vol.04 痛さも修行のうち?

2009/06/01

aun_k_vol4「この人の手首、大丈夫?」。今号のコラム「宗門の行としての少林寺拳法/片手閂投」の写真を見て、ある道院長が心配して声を掛けてくださいました。

毎号、迫力ある技術を披露してくれているのは川島一浩正範士七段。そして、都度、見事な掛けられっぷりを見せてくれているのは、飯野貴嗣大拳士六段。本当、痛そうですよね。写真から悲鳴が聞こえてくるようです。そこで、飯野拳士に話を聞いてみました。

「少林寺拳法における攻者は、とても重要な役割があるんです。単に技を掛けられる役ではなく、相手(守者)の力を100パーセント引き出すという役割。そのためには、相手をしっかりと見て、波長、すなわち呼吸をあわせることを意識することが大切だと思います。修練を積むほど、宗門の行としての少林寺拳法の在り方を、身体で実感するようになり、奥が深いなと感じています」

痛さも修行のうち……のようです。(うん)