vol.5 禅源を樹表する達磨大師の碑

2009/08/01

aun_m_vol05開祖は教範に達磨大師にまつわる碑刻石「蕭梁達磨大師碑」の拓本を掲げておられる。この碑は嵩山少林寺の大雄寶殿の前庭に今もある。

有名な達磨と梁の武帝の問答以後、武帝は後悔し達磨の徳風を追慕し自ら文を製し顕彰の碑を建てたのであった。しかし数百年の歳月を経て碑の刻字が摩滅してしまったため、元の時代に再び建てられたのがこの碑である。

碑文の冒頭には1339年(至元五)、少林寺長老の息庵がまさに原碑が摩滅するところを惜しみ、禅源を樹表するため再び碑を建立しようと企画し、元朝廷に遣いの僧徒を走らせ、その実現に努めたことが記されている。

少林寺長老の息庵とは、前号で紹介した日本僧古源邵元の師僧である息庵義譲のことである。そのとき、邵元は書記であったから、息庵の下に朝廷への請願文を認めたのは邵元であったとも考えられよう。

結局、朝廷勅許の下にこの碑が建立されたのは息庵没後の、1347年(至正七)のことであった。

ところでこの「蕭梁達磨大師」の裏面に「初祖菩提達磨大師来往実跡之記」という碑文があることはあまり知られていない。建立は「蕭梁達磨大師碑」と同じく1347年で、時の住持淳拙文才が編集したものである。今日の達磨大師の伝記は「寶林傳」や「景徳傳燈録」によるところが大きいが、この碑においてもその二つの伝記を混合し編集していることがわかる。既に元の時代には達磨大師の伝記が今日と同じように謂われていたことを知るのである。

開祖が入山された昭和初期の少林寺の建物は朽廃し宗門は衰退していた。しかし武帝の時代から現代までの中間期にあたる元という時代に中興されたこれら達磨大師の碑は、「禅源を樹表する」ものとして更に数百年屹立し続け開祖の目に留まったのである。

(文/今井 健)