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vol.16 良好な関係で社会とのつながりを

2011/06/01

禅の公案集『無門関』に、次のような問答がある。
新入りの僧が師匠に教えを乞うた。
新入り「一つ尊いお示しを頂きたいと思います」
師匠「食事は済んだか」
新入り「はい」
師匠「それでは、茶碗を洗っておきなさい」

このとき新入りの僧は悟りを得たという。この問答は、仏法が日常生活とはかけ離れたところにあるのではなく、日常生活の隅々にあるのだということを示している。このときの「茶碗を洗っておきなさい」という気づきのきっかけとなる言葉を一転語という。一転語という言葉は禅の公案に見られる言葉であるが、この気づきの言葉は日常的な簡単な語句であることが多い。

金剛禅でも日常的所作の意味の重さを説いており、作務は重要な修行と位置づけられ、脚下照顧は新入門者に対して最初に教えることの一つになっている。修行とは、やろうと思えば、いつでもどこでも誰でも取り組めるものである。ただ金剛禅ではこの先があって、ここから先が金剛禅の金剛禅らしさといえる。それは何かというと、門信徒一人ひとりの社会との接続関係である。地域、家庭、職場、学校などでの門信徒の位置づけ。つまり良好な関係で社会と接続しているかどうかが重要だということだ。このことは少林寺拳法の創始の原点が、「人づくりによる国づくり」であることと深く関わっている。

『少林寺拳法教範』第一編は「拳禅一如、力愛不二の法門、金剛禅について」、第三編は「少林寺拳法について」とそれぞれ題されている。そこでは、創始の経緯や、他教団、他武道などとの差異性が繰り返し繰り返し述べられている。特に第一編において、開祖が金剛禅の原形をイメージされたときには、「現実の組織化された仏教教団の中には、そのようなものは一つとして存在している様子もなかった」(上巻29頁)とある。金剛禅が新しい道であること、独自性を持ったものであることが強調されている。それでは金剛禅、少林寺拳法の独自性、他との差異性はどこにあるのかというと、それは社会との接続関係を重要視している点になるだろう。この点において、この道が今までになかった新しい道だといえるのだと思う。

翻って2011年、現代に同じような教団・武道団体・社会教育団体があるのかというと、私の知るかぎりでは「一つとして」存在しているようには思えない。少林寺拳法創始から60年以上。社会は変転している。こんなとき私たちは、他との差異性を失うべきではない。

世界のあらゆる文化は、歴史の流れの中で異文化を受容し変容してきた。差異性は自文化への誇りとなるが、多くの場合国粋主義と結びつく。しかし歴史の流れに逆らうことはできない。いかなる文化も排除の論理で存在し続けることはできない。

組織改革真っただ中であるが、少林寺拳法グループは日本のみならず世界の変化を受容しようとしている。文化の歴史的な流れを見ると、これからも私たちは社会の変化を受容し変容を続けるだろう。この受容と変容の契機となるのは、実は少林寺拳法創始の原点であると私は考えている。私たちのアイデンティティである「人づくりによる国づくり」――社会との接続関係こそが、受容と変容の契機となりえる。その意味でも少林寺拳法創始の原点を忘れてはならない。

(山口周防道院道院長 山本晃正)

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