vol.13 自他共楽の基本

2010/12/01

aun_m_vol13我々は、自らの生まれたときの記憶は遠く、死にゆくときの記憶は止まらない。

知識を持ち合わせていない1、2歳の赤子は、屈託がなく曇りもなく天使のようにほほ笑む。

それが、知恵が発達し欲が出ると、その永遠のほほ笑みは曇ってくるという。

この世に生を受け、死にゆくまでで、人は誰でも挫折感や劣等感を抱くことがある。また、これは潜在意識においても存在するので、この劣等感や挫折感の克服が自己確立の一つの要素となるのではないだろうか。ある者は学歴に悩み、ある者は身体上の気になることに傷つく。しかし、この悩みは誰にでもあり、その克服の一つの方法は、それを受け入れる強さを養うことである。

「人は、生まれたときの記憶は遠く、死にゆくときの記憶は止まらない」。
 この人生の始まりと終わり、「あ・うん」は、わが子の誕生の瞬間や最愛の人との永遠の別れなどによって、自分のこと以上に認識し、喜び、悼み、苦しみ自らの記憶に刻み、自らを鑑みる。他者からしか学ぶことができない記憶である。

人生で避けて通ることができない一度きりの始まりと終わりは、他人を通してのみしか知りえることができないのである。

米沢藩の復興を遂げた上杉鷹山は、「赤ん坊は自分の知識を持ち合わせていない。しかし母親は子の要求をくみ取って世話をする。それは真心があるからである。真心は慈悲を生む。慈悲は知識を生む。真心さえあれば、不可能なものはない。人に接するとき、人を慈しむ心さえあるならば、才能の不足を心配する必要はない」と言っているが、この慈しむ心、すなわちくみ取る真心こそ、自他共楽の基本であり、それを通して自らに帰し、自らを知り、自らを自己確立へと導く手がかりとする。

他人からしか学べないことがあり、それを感じるのは深く深く考えた自分自身であることに気づく。

(文/松本好史)