目を注ぐ

2016/05/27

 小学生時代の話です。クラスにオサム君という男の子がいました。小柄で目立たない子でした。家も貧しいらしく、お下がりの着古したシャツ姿で周囲の子からは「くさい」と敬遠されていました。私がいつも気になっていたのは、彼の右手が火傷のために変形していたことです。休み時間などは不自由な手にクレパスを挾み絵を描いていました。

 そんなオサム君がある日を境に、劇的に変身したのです。きっかけは担任の先生が産休のため代わったことです。新しく担任になったのはおじいさん先生でした。この先生が、なぜかオサム君をよく目をかけ、彼の中に眠っていた力を引き出したのです。おじいさん先生がほめたのはオサム君の絵と作文でした。実際、彼が描く馬の絵は躍動感があり、今にも絵の中から飛び出しそうでした。学校から遠く離れた山地にあった彼の家では農耕用に馬を飼っていたのです。作文も家族で働く農作業の話。いま思うとリアリティに富んだものでした。日に日にオサム君の顔は自信に満ちていきました。輝く子に変身したのです。

 そんな日が三ヵ月ほど過ぎた頃、担任の先生が復帰し、おじいさん先生はどこかの学校に行ってしまいました。しばらくすると、オサム君は元のくすんで目立たない子どもに戻ってしまたのです。かつての目を瞠るばかりの変化の日々が、嘘のようでした。子どもながらに私は教育の持つ魔力と、その残酷さを感じたのでした。

 私たちの前には、もっと私たちが注目し、プラスのはたらきかけをしていけば、それによって心のエネルギーを得て大変身する子どもがいるかもしれません。一見冴えない状態の子どもにこそ目を注ぎ、光を当てていきたいものです。

 

執筆者:菅野純 1950(昭和25)年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学卒業後、同大学院修了。発達心理学・臨床心理学専攻。東京都八王子市教育センター教育相談員を経て、早稲田大学人間科学学術院教授を2015年3月まで務める。現在も、不登校、いじめ、非行など、さまざまな子供へのカウンセリングに加え、学校崩壊をはじめとする学校のコンサルテーションに取り組む。<心の基礎>教育を学ぶ会会長。著書は『武道──心を育む』(日本武道館出版)など多数。