希望

2024/01/01

ph_arai

 

合掌

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

旧年中は、世界大会をはじめとする当連盟の各事業に、多大なるご理解ご協力をいただき、誠にありがとうございました。おかげさまで、大変ではありましたが、確かな収穫を得る一年となりました。新しい年が皆さまにとりまして、希望に満ちあふれた年になりますよう、心から祈念申し上げます。

昨年を振り返ってみますと、米メジャーリーグ·大谷翔平選手の世紀の大活躍、将棋界·藤井聡太八冠の快進撃などのニュースが、日本社会にも夢や希望をもたらしたことと思います。それまで興味のなかった人にも興奮や感動を与えたのではないでしょうか。

そして、これほど大きな話題でなくとも、皆さんの周りで誰かの頑張りが誰かを勇気づけてきたことはあったはずです。私も昨年の世界大会では、遠く離れた地で頑張っている拳士がいることに感動を覚え、とても勇気づけられました。人が頑張っている姿に何かを感じることができる感性、大切にしたいですね。さて、皆さんに希望が満ちあふれるよう祈念するにあたり、そもそも「希望」とは、どこからやって来るものなのか考えてみたいと思います。

先ほどのように、幸せなニュースや温かい雰囲気など、周囲の環境によって希望を感じられることは確かにあります。しかし、希望を持つというのは、環境に左右されることのない自分自身の問題であると私は思います。有名な例え話ですが、コップに半分の水を見て「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。人間は一つの状況に対して、後ろ向きな受け止め方も、前向きな受け方も、どちらもできてしまいます。当然ながら、「なにごとも前向きに受け止めたい」と誰もが思うのですが、なかなか簡単なことではありません。

前向きに受け止められるようになるには、別の角度からものごとを見たり、違う考え方の可能性を模索したりする習慣が必要です。一旦抱いた感覚を脇に置いて、あらためてまっさらな気持ちで向き合うということでもあります。ちょうど、アートをまじまじと眺めるような感覚と似ているかも知れません。アートを観るときのように心や時間に余裕を持って、一つのものごとにじっくりと向き合うようにしたいものです。一見すると八方ふさがりのように見えることでも、「こうすればいける(突破できる)かも知れない」ということはあるものです。

自身の考え方やものの見方·行動を変えることで希望を見出せる。そんな生き方を心がけたいですね。周囲の環境に希望を与えてもらうだけではなく、自らの行動によって希望を見出していく。新しい年の始まりにあたり、そのことをしっかりと確認して、私もまたスタートを切りたいと思います。

少林寺拳法に関わる全ての皆さんが、何かしらの希望を見出せる一年となりますよう、重ねて念願いたします。

結 手