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苦しい練習や大会の緊張感を乗り越えた自信が、いまの自分を支えてくれる。

2016/08/29

―今回と来月の2回にわたって、東京大学少林寺拳法部のOBであり、平成27年度より大分市長を務めておられる佐藤樹一郎さんにお話を伺います。今年の10月29、30日には大分県で「2016年少林寺拳法全国大会inおおいた」が開催され、佐藤さんには大会会長を務めていただきます。まず、少林寺拳法を始めたきっかけから教えてください。

佐藤 大学に入ったら武道を始めたいと思って、武道系の部活動の練習を見学しました。その中で少林寺拳法がいちばん面白そうだった。それで入部したのです。シンプルな理由です(笑)。

―当時の練習はどんな感じでしたか?

佐藤 練習は週に4回でした。1時間ほど基本をやって、そのあと1時間ほど術科です。体育館の雑巾がけをしたり、基本動作を習ったり、新しいことがたくさんあったのですけど、入部当初はそれほどきついとは思いませんでした。

 しかし新入生の歓迎合宿が千葉県の岩井海岸でありまして、そこで大変な洗礼を受けました。

―といいますと?

佐藤 朝は6時起床。ランニングから1日が始まり、午前中3時間くらい練習して、午後も練習。つまり1日中練習です(笑)。さすがにキツかった……特に1年生は基礎体力がありませんから、もうクタクタです。最初の2日間くらいは食事が食べれなかったり、茶碗が持てなかったりしましたね。「これは思った以上にハードだな」と思いましたよ。  歓迎合宿は3日くらいで終わったのですが、最終日には2年生が演武と乱捕を披露してくださいました。相対の技法が実にスピーディで、すごく印象に残ったことを覚えています。そのころは、「有段者になるまでは頑張ろうかな……」くらいに思っていました。

―少林寺拳法の技法をどう思いましたか?

佐藤 私は剛法が好きでした。あの緊張感が好きで、熱心にやっていましたね。得意というわけではないのですが。当時は硬い胴を使っていまして、冬合宿のときなど、胴蹴りを何回もやると足の裏に血まめができて破れたものです。そのあとうさぎ跳びなどをすると、道場の床に血の跡がついていたり(笑)。でも、あのころは足の裏が破れても、足の指を突き指しても、何とも思わなかったですね。今だったら、小さい切り傷ができたら気になってしまいますけども。けっこう乱暴なことをしていたのだなぁ、と思います。

―先輩後輩の関係は厳しかったのですか?

佐藤 上下関係は、やはり厳しかったです。けれど、技をご指導いただく以外にも、学生生活のことなどもアドバイスをしてくださったり、さまざまな面で触れ合いがありました。1年生から見ると、4年生というのはすごく大人ですよね。またOBの先輩方も来ますから、社会人の方とのつながりもできます。そういうところは大学の運動部のいいところだと思います。

―後輩に対してはどんな接し方を心がけましたか?

佐藤 監督の真田先生も来られていましたが、基本は3、4年生が1、2年生を教えるシステムになっていましたので、しっかり下級生に伝えていかなくてはいけないと思いましたね。

 新入生が一生懸命練習しながら、だんだんうまくなっていく。そういう姿を見るのは嬉しかったですね。入部当初では、1年生と2年生では、例えば運用法(乱捕)をしても大きな差がありますが、1年くらいたつとその差も少なくなってきますよね。そうやってお互い練習しながらお互いに強くなっていこう、というところもありましたね。

―当時、本部合宿には行かれましたか?

佐藤 1年生と2年生のとき、3月に春合宿に参加しました。3年生のときは行けなくて三段受験の機会を逃してしまいました。ですから、いまだに二段のままなのです。本部の合宿は、職員の先生に技をじっくり教えていただいたり、当時まだご存命だった開祖・宗道臣先生の講話をお聞きしたり、いろいろな大学の皆さんと交流があったり、とても新鮮でした。学校主催の合宿に比べるとそんなに厳しくはありませんでしたが、違う意味で有意義でしたね。

 印象に残っているのは、開祖が「今から手刀(打)を打つから受けを出せ」と言われて、みんなで一斉に上受をしたことです。たわいもないことかもしれませんが、「開祖に稽古をつけてもらった」と思ったのかもしれません。すごく思い出に残っている出来事です。

―少林寺拳法の教えで、印象に残っていることがあれば教えてください。

佐藤 「己れこそ己れの寄るべ……」という言葉は、私の座右の銘です。仕事はもちろん、何をするにあたってもいろいろな人の協力を頂かないと事を成し遂げることはできませんが、その前提として自分を鍛錬して整えておかねばならない、と。この教えはずっと大事にしています。特に苦しいときは、この言葉を思い出しますね。

 日々の練習、合宿、あるいは大会などでも厳しいこと、苦しい場面がありますよね。その一つ一つを乗り越えてきたこと、ここぞという場面でもうひとふんばりしてきたこと。それらは身体の鍛錬であったと同時に、精神面を鍛えてもくれていたのですね。それが大きな自信になっています。

―少林寺拳法の拳士、特に若者たちにメッセージをお願いします。

佐藤 社会人になると、学生時代以上に厳しい場面、苦しい場面が出てきます。そのときに少林寺拳法の苦しい練習や大会の緊張感を乗り越えたことを思い出して「あのときにあれだけ頑張れたよな」と思えること。それが力となって必ず困難を乗り越えることができます。ですから、苦しくても逃げずに頑張って取り組んでください。将来、それが必ず大きな力となります。

 あと、唯一こうしておけばよかったと思うのは、週1回でもいいからずっと練習を続けておけばよかったということです。私は、卒業してからほとんど練習していませんので。ですから高校生や大学生の皆さんはもちろん、社会人になって数年の若い方は、ぜひ道場を探して少林寺拳法を続けてください。続けるということはすごく大事ですから!

【後編】

(タイトル)

構想力と信頼感。この二つを兼ね備えたリーダーとして故郷・大分の活性化に挑戦する。

 

(本文)

―佐藤さんは平成27年4月に大分市長に就任されていますが、市政への挑戦を志したのはいつごろからですか?

佐藤 大学卒業後はずっと経済産業省で仕事をしてきました。その中で地域振興の仕事にも携わってきましたので、出身地である大分が発展するためにはどうしたらよいのだろう? ということはいつも心の片隅にありました。ただ若いころから大分市の市長になろうと思っていたわけではありません。経済産業省を退職したとき、地元の同級生や経済界の方々から、「市長選挙があるので帰ってこい」というお話を頂いて、初めて考えたのです。市政の仕事は経済産業省での経験の延長線上にあり、地域振興に関する自分の問題意識もありました。何より故郷である大分の発展に寄与したいという思いが、タイミングとうまく合致して挑戦を決意したのです。

―平成27年度より地方創生が掲げられて、全国各地で取り組みが見られますね。大都市圏へ人口もビジネスも集中する傾向に歯止めをかける潮流が生まれることを期待しますが、ここ大分の地も豊かな自然に恵まれていてとても魅力的な地であると感じました。九州というエリアは、東アジアの中心に位置していますから、交通の要所として大きなポテンシャルがあるともいわれていますね。さて、少林寺拳法の創始者・宗道臣は社会のリーダーを育てることを志していました。佐藤さんが考えるリーダーの資質についてお聞かせください。

佐藤 リーダーにもいろいろなタイプがいます。それぞれの場面で求められる資質には違いがあると思いますが、共通して必要なものがあるとすれば、それは《構想力》だと思います。「こういう問題点があるから、こう変えていこう」という明確なヴィジョンを描く力。それが必要だと思います。その上で人を引き付ける魅力があること。描いた構想にみんなが賛同してくれると、物事は大きく進んで行きますからね。

―逆にどんないいアイデアでも、周囲の賛同を得られなければ絵に描いた餅になってしまいますね。

佐藤 そうですね。別の言い方をすれば《信頼感》ですね。構想力と信頼感。この二つが必要だと思います。時には自分とは異なる意見があったり、議論がまとまらないときもあるでしょう。そういうときには突破力、強い推進力が必要でしょう。強い決意と、それを支える情報収集能力、危険察知能力、大胆な発想などの知恵も必要です。その辺りをサポートする参謀的な存在がいてくれることもまたリーダーにとって大切なことですね。

―では佐藤さんが市長として、現在描いている構想について教えてください。

佐藤 市役所の仕事というのは、現場の仕事がすごく多いです。それが土台です。例えば住民票など各種証明書の発行、ごみ処理、福祉、教育、インフラの整備、都市計画、税制……それらのすべてが市民生活という現場に密着しています。ですから市民の皆様と直接に触れ合うところで、ニーズを敏感に感じ取る必要があります。そこから行政としてどのような活動が必要かを考えていかないといけません。

―まさしく構想力ですね。それは市長や幹部の方だけでなく、一人ひとりの職員の方に求められているわけですね。

佐藤 部長クラスの幹部はもちろんですが、職員にはそういうところを絶えず改革していける、改革の提案ができるようなリーダーになってほしいと思っています。例えば組織の改革では今年(過去に廃止となっていた)農林水産部をもう一度つくろうと取り組んだり、来年は子ども部をつくろうということで準備をしたり、いろんな取り組みをしています。世の中どんどん変わっていきますからね。われわれも変化をし続けなくてはついていけません。

 組織が大きいと、やはり手の届かないところが出てきてしまうというか、市民の皆様からするともの足りない点も出てくることもあります。しかしそこが改善のきっかけとなる大切なヒントなのです。

―いわゆるクレームも、変化を促すきっかけとなりえるわけですね。そのためには、市長をはじめ職員の一人ひとりが真摯に現実と向き合う必要があるのですね。

佐藤 それから何といっても、職場としての市役所を働きやすい快適なものに改善していく必要がありますよね。職員が働くときの気持ちはとても大切です。よい環境、雰囲気の中でこそ、前向きで効果的なアイデアが出てくる。それでこそ市民の役に立つ市役所になれるのではないか、と考えています。

―とはいえ、既存のルールを変革していく取り組みはとても困難だと思います。

佐藤 変えていくことは大変なのですけどね。しかしそれをやっていかないと、いつの間にか役に立たない組織になってしまいますからね。その点は心して取り組まねばならないと思っています。

―そして今年はいよいよ、ここ大分県で全国大会があります。

佐藤 大会の会場は別府市になります。拳士の皆さんには大分の魅力を存分に味わっていただきたいですね。大分といえばまずは温泉です。別府、湯布院を中心に、ここ大分市にもすばらしい温泉がたくさんありますから、大会の前後に温泉巡りをしていただいても楽しいと思います。

―近年は「おんせん県おおいた」ということで、テレビなどでもよく拝見します。

佐藤 そしておいしい海産物も大分の魅力です。関アジ、関サバ、城下かれい、臼杵のフグ。海産物ではないですが、とり天(鶏肉のてんぷら)など名物がたくさんあります。そして風光明美な景色も楽しんでください。大分市でいえば、高崎山がオススメですね。

 今年の4月には熊本大地震があり、別府や湯布院でも被害がありました。今は復興も進み元気で営業しています。ぜひ大分の魅力を味わっていただきたいですね。

(2016年6月10日 大分市役所にて)

 

(佐藤樹一郎氏プロフィール)

1957(昭和32)年大分市生まれ。1980(昭和55)年3月 東京大学経済学部卒業。同年4月 通商産業省(現在の経済産業省)入省。95年5月 在サンフランシスコ日本国総領事館領事。2006年 中部経済産業局長。07年 (独)経済産業研究所副所長。09年 中小企業庁次長。10年 日本貿易振興機構ニューヨーク事務所長。12年 JSR(株)入社。15年より現職。東京大学在学中は少林寺拳法部に在籍。少林寺拳法二段。

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