vol.32 花咲じいさんは毎朝掃除をする

2014/02/01

aun_m_vol32春になると、私の家の前の学校の桜がいつもと変わらず咲き誇る。多分、次に来る春もそうに違いないだろう。夜、仕事を終えて、家に帰って自動車から降りるとき、ふと見とれてしまう。確かに、桜の木の下には、死体とはいわないまでも妖艶なものが埋まっていそうに思える。学校のフェンスから乗り出すように枝を出す桜は、私は好きだ。咲く桜も美しいが、はらはらと小さな花びらを風に乗せて散る桜も好きだ。花びらに埋もれてしまいたいという人の気持ちが分かるような気がする。

でも、それは観ているだけの私の勝手な感傷で、桜の小さな花びらは、道路を埋めるくらいたくさん落ち、風に舞って辺りに散らばり、ゴミと化す。側溝の蓋を塞ぎ、雨の後では、道路に張り付いて、掃いても簡単には取れない。

そんなことだから、辺りの家の人が学校に、桜の木を切れと注文した。

一度も掃除をしたことのないその人は、声を強くして切れと言った。学校は毎日掃除をしますとは言わなかった。話し合いの結果、根から切れとは言わないが、せめてフェンスからはみ出た部分は切りましょうということになった。

そのとき、今まで一人でいつも掃除をしていた隣のおじいさんは、物静かに、私が掃除をするから切らないでほしいと言った。結局、切れと言った人の家の前の桜の枝は、フェンスからはみ出た箇所で切られ、隣と私の家の前の桜はそのままになった。桜の花びらは、フェンスの中からも、外からも風に舞って飛ぶ、切ってくれと言った人の家の前にも、残してくれと言ったおじいさんの家の前にも、そして私の家の前にも。相変わらず、毎朝おじいさんは黙々と掃除をしている。ちり取りと箒、そして大きなビニールのゴミ袋。小雨の日も。風の日も。

おじいさんは、数年前におばあさんを亡くし、一人で御飯を作り、洗濯をし、布団を干し、ゴミを出している。おじいさんは、公認会計士の仕事を今でも続けている。おじいさんは、少し耳が遠くて、顔の前で挨拶しないと気づかないときがある。

私は、おじいさんに会うと思わず頭を下げてしまう。私は、退職して朝の時間ができるようになったら、おじいさんのように、私が守りたいと思う「桜の木」のために、掃除をし続けることができるだろうか。黙って、何を言われなくても、誰の手助けがなくても。……陰徳。徳。

(文/須田 剛)