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vol.23 自他共楽への道

2012/08/01

少林寺拳法は単なる武道ではない、霊肉一如の修行法であり、健康増進と精神修養と護身練胆の三徳を兼備した行であると幾度となく口にしてきた。この少林寺拳法の本質が何故に「金剛禅宗門の行である」と示されたのか開祖の思いを忖度し、自分自身への納得と信念にしたいと思う。

三徳に示された「健康増進」は、少林寺拳法の技法修練のどの過程で健康増進となるのであろうか。易筋行の整法の施しをもって開祖が健康増進と示されたとは思えない。

日本の古武道や斯道の身体の使い方は「上虚下実」である。要するに肩の力を緩め、腹から下を充実させよということである。つまり、「丹田」を中心とした体の働かせ方である。

少林寺拳法の技法もこの「上虚下実」の身体の使い方で無理とむだのない技となる。丹田の働きは一方では「気」の発露となり相手に圧力をかけることにもなる。膝を柔軟に駆使し上体を捻らず正中線の立った姿勢を保つことが気の流れを生む。修練の場で互いの「気」の流れは「和気」となり、道場に清気が漂い、みな「和気藹々」となり、道場は修行者の一日のストレスの解消と明日への活力を与える場となる。加えて、無理のない技は互いの楽しみとなり「自他共楽」の心を養うことにもなる。

丹田は「太陽神経叢」に働いて自律神経をバランスさせる。この自律神経が正常に働くということが健康体であり精神が安定した状態の証しである。人間の正常な判断は自律神経のバランスがとれているときに出てくるといわれている。座禅の目的の一つもこの自律神経のバランスにあることを知るとき、少林寺拳法の技法修練は単なる技の修練を越えた霊肉一如の修行であり、健康増進と精神修養と護身練胆の三徳を兼備していることが立証される。(開祖は健康増進を三徳の初めに示しておられることに意味があると思う)

武道は極めれば処世術となりうるが、人間の生死(人間苦)や欲の問題の解決には十分ではない。一方、仏教は人間苦・欲の問題の解決には有効であるが、独り悟りを求めるあまり社会性が希薄になる難がある。この両者の欠点を補い戦後復興に資する人間完成の行とするために「武道」と「仏教」のコラボレーションが必要となる。ここに「宗門の行であり単なる武道ではない」とされた開祖の教示が見えてくる。

「正しい釈尊の教え」は金剛禅を理解するための基礎であり、正しい釈尊の教えは仏教を理解するための基礎的素養であると解される。

少林寺開創の恒久の目的は「真の平和の達成」と「世界から信頼と尊敬を受ける民族に育てる」にあると教範に示されている。

2012年の今日、世界の多くの国は民主国家としての対価(膨大な財政赤字)の対応に追われている。日本の国債総額は約900兆円・一人当たり700万円になる。

人の幸せを「物」で量ってきた時代から、開祖の教え「物心一如」の生活態度が今こそ求められている。そのためには正しい釈尊の教えと金剛禅の教えの実践が重要となる。

世の多くの人が、身心一如、自他共楽の生き方の中に幸せがあると信じるとき世界が変わると確信する。

(豊橋道院 道院長 徳嶋 繁)

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