海上自衛隊護衛艦隊司令官 河村正雄海将に聞く 

2015/10/26

開祖の教えと厳しい練習が、己の資質を開花させてくれた。

―今回から2回にわたって、海上自衛隊護衛艦隊司令官を務める河村正雄海将にお話を伺います。河村さんは防衛大学校少林寺拳法部のご出身です。国防を司る大切な職務に従事されている河村さんの中で、少林寺拳法部での経験が、どのように息づいているのか―この点に迫りたいと考えております。まずは河村さんが防衛大学校に進学したきっかけを教えて下さい。
河村 きっかけは高校の同級生に防衛大学校の受験を誘われたことです。その彼は、私にとってとても信頼のおける友人だったのです。普段はおとなしいのですけど、弱いものイジメを絶対に許さないとか、困っている友達を助けたりとか。いざという時に行動する人間で、一本芯の通った男でした。
その彼から「防衛大学校を受けるのだけど、お前たちも受けないか?」と誘われまして、「こいつがいうのなら受けてみようかな‥‥」と思いました。防衛大学校は受験料が要りませんし、試験の時期も10月くらいでしたので、模擬試験のつもりで受けたのです。そうしたら、たまたま私は合格してしまった。その後、本命だった大学には受からなかったので、防衛大学校に入学しました。ですから当初は防衛大学校に進学したいとか、自衛隊に入りたい! という気持ちは正直申しましてなかったのです。
―そうでしたか。
河村 ちなみに少林寺拳法のことも、その彼から教えてもらったのです。開祖が書かれたカッパブックスの秘伝少林寺拳法を貸してくれて、もう夢中になって一気に読みました。高校の時は入会する機会がなかったのですけど、防衛大学校に入って、クラブを見て回ったとき少林寺拳法が有りました。それで迷わず入部したのです。
―防衛大学校の少林寺拳法部はどんなクラブでしたか?
河村 当時、少林寺拳法部は人数が100人を超えていて、防衛大学校のなかでいちばん大きなクラブでした。学生舎すなわち寮の先輩に「少林寺拳法部に入ります」と言いましたら、「いいけど‥‥たいへんだぞ!!」と言われましたのを覚えています(笑)。
―上下関係は厳しかったですか?
河村 それほど厳しいとは感じなかったです。というのは防衛大学校の場合、学生舎の生活自体が、まさに学年=階級なのですね。学生舎の中では「学生隊」という部隊を編成していて、4年生から「学生隊学生長」が1名選任されます。その下に4人の「幕僚」がいます。その人たちが仕事を分担して、学生舎を運営、生活していく上での命令を出すのです。その下に大隊が4個大隊あり、大隊の中に4個中隊、さらに中隊の中に3個小隊がありまして、全員がどこかに所属するのです。で、一年生は絶対服従ですから、朝起きて清掃、上級生の食事の準備などを、全員が協力して関係なくやらなければならない。ですからクラブ活動においては、自然とそういうのが身についているのです。
そういう上下のけじめをきちんとした上で、防衛大学校の少林寺拳法部は割と自由な感じで、本当に和気あいあいとした雰囲気でした。
―練習は厳しかったのでは?
もちろん部の練習はたいへんでした。とくに下級生の時は自分の限界を常に感じながらの練習でしたね。おかげで徹底的に体力をつけてもらいました。もちろん技は丁寧に教えてもらいましたし、教えについてもひじょうに明確な指針を教えていただいて、そこがすごく良かったです。クラブの最初と最後には、対面礼できちっとけじめをつけるし、最後には鎮魂行を毎日行っていました。4年間を全うして、それらがトータルで身体に染み付いた。そんな感じがしています。
―そのことが、今どのように活かされていますか?
河村 道元禅師の言葉に「宝蔵自開」というものがあります。自らの内に秘められた資質や能力が、坐禅によって花開くという意味ですが、私は厳しい修行とか、色々な経験を通じても、内なる資質が磨かれて最後に花開くということだと理解しています。
―クラブの厳しい練習を乗り越えて、河村さんの様々な資質が芽吹いていったということですね。
河村 少林寺拳法の稽古は苦しかったのですが、先輩達の指導によって、それを耐えて、乗り越えて、終わった時に、昔に比べると相当に違った自分がそこにいました。
私は、もともと体力にはそれほど自信がなかったし、情けない人間という面もどこかに在りました。それが、体力的にも自身がつきましたし、いろいろな考え方も教えていただき、たしかな自信が芽生えました。
河村 これは外から与えられたものかと言うと、そうではないと思うのです。自分の中に在ったものが、自分自身が変化することで芽吹いたのだ、と思うのです。
―誰もが内なる資質に大きな可能性を秘めている。そう思えると素晴らしいですね。
河村 私は、誰もが潜在的には全ての力を持っている、と考えています。大切なことは、自分を信じてそれを発揮していくことだと思うのです。
―それこそが学びなのですね。
河村 自衛隊には、いろいろな配置があり、様々な職務があります。新しい配置についた時には、「こんなことできるわけない‥‥」と弱音を吐いてしまう自分がいました。ところが三ヶ月もすると徐々になれてきて、失敗もしながら、出来るようになる。半年一年もすれば、自信を持ってやれるようになるわけです。これはどの職業においても言えることですよね。
対人関係もすごく大事です。私にも苦手な人がいます。しかし「苦手な人は、自分のまだ未熟な側面を教えてくれているんだ」と考えることも出来ます。あるいは「異質な考え方を理解するきっかけを与えてくれている」とも。もちろんその人とある時は喧嘩もするかもしれません。苦しいプロセスはあるかもしれませんけど、しかしそれを経て、いつか分かり合える可能性は常にある。
―自分がなにを選択するかによって結果は常に変化します。喧嘩をするのも、分かり合うのも、自らの選択次第ですね。その意味では、可能性の扉は常に開かれていると言えると思います。
河村 ですから、苦しい時というのはすごく大事です。苦しみを通じて、自分の力が引き出され、いろいろなことに対応できるようになってきている。そのプロセスだと思います。
《己こそ己の寄るべ》とか《半ばは己の幸せを 半ばは他人の幸せを》とか、開祖はいくつかの明確な言葉を遺していますけども、ああいうものが実際に自衛隊の部隊に行った時に、いろいろな苦しい場面で出てきました。それに励まされて、苦難を乗り越えることが出来たのです。そして、同じように苦しんでいる同僚や部下達にそういう言葉を話すことによって、彼らを元気づけることも出来たのだろうな、と実感します。
―本部合宿では開祖にお会いになりましたか? 
河村 私が4年生の時に開祖がお亡くなりになりました。その直前、私たちが4年生になる時の春休みに本山合宿に行きました。そのとき、防衛大学校の拳士だけ別室に招かれて、開祖のお話を聞かせていただいたのです。「自衛隊というのは日本のこれからを担う中心になる」「そのリーダーに君達はなるのだから、少林寺拳法だけでなく、いろいろな考え方を学んで、自分を磨いていきなさい」といわれました。
自衛隊は武器を持っています。基本的にそれは国を守るわけですけども、ただそれは使われ方次第で、国にとっては不幸な側面も生み出す可能性があります。ですから、そういう力を持った人間は、まさに精神をきちんとコントロールできないといけない。そういう意味で「しっかりしなさい」「そういう立場にお前たちは居るんだよ」と言っていただいたのだと理解しています。ある意味、厳しいお言葉だったのだといまさらながらに感じるわけです。
―河村さんは現在、海上自衛隊の護衛艦隊司令官というお立場ですが、どのような職務を担っているのですか? 
河村 私が司令官を務める護衛艦隊は、鍛える組織です。英語で言うと、FORCE PROVIDER という立ち位置なのです。部隊を鍛え上げて、それを自衛艦隊司令官が運用します。
ちなみに自衛艦隊司令官はFORCE USER 。部隊を運用する職務ですね。平時には日本周辺の警戒監視とか、海賊対処とかですね。それから有事の場合‥‥あらゆる場合を想定して事前に備え、あるいは実際に対処するわけですが、部隊を運用する命令を出すのは自衛艦隊司令官の職務です。
―部隊を錬成する中で、どういうことを伝えたいですか? あるいはどんな組織を作りたいですか?
河村 さきほど申し上げた警戒監視から、災害派遣など、様々な職務があるわけですが、その究極としていわゆる有事への対処があります。この点の解釈については、現在、様々な議論がなされていることは承知しております。そのうえで、私たちは職務としてあらゆる対応ができる準備をしておかなくてはいけない。そう考えております。
―たしかにこの問題については様々な意見があり、それに対して結論を見出すことは難しいのかもしれません。それでも、河村さんは与えられた職務を全うし、尽力することが大切である、と。これは、立場が異なるすべての人に言えることかもしれませんね。
河村 世界は常に変化しています。なにかあってから、あわてて準備をしても間に合いません。ですから、平素から様々な状況を想定して、あらゆる対応が出来る部隊をつくっておくこと。それが私たちのいちばん考えなくてはいけないことですね。
とはいえ、やはり平時から緊張感を持って鍛えることは、言葉で云うほど簡単ではありません。いかに緊張感を持って訓練しておくか。その訓練がなぜ必要か。しっかり教え諭して、それぞれの訓練の意味を理解した上で日々の鍛錬を積んでいく。その積み重ねがとても大事だと考えています。
―緊張感を保つことは、少林寺拳法の練習でもなかなか出来ません。ましてや武器による戦闘を訓練することにおいて、有事の意味を理解し、想定することは‥‥想像がつかないですね。
河村 しかし、それだけの身心と技能を鍛えておけば、その力を平時でも生かすことは可能です。例えば鍛え上げた少林寺拳法の達人が、お客さんが来たときにお茶を出すことは‥‥出来ますよね。でもお茶を出すことしか出来ない人に、「お前、俺たちを守ってくれ」と言って、正面に出したとしても、それは無理な話です。だからこそ、そういう力を普段から鍛えておかなくてはいけないわけです。そこは少林寺拳法と似ていますよね。
―たしかにそうですね。
河村 なんのために少林寺拳法をやるのか? と問われた時、戦おうと思っているわけではないけれども、必要に迫られるならば究極の場面で戦える、身を守れる。そういう力をつけておけば、それが平素の緊張がない中においても、それが自信にもなり得ると思うのです。国家としてもそういう力を持っておくべきだと、私は思います。
―国家レベルでの危機管理‥‥なかなか実感できない命題ではありますが、河村さんはそれを実践しておられる。まさしく開祖がもとめたリーダーのお一人だと思います。河村さんが考えるリーダーの在り方について教えて下さい。
河村 いろいろなリーダーシップがあると思います。人の数だけリーダーシップがある‥‥そのやり方は幾通りもあり、私が今まで仕えてきたリーダーそれぞれに違ったものがありました。ですから「これをやっておけば大丈夫」というのがあるかと言うと、残念ながらないと思いますね。しかし大切なことは、部下たちがリーダーを見て、「この人についていこう」と思うこと、思わせることです。
―「この人についていけば大丈夫だ」と思わせるもの。それがリーダーシップであり、それはそれぞれの人の資質によって異なるわけですね。これは前回伺った《宝蔵自開》という言葉にも重なりますね。最後に少林寺拳法の若い拳士にメッセージをお願いします。
河村 《半ばは己の幸せを 半ばは他人の幸せを》という言葉がありますね。このことを若いうちから、ぜひ身につけていただきたいです。自分自身の経験を振り返って思うのですが、自分のことばかり考えていたら、上手くいったようでも、あとから惨めな気持ちになってしまうのです。逆に人のためにやったことを実感できるときは、そのときはたいへんでも、あとになって大きな充実感とか智慧とか経験が得られるのです。それは宝ものといってもよいものだと思います。自分のことだけではなくて、人のためになにが出来るか?  そのために自分の心と身体を使えたら素晴らしいですよね。
―若いうちはなかなか実感することが難しいかもしれませんが、己の欲望を満たすことだけ考えているときは、結局、満たされないわけですよね。そうして失敗もしてしまう。逆にその失敗によって学んでいくわけですが、その時に指針となるものがないと、迷走してしまい、何回も同じ失敗を繰り返してしまう。河村さんが仰るように開祖・宗道臣の言葉は、人生を振り返る上での佳き指針となりうるものだと思います。若い人ほど、その価値に早く気づいて欲しいと心から願います。本日はありがとうございました。
(平成27年6月25日 海上自衛隊護衛艦隊司令部にて)

河村正雄氏プロフィール
1958(昭和33)年生 1981年3月、防衛大学校卒業。防衛大学校では少林寺拳法部に所属。少林寺拳法参段。95年3月海上幕僚監部人事課、96年4月海上幕僚監部防衛課、97年3月護衛艦しきしま船務長兼副長、98年3月護衛艦いそゆき艦長、99年4月海上幕僚監部補任課、02年8月海上幕僚監部防衛課防衛調整班、03年9月第22護衛隊司令、05年1月海上幕僚監部補任課長、07年9月第1護衛隊群司令、08年12月練習艦隊司令官、09年12月舞鶴地方総監部幕僚長、11年8月自衛艦隊司令部幕僚長、12年7月統合幕僚監部運用部長、14年3月護衛艦隊司令官を歴任(15年8月に退職)

河村海将