vol.4 嵩山少林寺に問法修学した日本人僧

2009/06/01

aun_m_vol04嵩山少林寺といえば、昭和の初期、開祖が白衣殿の前にたたずまれ、少林寺拳法を発想された地である。

その少林寺に元の時代、いくつかの足跡を残した古源邵元という日本人僧がいる。邵元は1295年(永仁3)越前に生まれ、若くして鎌倉や京都の禅寺に参じ1327年(嘉暦2)入元した。江南をはじめ中国の禅林各地を歴参しついには嵩山少林寺に至ったのである。少林寺は唐末以後、廃仏と戦禍にまみれ荒廃していた。再び少林寺を興したのは元の時代、萬松行秀の系統、雪庭福裕の門下によってであった。

今、寺の方丈室前に鉄鐘が掛けてある。鐘胴の刻字を読めば、「書記邵元」「住持嗣祖傳法沙門息庵」とある。息庵とは邵元が少林寺に師事した雪庭福裕門下の第15代住持息庵義譲のことである。邵元は書記、首座と僧階を昇任し息庵に深く関わりながら共に禅宗の復興に寄与していく。碑刻石の撰文や堂塔を創建し、規範の維持に努め、問法修学を同じくしたのである。そして在元21年の巡錫を終え、邵元は1347年(貞和3)帰朝した。長年、広遠なる求法の旅であった。

1973年(昭和48)に開催された河南省画像石碑刻拓本日本展示会において、中国文学者の郭沫若は、邵元撰文の息庵禅師碑に詩を寄せた。

「息庵碑是邵元文 求法来唐不仁譲 願作典型千万代 相師相学倍相親」(息庵の碑は邵元の文にして、法を求め来唐せしにより仁に譲らず、願わくは典型として千万代、相師き、相学び、より相親しまん)

我々が常々唱和する「同志、相親しみ、相援け、相譲り」という信条がふと浮かんでくる。

風雪に耐え六百数十年余の時を経て存続する少林寺の鉄鐘や碑刻石から、禅宗の継承に共に邁進した日本僧邵元と中国僧息庵の強烈なエネルギーを感じ取ることができ、学ぶこともまた多い。

かつて開祖はこれらの足跡をおそらく観ておられたことであろう。

(文/今井 健)