vol.22 温故知新、可以為師矣

2012/06/01

aun_m_vol22以前、「原点回帰」ということについて投稿させていただきましたが、同時に「温故知新」という四字熟語が頭の片隅に浮かんできました。

「温故知新」は言わずと知れた孔子の言葉であり、四字熟語の代表的なものの一つです。
もう少し詳しく説明すると、この出典は「論語・為政」の中に「温故知新、可以為師矣」とあり、その意味は・古い物事も、新しい物事も知っていて初めて人の師となるにふさわしい・となります。

現代社会では、新しいものには目移りをするが、古いものには見向きもしない傾向が見受けられます。故きを温ねて新しきを知るなどというけれど、最近は故きを温ねはしても、新たなることにそれを生かそうとする創意工夫に欠けるのではないかと考えさせられるきょうこのごろです。

さて、われわれ金剛禅の修行者としてはいかがなものでしょうか。開祖は事あるごとに原点に帰れと言われていましたが、又われわれは今、本当に原点を見つめ直しているのでしょうか。人の心は移ろいやすいゆえ、日々質の向上に努めなければならないとも言っておられました。開祖の志を継ぎ、人づくり、国づくりの大道を進まなければ、金剛禅の布教者として、また修行者としてはふさわしくないのです。

わが国はバブルが弾けてからろくなことがありません。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、リーマンショックによる経済の低迷、さらに一昨年は各地で風水害が多発、昨年は17年前の大震災を凌ぐ規模の東日本大震災が東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。また大企業の損失隠しや私物化が次々と露見し、一体何を信じてよいのか不透明な時代を招いています。

世界に目を向けて見ても、復調の兆しは見えるもののアメリカ経済の失速に加えヨーロッパ諸国の経済低迷が進んでいます。

このような不安定な社会であるからこそ、少林寺拳法の開創の動機と目的を十分に理解し認識して、迷わず理想境建設に邁進して行かなければなりません。

わかっていることと、できることが一致しなければ意味がなく、言行一致に努めなければ金剛禅の修行者とはいえないのであり、そのことこそが開祖の志を継ぐことなのです。

最近帰属意識に欠けるということを耳にしますが、わが組織もその例外ではありません。少林寺拳法の修練だけをやっておればよしとする傾向は、組織を硬直させる一因となります。

目的である金剛禅の修学をせずに、少林寺拳法は存在しないことをわれわれは真摯な気持ちで受け止め、教えと技法をバランスよく鍛えていかなければならないのです。

冷静に考えて見るとわれわれは過去から正しく学び、未来に生かそうとすることを本当に考えているのでしょうか。

高慢さ、思い上がりの結果が現代社会を生んでいるといっても過言ではありません。

われわれ金剛禅の修行者として、又布教者として本当に開祖の志を受け継ぎ、正しく理解をして未来に生かそうとしているのかを今一度各人が胸に手を当てて考えるべきときではないのでしょうか。

故きを温ねて、新しきを知ろうではありませんか。

(文/川端 哲)