直接手をとってご指導くださいました。「わしの手を握ってみい」と言われて手を掴むと、ボンと後ろに飛ばされたりしました。

 印象に残っていることは多々あるのですが、例えば練習の合間に、開祖を取り囲むようにしてお話がはじまる。そうすると開祖は「君らどうだ、彼女はいるのか?」と聞くわけです。「彼女と公園を散歩しているときに暴漢に襲われたらどうする?」「ちゃんと助けてあげられるか?」と。そこで「正義なき力は暴力なり 力なき正義は無力なり」ということを教わっていたわけですね。

 もうひとつ「君ら学生だから勉強しているだろう。だけどわしだってこんな田舎におるけど勉強しているぞ」とよく言っておられました。これがすごく印象に残っています。例えば「己こそ己の寄る辺〜」という言葉がありますけど、私なりに調べて、法華経からきていると理解しました。これは私の解釈であり、その真偽のほどはさておきますが、何れにせよ色々な分野の学問を勉強されて、ご自分の思想体系を創り上げてこられたのだと思います。

Q  ところで斎藤さんは大学在学中に何段まで取得されたのですか?

斎藤 二段までです。当時の部員たちは全て二段までです。これには理由がありましてね、他武道、特に空手の段位と比較した際、少林寺拳法部の学生が高段位だと、反対にレベル(強さ)を疑われますので、他の武道・流派への対抗心もあり、慶應義塾大学少林寺拳法部は二段止まりにしようと。当時そういうことにしたのです。ずっと後になって石原伸晃君あたりの代から三段までとるようになったようですが。

Q さて斎藤さんは慶應義塾大学を卒業後、弁護士の道に進まれましたがその理由を教えてください。

斎藤 あるとき、わたしの家で法事がありまして、お客様がたくさん来ていました。その時、裏庭で子牛ほどもありそうな大きな犬が二頭、喧嘩を始めたのです。騒がしくてみっともないので、私が行ってやめさせようとしたのです。ところが、全くビクともしないのです。力づくでなんとかしようとしたのですがどうしようもなくて‥‥少林寺拳法部で鍛えていただけにショックでした。そんなことがあって、人間が一生懸命鍛えたところで限界があるのではないか? と感じたのです。

 例えば高跳びの選手がどんなに鍛錬しても、鳥はその遥か上を悠々と飛びます。でも、人間が作ったジェット機は鳥よりもはるか高く、そして遠くまで飛ぶことができる。潜水艦を使えば生物がほとんどいない深海まで潜ることもできる。自主トレをしたあと、裏山の土手でひっくり返って星を見ながら、「人間の頭というものは無限だな‥‥」と思いました。そんなことがあって「やっぱり頭の方で行かなきゃダメか」と感じたのです。

 その頃、「法律書生は天下をとる」なんて言葉が巷で流行っていたのですね。別に天下が欲しかったわけじゃないのですが、面白いと思いまして、文学部から法学部に転部しました。それで結局は法律家の道を歩んだ、というわけです。

Q 弁護士としてお仕事をされる中で、少林寺拳法の教えが生きることはありましたか?

斎藤 少林寺拳法の思想もさることながら、乱捕などの経験の方が活かされたと思います。と言いますのも、裁判は知的な格闘技だとわたしは考えているのです。乱捕は肉体的な戦いですから、共通するものがたくさんある。相手の隙をつく、あるいはわざと隙を見せて、その上で攻撃するとかね。

 もちろん、平常心や心の強さということは仕事をする中で常に感じています。裁判というのは静かな法廷でやりますけども、やはり精神的に未熟ですとパニックになります。あるいは法廷の外で弁護士同士の交渉もありますから、相手方の弁護士からプレッシャーをかけられることもあります。でも私は少林寺拳法の厳しい稽古を経験しているから、ちょっとくらいで心が乱れるようなことはありませんでしたね。

 ある時、私のクライアントの会社が反社会的勢力に関係する団体とトラブルになったこともあります。当時、クライアントは新社屋建設を進めていたのですが、その工事を妨害されまして、それで私が相談を受けたのです。普通だったらためらう状況でしたけど、少林寺拳法を修業した矜持がありましたから、真っ向から立ち向かいました。そこで、その団体のトップに対して地裁で立ち入り禁止処分を申請したのです。そうすると、下手な妨害をすれば損害賠償の対象となって法的に処分されてしまいますから。

Q 妨害に対して法律という知性で立ち向かったわけですね。

齋藤 そうですね。それが功を奏して、相手のトップが交渉をもちかけてきました。そこでも毅然とした態度を貫き、妥協はしませんでした。結果として、向こうはおとなしく引いてくれました。いま振り返ると、これもまさに平常心だったのかな、と思います。「やるならやってみろ」という気概があったからこそ、冷静に対処することができました。それは何年も自主トレをしたり厳しい修練をしたことが多少なりとも土台になっているとは思いますね。

Q  では斉藤さんが考える社会のリーダー像について教えてください。

斎藤 まず第一に、「少しくらいのことにビクともしない豪胆さ」と「繊細な感性」を併せ持つことが必要だと思います。物事をやろうと思ったらどんな妨害があろうとも断固として実行し後悔しない、そういう気持ちの強さ。一方で、部下やクライアントの気持ちの変化を的確に察してあげること。その両方です。

 さらに「時代の流れに敏感なこと」も必要です。少し前に大学アメリカンフットボール部やレスリングのナショナルチームでパワーハラスメントのトラブルがニュースになりましたが、指導者の方たちの若い頃は同じようなことが普通に行われていたのでしょう。けれど時代は常に変化している。昔は良くても、今はダメなことがたくさんあるのです。そこを学ばなくてはいけません。

 それから「清濁併せ呑む度量を持つ」こと。トップに立つ人は「これは悪いことです」と杓子定規に判断するのではなくて、良い意味でのおおらかさを持ちつつ、その上で正しい考えと行動を実践しなくてはいけない。と言っても楽な方に流されてはいけません。「ちょっと汚い手を使ってでも、なんとか生き延びたい」という気持ちは人間なら誰もが持っている感情かもしれませんけども、上に立つ人はそこを戒め、何ごとにも正々堂々と取り組む事ですね。

 さらにもう一つ。「常に魅力あるビジョンを描いてそれを実行に移す心構えを持った人物であること」。その団体にふさわしい魅力のあるビジョンを持ち、それをメンバーと共有する。一つの指針が与えられたら、部下たちも、自主的に考え、積極的に行動できますからね。

Q  最後に少林寺拳法の若い世代にアドバイスをお願いします。

斎藤 一言で言うと、「人間力を作りなさい」ということです。それは身体と心を鍛えることに加えて、もう一つ、頭を鍛えて欲しい。すなわち学問と知識で「知性」を養うことです。体と心と知性。これらが経験に裏うちされることで、まさにリーダーとしても非常に強い、強靭な人になれると思います。

 そういう意味では、もっともっと多くの若い人たちが少林寺拳法に取り組んでほしいと思いますね。体と心と知性を鍛錬する素晴らしい道だと私は実感しています。もちろん、少林寺拳法だけじゃなくて、サッカーや野球、あるいは他のスポーツでも結構です。何かに打ち込んで、それを通じて自信を養ってほしい。そうすれば長い人生を自信を持って、幸せに生きることができると思いますから。

 実はこの6月から、松山遼人というペンネームで「生き方のヒント」というホームページを始めました(http://www.ikikata-hint.com/index.html)。すでに第一話『仕事』、第二話『本との付き合い方』を発表しています。これから手探りで人生を切り拓いてゆく若人たちへ向けて一つのヒントを示すことが目的です。開祖がいわれた「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」の実践のつもりでやってます。

Q  これは素晴らしいですね。みなさん、ぜひアクセスしてください。本日はありがとうございました。(平成30年6月18日 東京・銀座 齋藤方秀法律事務所にて)

齋藤方秀氏 プロフィール

昭和15年神奈川県生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。平成6年2月 上記の母校より法学博士の学位授与を受ける。弁護士開業後、母校(司法研究室)の講師、企業・団体の顧問、上場企業の社外監査役、信用金庫の員外監事をつとめて現在に至る。少林寺拳法は大学在学中の昭和35年4月から昭和41年4月まで6年間修行。段位は2段。